アーティスト インタビュー

折江 忠道

2024年に90周年を迎えた藤原歌劇団。折江忠道総監督が語る思い、そして日本のオペラ界の未来とは。

Vol.53

折江忠道総監督が語る、藤原歌劇団創立90周年とオペラの未来。

2024年6月に、創設90周年を迎える藤原歌劇団。純然たる歌い手としての時代と、総監督に就任してからの時代では関わり方が全く違うけれど、監督業に就いてからの方がオペラ作りのやりがいや団の偉大さをより一層感じるようになった。大切にしているのは、歌い手を育て、生かすこと。そして、オペラで人間の持つ「愛」を伝えること。記念の年だからといってお祝いムードで表面的なものに流れるのではなく、中身を大切にした3作品をお客様にお届けしたい。そして、この本質を大切にする姿勢を持ち続け、イタリアオペラのスペシャリストとして、10年、20年先の日本にオペラという芸術を存続させていきたい。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第53弾は、2024年6月に創立90周年という節目を迎えるにあたって、折江忠道藤原歌劇団総監督にお話を伺いました。ご自身と団との関わりの振り返りや、総監督として大切にしていること、2024年度のオペラ演目について、そして日本のオペラ界の未来に寄せる思いも語っていただきました。

オペラ作りは人間づくり。総監督になって、その重みを知った。

2024年に、創設90周年を迎える藤原歌劇団。節目の年を迎えるにあたって、総監督である折江忠道氏にお話を伺います。折江さん、ご自身の藤原歌劇団との思い出も交えながら、90周年に際しての思いを伺えますか?

藤原歌劇団と私の関係ですが、最初は藤原歌劇団のいち歌い手として所属しました。そこから30年以上になりますね。純然たる歌い手としての時代と、総監督となってからの関わり方は全く違います。歌い手としては、自分が歌うことでいかにお客様に楽しんでいただけるかということを考えていればいいわけです。けれど、総監督となると全員のことを考える必要があります。一人ひとりの健康管理、それに精神状態もすべて頭に入れていなければ務まりません。監督業をしてからのほうがオペラをもっと好きになったし、藤原歌劇団の偉大さもよく分かりました。オペラ作りがいかに大変かということを目の当たりにしたがために、オペラはひとりで作っているものではないということ、それがこの90年の歴史の中でずっと繰り返されてきたことの重みだと感じます。オペラを作るのは、大変なことです。人間がやることなので、思うようにはいかないのです。それで本番が終わると、様々な意味での「よかった」が倍増します。監督業でいちばん大事なのは、精神力もですが、とにかく体力だと思います。たとえ自分は歌わなくても、ちゃんと全体を見ていて、毎日稽古に通うというのも大切です。皆さん同じような苦労をして稽古場までの道を来る、そして苦労をしてまた帰っていく。みんなで大変さを共有して、助け合いながらオペラを作る。その上で、お客様が舞台を観ながら涙を流してくださったり、ブラボーと言ってくださったり、満足していただいている姿を見ると、これ以上の喜びはないですね。

総監督に就任されてから、よりオペラ、そして藤原歌劇団への思いが深まったのですね。

そうだといえます。今、私は歌い手を育てることを大事にしています。それは、ただ上手な人を使えばいいということではありません。若手でも中堅でもベテランでも。努力していてもチャンスに恵まれない方はたくさんいらっしゃいます。「そこに可能性があるかないか」と見極めることも私の役目だと思っているので、ちょっとでも可能性を感じる人は、なるべく本番の舞台に乗ってもらおうと思っています。また、生身の人間なので、365日を通してずっと調子がいいなんてことはなく、ましてやだんだん年齢を重ねてくると体も衰えます。アスリートを考えてもらうとわかりますけど、20代から30代に活躍して引退するでしょう。肉体労働なのです。歌い手も、アスリートなのです。喉も筋肉だから、ある時を境に硬くなって退化する。それを、全身を使って技術として磨き補っていくのだけど、その技術もとても難しいものだから、みなさん同じような苦労をしながら一緒に舞台を作り上げていく。それが、藤原歌劇団のいいところだと思うのです。

これまでもいろいろとオペラを拝見してきましたが、裏に折江さんのそのような思いと、歌い手一人ひとりの努力あってこそということがよく分かりました。

その歌い手が、今どういう日常を送り、どういう心身の状態にあるかは、歌うとそのまま舞台に出てしまう。舞台って恐ろしいものなのです。恐ろしいだけに、かえって面白くてしょうがなくもなる。自分の素直な姿を表現すると、人は進歩する。だから、オペラ作りは人間づくりだともいえるのです。歌い手として成長すると、非常に愛すべき人間にもなっていきます。そういう人たちが、藤原歌劇団の舞台に乗っているのです。私は歌い手の皆さんと親密に接しているつもりですが、そうすると相手の状態が手にとるようにわかります。今年で75歳になりますが、伊達に歳はとっていないなと。今までの人生、ただ歌が好きという思いひとつでやってきましたが、その中には難しい時期、苦難の時期もありました。ひと山ひと山乗り越えてきたから、皆さんが今経験していることは大抵経験してきているのではないかと思います。

ご自身の経験があるから、分かるのですよね。歌い手として、あるいは総監督として、これまでの歩みの中で印象的だったエピソードはありますか?

歌手としてバンバン歌っていた時期は、本当にいろいろありましたよ。覚えているのは、プッチーニの「トスカ」で、スカルピア役でデビューした時のことです。ゲネプロの時に、トスカが実際に劇中で飛び降りるサンタンジェロ城の上から「ちょっと本番通りやってみたい」と言って飛び降りたら、見事に足を複雑骨折してしまった。次の日一日休みを挟んでから本番だったから、その間に事務局が方々に電話をかけまくって、ようやくロシアのソプラノの方に連絡がついたのですよ。翌日の朝日本に着き、ホテルで口頭による動きの確認などをして、すぐ本番。すごいですよね。でも、いい本番ができましたよ、緊迫感があって、すごく中身の濃い舞台が。

1990年藤原歌劇団公演「トスカ」

監督をしてからは、やはり歌い手さんとの関わりですね。先ほども話したように、人間なのでどうしても時には体調的に、あるいは精神面での影響で、声が出なくなることも。本人は、もうよく分かっていてマイナス思考になってしまっているので、そういう時はとにかく元気づけるしかない。でも、人間というのはすごいものですよ。頭の中で、「これは不可能だな」と思うことがあるじゃないですか。ところが、いざ舞台上に立たせると、本当に予想もつかない底力が出てくるものなのです。私も、現役時代に経験しました。若いからバンバン声が出て、高音もどんどん張れて。「ドン・カルロ」のメッゾ・ソプラノとテノールと一緒にユニゾンする三重唱でついつい頑張りすぎたら、途端に声が出なくなり、次の幕で「うわぁどうしよう」と。でも、フッと、作曲家が書いた音が出ればいいやという気になって。いい声を出そうとか、そういう欲から解放される。その状態で歌ったら、思わぬ声が出たのです。私は、舞台はある意味戦場だと考えているのですが、ほとんどの人はその戦いで踏ん張る土壇場の力を持っていますね。それは、生きる力そのものだと思います。オペラには、生命力が表れるのです。

面白いですよね。通常の日常の生活ではない、特別な世界。その味を知ってしまうと、なかなかやめられないですね。

オペラの「愛」を、90周年の3演目に込めて。

90周年という節目のシーズンに上演される、演目についてお伺いできますでしょうか?

そもそも私個人の、しかし結構思い入れのある考えなのですが、オペラの根底にあるものは「愛」だと思います。まず人間というものは、誕生からして自分の力で生まれてきたわけじゃない。そこに愛があってこそ、授かった命なのです。成長してからも、普通に愛すること以外に失恋とか、敵討ちとか、オペラにもいろいろなシチュエーションが描かれていますが、その根底にあるものは愛なのです。うまく成就する場合もあるけれど、憎しみも愛情の裏返しじゃないですか。だから、人間の持っている愛の深さをいかに舞台上で表現するかというのが、私にとってオペラにおける永遠のテーマなのです。
今シーズンの演目は、まず4月にロッシーニの「ラ・チェネレントラ」、11月にドニゼッティの「ピーア・デ・トロメイ」、 それから2025年2月にヴェルディの「ファルスタッフ」となります。これらの作品は、表面的に見るとそれぞれタイプの違う作品です。けれど、やっぱりどれも奥底に流れるのは「愛」だといえます。「ラ・チェネレントラ」はイタリア語でシンデレラのことですが、彼女は生きることに過剰な欲を持たない、素直に生きようとする人の象徴だと思います。素直さは、ある意味純粋で無欲な愛情ともいえる。その無欲の愛こそが非常に貴重であるということを、私はこの作品に感じます。

「ピーア・デ・トロメイ」というのは、戦争が大きな題材になっている作品です。政治上での敵対や領土争いなどで、隣の国同士が戦争状態というのはあの時代の常。そういった時代の中で、政略結婚をさせられたある夫婦の話で、ダンテの『神曲』にも描かれた、歴史上の実話でもあります。夫婦は、本当はお互い愛し合っているのに、どうしても敵対する家柄同士で、疑いの心がいつもある。いわば歪んだ愛です。そして戦争さえなければ、そのまま素直に仲のよい夫婦として幸せな一生を暮らせたのに、ズタズタにされてしまう。やはり戦争は愚かで、人の愛を崩す大きな要因だということです。裏を返せば、人が人を愛する気持ちがあれば、戦争というものは起こらないはずだということも伝えていきたい。そんな思いから選んだ演目です。今の時代にも、すごく適応していると思います。

最後に「ファルスタッフ」。これは普通、喜劇として上演される作品ですが、実は人間の悲哀を描いています。主人公は若い頃、イギリスの王様で奥さんを8人殺したというヘンリー八世に仕えていた人物。世の中の汚い面をたくさん見ながら、うまく生きてきたにもかかわらず、老人になると誰からも相手にされないという哀愁。「人生なんてこんなもんだよ、だからみんなで楽しくやろうよ」というのがこのオペラのテーマです。私にとって、それは人類愛だと感じます。能力のあるなしとか、環境の良し悪しで人を見ることがいかに馬鹿げているか。それより、心の中の純粋な部分でいつも人を判断しようという、人間の根本みたいなものを思い知らされるようだと感じます。面白おかしくやっているのだけど、中身には苦悩があり、愛がある作品です。ただこの作品は、上演するのが非常に難しい。大勢の出演者が必要だし、歌の技術もさることながら、演技力がないとどうにもならない。そういうハードルはあるのだけど、でも、人間の本当の姿みたいなものをこの作品で追求できればと思っています。

なるほど、確かにそれぞれ「愛」を持った作品ですね。

私としては、90周年だからこそ、オペラの持つ「愛」というものをとことん前面に出していきたいですね。人間って捨てたものじゃないよということを、絶えず世に問いかけたいのです。今、世界経済は不安定で、戦争はあちこちで起きているし、災害も起きている。オペラとして、そこに対してのメッセージが必要です。表面的にどうのこうのではなくて、やっぱり中身を見つめようというのが私の考えなのです。節目だから、お祝いムードで有名どころのグランドオペラをやればいいというものではないと思うのですよね。それに今は不景気な時代だから、実際問題大きなものはなかなか経済的に難しいのです。派手さとかきらびやかさを求めるとどんどんコストがかかる。だからこそ、中身で勝負するという姿勢をいつまでも続けていきたいなと。時代を、そして人間をもっとちゃんと見つめるということを、変わることのないテーマとして持っておきたいと思います。そして歌い手も、ただ大声で歌うのではなくて、きちんとそういうことを見つめられる歌い手が育ってくれることこそが、10年、20年先のオペラを守っていくことにつながるのではないかと思います。

でも、今私の頭にあるのはとにかく戦争ですね。人間を深く見つめる愛と、人間賛歌みたいなものを大事にして、それを全面的に出したい。そして戦争っていうものをなくそうよ、というのが私の希望です。

イタリアオペラのスペシャリストとして、日本の未来にオペラを。

もう少し作品の選定についてお話を伺いたいと思います。今期の「ピーア・デ・トロメイ」もですが、折江さんが率いる藤原歌劇団はいわゆる“隠れた名作”も意欲的に上演されてきた印象を持っています。それらの作品も、やはり時代に合わせて選ばれてきたのでしょうか?

もちろんそれもありますが、そこには別の目的もあります。オペラは、やはり音楽、そして歌が基盤です。いろいろな作曲家がいろいろな曲を書いていますが、オペラの舞台を作るにあたって、それが歌い手にとっていい作品だといえるかを私自身が納得しなくちゃいけない。だから、いつも作品を探しているのです。中には録音がないようなものもあるので、楽譜を見てどういう音楽が書かれているか、どういう台本なのかをよく吟味する。その上で、学術的にはあまり重きを置かれていない作品でも、何か芯が1本通っていて、音楽的に優れていると感じる作品を選んできました。2023/24シーズンに上演した「劇場のわがままな歌手たち」や「二人のフォスカリ」、さらに2018年の「ナヴァラの娘」など。私がこういう作品を「やる」と言うと周囲から心配の声も挙がるのですが、いざやるとやっぱりそこに歌い手たちの進化が見えるのです。
「二人のフォスカリ」は、ほとんどどこも取り上げない作品だけれど、私は深いと思いました。どこが深いかというと、「ラ・トラヴィアータ」などから連想する華やかなヴェルディ作品ではなくて、ヴェルディの生まれ持った素材がそのまま作品に出ているのです。ヴェルディは、パルマなどがあるイタリア中部のレ・ロンコレという小さな村の生まれです。今でこそ道は舗装されているますが、きっとヴェルディが生きていた頃は土のままで、雨が降れば泥んこ道、そこを、裸足のまま歩いていた。そして、たまたま家の前にあった古びた教会の、小さな足ぶみ式のオルガンを弾いて遊んでいた。私は、それがヴェルディの本質だと思うのです。ぬかるんだ泥道を、重い足取りで一歩一歩、歩いているような音楽。飾り気は一切ない、便利さなんて考えない。どこかに行きたい時は自分の足で行くしかない、そんな子ども時代を経験している人が書いた音楽なのです。確かに形式上の課題は多少あるけど、でもあれだけ見事に書いている作品はすごいと感じ、選びました。オーケストラの皆さんも、「いいね!」といって弾いてくれましたし。いいものは、やっぱりいいのですよね。

見たことがない作品は、純粋にどういう風になるのかが非常に楽しみでもあり、それがうまくいくと嬉しい。シーズンの中に、一作品ぐらいそういうものを入れるというのは、ひとつの狙いです。演目を考えるのは、とても楽しいですよ。

―そういった作品が公の舞台に乗ることで、日本のオペラ界全体にも新たな価値を提示できますね。

私は、まさにそれを願っています。日本ではオペラ界もですし、クラシック界全体でも、表面的にきれいなもの、あるいは観て、聴いて豪華なものを良しとする傾向があると感じます。私のように、中身を第一に考えている人は少ないかもしれないですね。でも私は、そもそも音楽の勉強がそういうものだと思うのです。最初はいかに書いてある通りに美しく演奏するかも大事ですが、それができるようになったら、その音で何を表現するのかが"芸術"ではないでしょうか。

ピアニストのフジコ・ヘミングさんの演奏を取ってみると、鳴らす音自体はどちらかといえば整っているとは言い難い。ところが、音楽をどう表現したいかという中身が実に濃いのです。そういうものに真っ向からぶつかる姿勢というのは、日本の社会ではなかなか難しいと思う。でも、彼女が勇気を持って主張し続けてきたから、今では受け入れられてきています。カナダのピアニスト、グレン・グールドにも同じものを感じます。ルビンシュタインなどと比べたら、音が全然違うけれど、音の中に魂がある。僕も、その魂を大事にしたいのです。もちろん、この意見に賛成ではない方もいるでしょう。全員が同じ価値観である必要はなく、いろいろな考え方のいろいろな"芸術"があっていいと思います。それが、結果的に文化芸術の向上につながるのではないでしょうか。

―意義深いお話を、ありがとうございます。折江さんが、これからの日本のオペラ界に期待することはありますか?

これが、実にシンプルなのですが、もっとお客様に来てほしいということです。

―そうですか!個人的な感覚ですが、昔に比べて若いお客様も増えている印象はありますが、まだまだということでしょうか?

それは、率先して事務局や広報の皆さまが手を貸してくださり、若いお客様にアプローチしている結果も出ているのかもしれませんね。けれど、いわゆるコアなオペラファンの方々は、ご高齢の方が多くいらっしゃると思われます。オペラの未来のためには、どうしても若い方を取り入れる必要があるのです。
先ほどもお話しましたが、今非常に厳しい経済状態にあって、国からの助成金も年々減額されている。そういった状況の中で、いかに公演を続けるかというのは大変な課題になっています。賛助会員の方々、スポンサーの方々にもお願いをしたり、クラウドファンディングにも挑戦したり。ご尽力くださる方々のお力にすがりながら、なんとか力を合わせてこの荒波を乗り越えようとしているところです。

―実際、劇場でオペラというものに1度触れると、どれだけ素晴らしいものかを実感しますよね。


そうなのです。あの臨場感は、録音・録画じゃ絶対に分からない。響きや倍音の体験は、どんなに素晴らしい機械でも味わえない、劇場ならではのもの。それをわかってほしいですね。オペラは古典芸術なので、一般の人にはなかなか理解しにくいところがあるのも事実だと思います。でも、私も記憶にありますが、初めてオペラを観た時は何がなんだか分からなかったけど、とにかくバーンと音が鳴って圧倒された。その後同じものを2度観てみると、今度は「あっ」と分かる瞬間があった。だから、とにかくまず1度目というものを体験していただきたい。そして私たちは私たちで、1度目のお客様の心を鷲掴みにして、2度目も来ていただけるような気持になっていただけたらと、日々模索しています。

―模索を続けられているのですね。日本のオペラ界に、藤原歌劇団として果たしていける役割は何だとお考えでしょうか?

藤原歌劇団は長年の歩みの中で、いつのまにかイタリア・オペラの専門集団のような立ち位置になっています。もちろん、同じラテン系の音・言葉という共通点があるフランス・オペラも時にはやりますが、私としてはこのままイタリアの作品を強みとしていきたい。ドイツの作品やオペレッタなどは、今の時点では考えていません。イタリア・オペラを得意とするスペシャリストとして、声の魅力や音楽の魅力をとことん進化させ、「日本でイタリア・オペラといえば、間違いなく藤原歌劇団だ」といわれる存在としてもっともっと知られていきたいです。既に今でもヨーロッパのちょっとした地方都市のものより数倍良いクオリティをお届けできていると思いますけれど。その自負と責任を、ずっと持ち続けたいですね。いいものを作るためには、本当にお金がかかるのです。でも、助けてもらうことにばかり時間と労力を費やすのではなく、どんな状態になってもどっこい生きているぜ!と。いつも本物を突き詰めるという姿勢を研ぎ澄まし続けることは、私の変わらぬ望みですね。それはもう、心を失わないで一生懸命やろうと思っています。

―これからも、日本にオペラという芸術があり続ける未来をつないでいただけたらと思います。お話ありがとうございました。

聞いてみタイム♪
藤原歌劇団総監督・折江忠道さんに、ちょっと聞いてみたいこと。

—さて、このミニコーナー「聞いてみタイム♪」、折江さんにもぜご参加をお願いします。事前にいくつかご用意した中から、サイコロの目で出た質問にお答えいただきたいと思います。では、サイコロをお振りください。

2.最近びっくりしたことはなんですか?

最近びっくりしたこと…それは、自分が歳を取ったことです。階段が登れない。途中で休まないとダメなのですよ、もうゼーゼーしちゃって。気持ちだけは、まだこのぐらいの段だったらぴょんぴょんいけるつもりでも、5段ぐらい上がると、もうダメですね。それはびっくりなんてものじゃない、悲しいですよ(笑)。

―そうですか!お聞きしていても驚きです!失礼でしたら申し訳ないですが、拝見している限りは、お気持ちの方のお姿で目に映っています。

嬉しいことを言ってくださいますね!本当に頭の中では、自分は30代後半か40代初めの頃のイメージのままなのですよ。だから、そのまま行こうとしちゃう。ところが、もう体が動かない。お酒も飲めなくなったし。昔はなんでもなかったけど、最近はよく酔うようになりましたね。でも、飲まなくなったぶん食べ物はたくさん食べられそうです…

―でも、お話をお伺いしていて、溢れる情熱とパワーさを感じられました!ありがとうございました!

折江 忠道

バリトン/Baritone

藤原歌劇団 正団員

出身:東京都

東京芸術大学卒業、同大学大学院修了。渡伊しミラノ・ヴェルディ音楽院で学ぶ。1982年、83年アレッサンドリア国際コンクール優勝。 1982年ヴィオッティ国際コンクール第2位。82年のコンクールの優勝によりアレッサンドリア劇場「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールでオペラデビューを飾り、 以来ヨーロッパ各地の歌劇場で「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」「リゴレット」などの主要な役で活躍。 藤原歌劇団では88年「ラ・トラヴィアータ」のジェルモンで大成功を収め、 同役は持ち役の一つとして度々歌っている他、 「マクベス」「ドン・カルロ」「トスカ」「ルチア」「愛の妙薬」「ランスへの旅」などで好評を博している。 15年1月には「ファルスタッフ」タイトルロールを歌い、大成功を収めた。日本を代表するプリモ・バリトンとして活躍を続けている。 15年4月より藤原歌劇団公演監督に就任、16 年より総監督に就任。第16回ジロー・オペラ賞受賞。藤原歌劇団団員。昭和音楽大学教授。東京都出身。

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