アーティスト インタビュー

村上 敏明

デビュー20周年。満を持して贈る、村上敏明氏渾身のアルバム。

Vol.24

日本オペラ振興会オペラ歌手育成部を修了し、プロのオペラ歌手としてデビューしてから20年。節目の年にメジャーレーベルから送るアルバムでは、これまで多種多様な舞台を踏んできたなかでもやはり自分の中核を成すイタリア作品を、クラシックからポピュラーカンツォーネまで幅広く網羅した。デビュー前から世界的大歌手の横で一緒に歌った、あの貴重で忘れられない経験を思い起こしながら、一曲一曲今一度楽譜をひらき、勉強しなおした。多忙な日々ではあるが、声を保ついちばんの秘訣は、ナーバスにならないことだと思う。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第24弾は、2018年6月20日に「デビュー20周年アルバム Viva Italia!(ヴィヴァ・イタリア!)」を発売し、7月31日にはアルバム発売記念リサイタルも行う村上敏明氏に、アルバムや選曲への深い思い、リサイタルのお話、その声の保ちかたなど、貴重なお話をたくさん伺いました。

イタリア音楽は自分のなかの核を成す。だから、幅広く選んだ。

ー今日は、2018年6月20日(水)に発売される、村上敏明さんのデビュー20周年記念アルバム「ヴィヴァ・イタリア!」について、ぜひお話をお聞かせください。CD発売、おめでとうございます!

ありがとうございます!いろいろあってやっと出せました!

ー楽しみにしていました!今回、この記念アルバムを出すことになった経緯は、どのようなものだったのですか?

僕自身が2009年と2011年にプライベート版のCDは出しているものの、メジャーレーベルからまだ出していなかったこともあって。いつか、きちんとみなさんの目に触れるようなかたちでCDを発売したいという気持ちがあったので、「ぜひぜひ」という感じでトントン拍子に話が進みました。CDって、「やろう」となると、重い腰を上げるというのがまず大変なんですよ。収録前はスケジュールを1、2週間ぐらい空けておきたいんですが、その時期なかなか時間がつくれないとか、それに収録曲をもう一度勉強しなおさないといけないし。その他、いろいろとタイミングが合わなくて少し時間がかかってしまいました。でも、結果的にデビュー20周年という節目のタイミングで出せたので、よかったと思っています。

ー収録前1、2週間空けるというのは、準備のためですか?

そうですね。あとは、コンディションを整えるためでもあります。どうしても、やると決めたからには、いくつか調整しなければならないお仕事も出てきてしまったのですが、おかげさまで今回はわりと万全の体勢で臨むことができました。

ーそれは素晴らしいことですね!内容としては、タイトルに『ヴィヴァ・イタリア!』とあるとおり、イタリアの作品にこだわって選曲されたのですね。

お客様からの要望も多いので日本の歌を入れようかな、と考えたりもしたのですが、やっぱり僕自身6年間ぐらいボローニャにいたこともあり、何か足跡をしっかり残しておきたいという気持ちもあって、全部イタリア作品でということにさせていただきました。あとは、できるだけ全ジャンルから取り入れたくて、古典歌曲と呼ばれるものから、ナポリ民謡から、普段こういったアカデミックなCDには絶対入れないようなポピュラーカンツォーネも入っています。僕は、若いころ、この「デビュー20周年」よりも前に、大学4年生から、銀座にある音楽ビアプラザライオンで歌っていたのですが、その頃こういったカンツォーネ・ポポラーレ(ポピュラーカンツォーネ)もいっぱい歌っていたので、ある意味では僕らしいかなと思っています。

ーなるほど。収録曲が17曲というのも、贅沢ですね!

テノールの曲は、短いものが多いんですよ。これがソプラノのベルカント・オペラアリア集とかだったら、『ルチア』のアリアで10分ぐらい、次に『夢遊病の女』がきて、なんてやっていくときっと7、8曲が限度になってしまうのでしょうけど、テノールは3分で終わるような曲がたくさんありますし、特にカンツォーネなんかはその部類です。ですから、いろんな曲を聴いていただける。曲数は多いですけど、トントントン、と聴きやすいと思います。

ーどの曲も大切にされているからこそ選ばれたと思いますが、特にこの曲が聴きどころ、というものはありますか?

聴きどころとしては、まず、どの曲というより全体的に今回の演奏の編成のことになりますが、ピアノだけでなくヴァイオリンとマンドリンを入れているんですよ。ヴァイオリンの古館由佳子さんは、それこそ先ほどお話した音楽ビアプラザライオンで20数年来共演していましたが、ハンガリーの“ジプシーヴァイオリン”の名手なのです。ロビー・ラカトシュという「ジプシー音楽のレジェンドのような人とよく共演されていて、現地にも年に数ヶ月行かれたりしています。ですので、古館さんと合わせるとジャズのセッションのような感じになって。収録ができて解説をつくっているときに、制作プロデューサーから「すみません、編曲者のお名前を教えていただけますか?」と聞かれるぐらいアレンジしてあって、でもそれはご本人が即興で弾いているのです。そういう意味で、すごく遊び心のある音楽づくりになっていますね。一方で、イタリア古典歌曲「陽はすでにガンジス川から」や、オペラ『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」などでも弾いていただいていて、そちらではすごくアカデミックに、弾いてくださっています。あとは、マンドリンですよね。マンドリンが入ると、一気にナポリの香りがしてくるので、すごくいい効果がもたらされていると思います。奏者の田中早苗さんも、マンドリン演奏の第一人者でいらっしゃるので、素晴らしいですよ。

ーなるほど、まずはアンサンブルに注目ですね!

はい。そして、曲目のなかでの聴きどころでいうと、メインはやっぱりオペラアリアかなと思うんですが、基本的に今回全部演じたことのある役のアリアばかりなんですよ。『リゴレット』はイタリアでオペラデビューしたときから歌ってきましたし、『イル・トロヴァトーレ』もイタリアでも日本でも歌いました。『アイーダ』は去年歌いましたし、『トスカ』も、『西部の娘』も役をやりましたし、『トゥーランドット』も、カラフ役を去年の12月にやりました。でも、ひとつピックアップするとしたら『道化師』の「衣装をつけろ」ですね。僕は、アリア単体としてはいろいろなところで歌わせていただいていますが、このアリアを歌うカニオ役はまだやったことがないんですよ。同じ『道化師』のなかでも、もうひとりのペッペ役は、大歌手の方と同じプロダクションで歌いましたが。2000年にN.マルティヌッチさん、そして2007年にA.クピードさんの横で。そういう意味で、『道化師』のアリアにはいちばん思い入れもあるかもしれません、これから演じたい役として。

大歌手と共に歌った、忘れ得ぬ舞台。その記憶が、曲に込められている。

『道化師』といえば、話は少しそれますが、思い出があります。先ほどお話した2007年のクピードさんとの共演は池袋の東京芸術劇場で、セミステージ(オーケストラが舞台上で簡素な舞台セットで上演される)の演出だったのですが、そのときのクピードさんが素晴らしかったのです。クピードさんは基本的に暗い感じの音色を使わない人で、明るい声でパーンと歌うのです。でも、『道化師』のカニオのアリアは深い悲しさを表現する曲ですが、あの明るい声でこのうえない悲しさを表現するという、とにかく素晴らしい歌唱でした。

ー想像できます!

そのとき、「コメディア・デッラルテ」というヴェネツィアの伝統的な仮面喜劇の専門家の方が演出をしてくださっていて、これまた素晴らしい演出でしたが、唯一、一箇所だけ気になる部分がありました。その悲しみのアリア「衣装をつけろ」を歌い終わったあとに、ペッペだった僕と、牧野正人さんのトニオと、山崎ミナタスカさんのネッダと、あとコメディア・デッラルテの役者さんがふたりで、アリアの後奏中に出て行って「親方、さぁ行こうよ」みたいにしてみんなで夕日を眺める、みたいな演出で。でも、「衣装をつけろ」って、何百とあるテノールのオペラアリアのなかで唯一といっていいぐらい、ひとり舞台で後奏の間ずっと拍手を一身に浴びる場面なんです。だいたいは物語の途中とか、最後に死ぬ場面とかにアリアがあることが多いので。「これはでも、言いにくいな、出すぎた真似かもしれない」とも思ったのですが、通し稽古のあと、みなさんもいるなかで演出家にそのことを伝えたんです。「なるほど、わかりました。ちょっと宿題にさせてくださいね」と言ってくださって。クピードさんも、「さっきはありがとう。僕もちょっと考えておくよ。」とおっしゃって。翌日のゲネプロ前にクピードさんが僕のところへもう一度きて、「やっぱりあそこはひとりで歌うことにするよ」といって、本番でもひとりで歌い、大喝采だったのです。すると、本番のあとクピードさんの奥様が僕の楽屋へ「村上くん、ありがとうね!うちの人はやさしいから、ああいうこと思っていても言えないのよ!本当に助かったわ。」と言いにきてくださったんです。だから、すごく思い出に残っている曲なんです。「衣装をつけろ」は僕にとって究極中の究極の1曲かもしれません。

2016年 藤原歌劇団公演「トスカ」カヴァラドッシ役

ーそれは、思い出深いでしょうね!情景がありありと浮かぶようです。

2000年のN.マルティヌッチさんにも思い出があるんですよ。マルティヌッチさんはそのとき『カヴァレリア・ルスティカーナ』のトゥリッドゥと『道化師』のカニオと、両方ひとりで歌っていたのですが、僕はマルティヌッチさんの歌をイタリアでもどこでも相当聴いているのですが、2000年のその東京公演がベストパフォーマンスで。なか二日くらい間の空いた2日間公演だったと思うのですが、初日からすごく声の調子のよかったマルティヌッチさんは、休みのあいだに秋葉原で当時最新のデジタルビデオカメラを買ってきて。2日目の本番直前、マルティヌッチさんが楽屋の中から「ちょっと来てくれ」と僕を呼んで「君は『カヴァレリア〜』は歌わないよな?」って聞くんです。「はい、『カヴァレリア〜』は歌わないです。」と答えたら、「あのな、ここがスタートボタンでな、これが録画ボタンでな…」って、説明を始めて(笑)。そこにちょうど当時のマネージャーさんが通りかかったので「助けてください!」とお願いして、全部撮っていただいて。マルティヌッチさん、自分でもとにかく調子が良すぎるのを分かっていて、映像に残したかったのですよね(笑)。そのあと今度『道化師』になったら僕は歌うので、マネージャーさんも「申し訳ないのですが、僕は村上さんのマネージャーとして来ているので、ここからは彼のところへ付いていなければなりません」と伝えたら、マルティヌッチさん、「困ったな…」みたいな感じになってしまい。するとそこへ「カヴァレリア~」の主役を歌い終えたばかりの某バリトンの方が通りかかって、マルティヌッチさんがまた「ちょっと来てくれ」と(笑)。その方はとても良い方で「わかりました、僕撮ります!」といって、『道化師』は彼が撮ったんですよ(笑)!

ーある意味で、よりいっそう伝説的な映像となりましたね(笑)

それぐらい調子がよかったんですよね。でも本当にいいプロダクションで、僕も一応アリアのある役を歌わせてもらって、20代そこそこでしたけど忘れられない公演です。今回の「デビュー20周年」というのは、日本オペラ振興会のオペラ歌手育成部を修了して、プロフェッショナルなオペラ歌手になってから、ということなんですが、イタリアに行く前に、そうして世界的な大スターといわれる方々と、端っこのほうとはいえ一緒に歌わせていただいたので、それは素晴らしい経験でしたね。

ーそういう意味でも、思い出も、思い入れも深い曲ばかりなのですね。

声のいちばんの敵は「ナーバス」。ストレスフリーに、普通に過ごす。

カンツォーネでいうと、「オ・ソーレ・ミーオ」なんて、それこそ銀座ライオン時代から歌っていて、これまでで1000回ぐらい歌っているんじゃないかな(笑)。

ー1000回ですか!すごい!

テノール歌手って、カンツォーネをすごく求められるんですよね。だから、歌いこなれているはずなんだけど、今回はあえてちゃんと楽譜を見直しました。

ー楽譜を見直して、勉強しなおすという話は冒頭でも伺いましたが、村上さんのようにすでにご活躍のかたでも、“勉強しなおす”ことをするのだなぁ、と印象に残りました。

こういうきっかけがないと、見つめ直すとか正面から向き合うって作業はできないので、そういう意味でたまにこんな機会があってもいいのかな、と思いましたね。あとはリサイタルですね。

ー今回も、7月31日(火)に、アルバムの発売記念リサイタルを控えていますね。CDの内容を全曲歌われるのですか?

なるべく全曲歌いたいと思っていますが、後半のオペラアリア連続はどうでしょうね(笑)。一応「全曲ではありません」とお断り書きもさせていただいているのですが、でもそういうわけにもいかないだろうなぁ(笑)。

ーアンサンブルの編成もCDと一緒ですか?

はい、一緒です。あまり立て続けに歌ってしまうと、どうしてもクオリティーを落としてしまったりするので、ところどころに栗原さんのピアノソロを挟みながらになると思います。マンドリンもナポリ情緒をものすごく味わえますし、ヴァイオリンは、CDのアレンジと違うかもしれない。「あれ、こんな曲だったっけ?」と(笑)。

ーそれも楽しみですね(笑)。それにしても、そうやってCDやリサイタルの準備に加え、その他のオペラ公演やコンサートなど、本当に多方面でご活躍されている印象があるのですが、声や体のコンディションはどうやって保たれているのですか?

僕は、ここ何年か大きな風邪を引かなくなったんですよ。ひとつは、5,6年前からヤクルトを毎日飲んでいるからかなと思います。本当に、飲まない日はない。地方へ歌いに行くときも3本くらいはかならず持って行ったり、「ヤクルトレディ歩いてないかな」と探したりします(笑)。でも本当に、風邪引かなくなりましたね。

ー村上さんがそうおっしゃるのでは、やはり関係しているのかもしれませんね。

あとは何かしているかな…でも、基本的には普通に過ごすようにしています。最大の敵は、ナーバスになることだと思うんです。「本番前は喋らない」「お酒は飲まない」「○○を食べる」または「食べない」などなど、いろいろあるじゃないですか。でも、それをするとかしないとか考えて陥る、ナーバスがいちばんの敵。ナーバスにならないようには気をつけています。かといって、もちろん物理的に調子にのって居酒屋で大きな声でしゃべりすぎちゃうと、喉がダメになるので、本番前は行かないようにはしていますけど(笑)。

2014年 藤原歌劇団公演「ラ ボエーム」ロドルフォ役

ーそのあたりの細かいコントロールはされつつ(笑)。でも、普通に過ごす、がキーワードですね。

はい。あと、関係あるかないかわからないのですが、去年背筋力を測ったんです。そしたら、背筋力がものすごくあることがわかりまして。245kgあったんです。たぶん20代の若い男性の平均が145kgぐらいで、このあいだゴリゴリに鍛えている人に聞いたところ、ボディビルダーぐらい本気で鍛えていると240kgぐらいで、245kgというのはほぼプロレスラー並みだと思ってくださいといわれました。だから多分、背筋で歌っているんだなと。よく腹筋で歌うとか、肺活量がどう、とかいわれますが、歌うために3,500ml吸ってから歌う人もいないですし肺活量は関係ないかも(笑)。それから、昔ロッシーニ歌いのハイ・テノールが同級生にいて、イタリアに留学に来たんですね。そのとき僕のほうが先にイタリアに来ていて、言葉も僕のほうがしゃべれるってことで、ボローニャ郊外に住んでいるウィリアム・マッテウッツィさんという名テノール歌手のもとへレッスンの通訳兼見学で一緒に行ったときのことなんですが。同級生は、高い音のハイEs(2オクターブ上のミ♭)まで出る奴で、『アルジェのイタリア女』というオペラのテノールアリアの、最後のハイEsを、マッテウッツィさんとふたりでご自宅の大きな鏡に向かって本気でガンガン出し合うっていうすごい光景が繰り広げられて(笑)。マッテウッツィさんはその頃すでにオペラ界は引退されて、宗教曲を主に歌われていたのですが、「まだまだ出るんだ!」という衝撃もあって。で、そのとき、ここぞ一発というときの高い音は、お尻の筋肉を締めるということを言っていましたね。僕も少し背伸びする癖があるんですけど、背筋とか臀筋とかを使って歌っているんですね。だからといってジムに行って鍛えているわけでもないんですが。僕ら歌い手は、硬い筋肉は使わず、柔らかい筋肉を使うので、いちばん多いのは自転車に乗る人でしょうかね。スポーツサイクルみたいな本格的なのに乗って、結構な長距離を移動するかたが多いです。呼吸も整うし、筋肉も鍛えられるし。

ーなるほど。特に何か特別なことを意識しているというよりは、気付いたら筋肉を使って歌われていて、それで体調なども保たれているのですね。

そうかもしれませんね。ちなみに、僕は電動自転車です(笑)。

ーいいと思います(笑)!

聞いてみタイム♪ アーティストからアーティストへの質問リレー
佐藤亜希子さんから村上敏明さんへ

ーもしも男ではなく女で生まれたら、どんな仕事を選んで、どんな人生にしたいですか?

想像したことないなぁ!意外な質問ですね。でも、今のところ歌手以外の選択肢はあまりないなぁ。実をいうと、オペラ歌手になりたいという意識があまり強くないうちに、気付いたらオペラ歌手になっていたので…ただ、歌をちゃんと始める前から、マリオ・デル・モナコには憧れていました。なぜかというと、生まれる前から聴かされていたから。両親が音楽の先生だったのですが、父親がマリオ・デル・モナコ狂いの人で、家ではずっとマリオ・デル・モナコの歌しか流れてなかったんですよ。だから僕の頭のなかの音楽的な部分は、マリオ・デル・モナコと忌野清志郎で出来ています。忌野清志郎が好きすぎて、僕は彼と同じ日野高校へ行きました!(笑)。

ーそれほどお好きだったのですね!じゃあ、もう今のところは生まれ変わっても歌手ですね。

歌手…なのかなぁ。でもメッゾ・ソプラノというのもあんまり想像できないですよね、今テノールで高いパートだから。やっぱりソプラノ歌手なんだろうなぁ。あ、わかった!イタリア人になって、ソプラノ歌手になるんだ。日本人だとなんだかリアルだし、うまくいかない可能性もありますからね(笑)。でもイタリア人ソプラノ歌手になったら、ゴリゴリのイタリア人男性歌手とラブシーンとかするんだよね、悩むなぁ(笑)。

ーそれは悩ましいですね(笑)。ひとまずは仮に、イタリア人のソプラノ歌手になる、かもしれない、というところですね!ありがとうございました。

取材・まとめ 眞木 茜

村上 敏明

テノール/Tenor

藤原歌劇団 正団員

出身:東京都

国立音楽大学卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第17期生修了。2001年から2年間、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡伊。04年から五島記念文化財団奨学生として再渡伊、07年に帰国。第13回フランチェスコ・アルバネーゼ国際声楽コンクール優勝。第9回マダム・バタフライ世界コンクールグランプリ優勝をはじめ、15のコンクールで優勝・上位入賞を果たし、国内でも第40回日伊声楽コンコルソ第1位、第35回イタリア声楽コンコルソ・シエナ大賞など多数受賞。中島基晴、中村卓郎、P.ヴェントゥーリの各氏に師事。
留学中、02年オルヴィエートのマンチネッリ劇場公演「リゴレット」のマントヴァ公爵でイタリアデビュー後、「蝶々夫人」「イル・トロヴァトーレ」「ナブッコ」「トスカ」等の主役にイタリア各地で出演。 藤原歌劇団には、05年「ラ・トラヴィアータ」のアルフレードに抜擢されプリモデビュー。以後「蝶々夫人」「ラ・ボエーム」「ルチア」「仮面舞踏会」「トスカ」と当団のプリモテノールとして活躍を続けている。その他、日本オペラ協会、新国立劇場、びわ湖ホール等各地のオペラやコンサートに出演し、好評を得ている。
第15回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。
藤原歌劇団団員。東京都出身。

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