日本人なら誰もが知っている歴史的上の人物「源頼朝」。オペラのなかでは静と義経を別れさせ、殺してしまう悪役だが、歴史的には様々な偉業を成した人。政治的な権力者としての威厳や、抱えている孤独や苦悩を、歌や演技だけでなく、その居ずまいからも表現したい。そのためにも、共演者全員を知っている本プロダクション、特に先輩方がしっかりと脇を固めてくれることは心強い。初役の苦労はあるかもしれないが、これまでの様々なオペラ同様、かけがえのない本番を大切に臨みたい。今しかない、子供たちと過ごす時間のように。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする「CiaOpera!」。第27弾は、2019年3月2日に日本オペラ協会公演『静と義経』に頼朝役で出演される、バリトンの森口賢二氏のお話です。日本人なら誰もが知っている歴史的人物を演じることについてのお気持ち、役への考察、共演者について、オペラへの取り組み方や休日の過ごし方について伺いました。
歴史上の人物・源頼朝。ただの悪役ではない有名人は、役のつくりがいがある。
ー今日は、2019年3月2日(土)、日本オペラ協会創立60周年記念公演『静と義経』に、頼朝役でご出演の森口賢二さんにお話を伺いたいと思います。頼朝、つまり源頼朝といえば、日本人であれば誰もが知っている歴史上の人物ですね。『静と義経』というタイトルのオペラの源頼朝での出演をどの様にお考えですか?
前回出演させていただいた日本オペラ『天守物語』では図書之助という若侍を歌わせていただきましたが、今度は一変して権力者ですね。そして、静御前と源義経のラブストーリーという観点から見れば、ふたりの仲を裂く悪人です。もっと言えば、殺してしまうし。でも、権力者というのはいつだって孤独なんですね。ものごとが、自分が決めたとおりになってしまう。それは大変なことです。だからただ歌うだけでなく、もちろん演技もしますが、もう舞台に登場してその場に存在するというだけで、頼朝の威厳や、孤独や、背負っているものなどがにじみ出るように表現したい。ただの悪人ではない、内面に抱えた人格なども出せたら舞台人としては冥利に尽きますし、その努力をしたいと思っています。
ー森口さんは神奈川県のご出身ですが、同じく神奈川県である鎌倉とゆかりの深い頼朝には、思い入れもあるのではないですか?
たぶん歴史的な知識としては、今はまだお客様のほうが詳しい方がたくさんいらっしゃるのではないかと思いますし、もっと勉強していかなければならないと思います。でも、僕は神奈川県厚木市出身で、小・中・高と神奈川県育ちなので、遠足といえば鎌倉の鶴岡八幡宮へ行ったり、頼朝の妻・政子の北条家ゆかりの地である小田原にも行ったりしていました。それに、少しずつ勉強しはじめて知ったのですが、千葉県に「九十九里浜」という長いビーチがありますが、あそこを一里、一里と数えて「九十九里」であると調査させたのは頼朝という説もあるそうで、千葉のほうにも頼朝が鎌倉で幕府をひらくまでに関連する場所が、結構あるみたいですよ。
ーそうだったのですか!それは知りませんでした。
あとは、もちろん幕府を初めてひらき、本格的に武士の世を始めたのも頼朝ですし。そう思うと、かなりすごいことをたくさんやった人なんですよ。ただそのために、ある意味での非情さも持ち合わせていなければ、事を成し遂げられなかったのだと思うのです。武士というよりは、政治家として。だから『静と義経』のような悲劇が生まれてしまったのだと、僕は思います。自分の弟をはじめ一族郎等みんな殺してしまい、静御前の子供も、静自身のことも結果的に殺してしまっていますからね。これは恐ろしいことです。でも、それらは頼朝が歴史的なことをやり遂げるため、犠牲にせざるを得なかったのではないでしょうか。頼朝自身も、娘の大姫に死なれ、妻・政子は実は北条家の利益を考えていて、最後には自分の孤独さを嘲笑ってしまうのです。
ーなるほど。悪だけではない、孤独な政治家・頼朝の役づくり、大変そうですね。
でも、話は少し矛盾しますが、僕は悪役のほうが演じやすいと思っているんですよ。『トスカ』のスカルピア役や『オテロ』のイアーゴ役にしてもそうですけど。普段、自分ではそんな悪事を働かないですからね(笑)。舞台の上では堂々と悪事を働き、しかも拍手をもらえる。悪者、権力者、老け役、変わり者…普段できないことをできるのは、バリトンの醍醐味だと思っています。
ー悪い役、お好きなのですね!森口さんのお人柄から受ける印象からすると、意外ですね!
悪役、楽しいですよ(笑)。あと、僕自身はよくわからないのだけど、周囲に「今度『静と義経』というオペラで頼朝役をやるんです。」というと、「あ、似合いそうですね」と言われたりします(笑)。先ほども言いましたが、“頼朝”と聞くだけで、それだけ日本人にとっては「こんな顔をしている」「こんな性格をしている」「こんな功績を残した」など、名前以上のなにかしらのイメージが浮かぶ人物なのですよね。今回も、役のつくりがいがありそうです。
日本語歌唱や初役の難しさを乗り越えて、かけがえのない本番をつくる。
ー森口さんは、イタリアやフランス、ドイツなど、ヨーロッパのオペラもたくさん歌われている印象がありますが、ヨーロッパの作品に比べて日本オペラを歌う難しさというものは感じますか?
日本語を歌う難しさは、常々感じます!普段しゃべっている言語ではありますが、しゃべり声そのままではダメですし。ミュージカルのようにマイクを使うジャンルではないから、生の声で、ある程度の響きを持って出さなければいけない。イタリア語などのほうが、「ベルカント唱法」というのもあるように、大きな声で言葉を歌に乗せやすいとは感じます。ただそれは、勉強している年数がどうしても圧倒的に違うぶん、発語と歌唱の技術の融合がイタリア語ほどうまくいかないように感じる部分もあるのでしょう。でも、僕はオペラとして作品をつくるという意味では、外国語のオペラでも日本語のオペラでもやることは一緒だと思っています。もしくは逆に、ヨーロッパの言語でも、イタリア語にはイタリア語、フランス語にはフランス語、ドイツ語にはドイツ語など、どんな言語の作品でもそれぞれ違いはあると思います。だから、イタリアオペラだからどう、日本オペラだからどう、ということは本来ないはずだし、イタリア語を歌うときと同じような技術を使って、日本語の特性を失わないように一生懸命歌うのが、歌手の務めだと思います。でも自分ではやっているつもりでも判断するのはお客様なので、その歌唱を舞台に乗せるにあたって客観的に調整してくれるのがマエストロであり、演出家であり、共演する仲間なのでしょうね。
ーなるほど。そのとおりですね。今回の共演者の方々は、みなさんご存知の方が多いですか?
全員知っています。僕の3月2日チームでいえば、みなさんよく知っているし、プロダクション全体でも、直接お話したことはないかもしれませんが、顔を拝見したことがあるという方もいらっしゃいますよ。静の坂口裕子さん、義経の中井亮一さん…あと、僕と絡みのある政子役の家田紀子さんや大姫役の楠野麻衣さんも。それから、頼朝の脇を固める側近たち、梶原景時役の持木弘さん、和田義盛役の松浦健さん、大江広元役の三浦克次さんはみなさん先輩です。こういうポジションにしっかりとした方がいてくださるだけで、さっきの居ずまいの話ではないですけど、場の空気が締まって、舞台が醸成されるのですよね。心強いことです。
ー脇を固める方がベテランであればあるほど、世界観が生まれるのですね。
そうです。ただ、今回出演者はみんな初参加の初役ですからね。
ーそうですね!この『静と義経』という演目、25年ぶりの再演ですね!初役というのは、やはり大変ですか?
初役は難しいですよ!特に今回は、1993年鎌倉芸術館での初演以来の再演ですからね。プロダクションのメンバーでは、前回を知っている人、少ないんじゃないかな。勉強しなきゃいけないこと、覚えなきゃいけないことは山ほどあります。しかもこれはオペラの特性ですけど、演出や音楽づくりの違いはあれど、基本的には音楽もストーリーも、毎回同じことをやるじゃないですか。そうなると、1回より2回、2回より3回と回数を重ねたほうが、上手になるのが普通ですよね。それと、たとえば演劇なんかとオペラが一番違うのは、おおよその“間”が決まっていることです。オペラはまったくもってフリーな間ということはほぼない。「ここに3小節ある、だったらこのあいだにこんなアクションができる」とか、「3拍しかないなかで表現できることはなにか」とか。そのアドバンテージは、初役の場合は稽古でしか得られない。しかも、それでも本当に“経験”と呼べるのは、100回の稽古より1回の本番。もちろん稽古場でも本番と同じことをやるのですが、1000人のお客様が見ているなかで本番にちゃんと乗るのとは大きな違いがあるし、そこで初めて身になることってたくさんあると思うのです。その経験を何回積んだかというのが、自分の宝になっていくのです。
ー100回の稽古より1回の本番。説得力のある言葉ですね。初役の難しさがよくわかります。
ロールプレイングゲームみたいですよね。経験値を積んで、地図や使える武器も増えていって、レベルが上がって。オペラとしての経験値が高い人たちが集まってはいるけれど、今回の役は初役だから、またゼロからつくりなおす。そんなことの繰り返しです。一度しか歌ったことのない役もたくさんあります。『天守物語』の図書之助もしかり、去年の『ミスター・シンデレラ』も垣内教授もしかり。今回の頼朝役だって、もしかしたら一度きりかもしれない。
ーオペラは、どうしても何度も上演することが難しい側面もありますしね。
そうです。オペラを1回上演だけでもとてもお金がかかりますし、歌手はスポーツ選手のようなもので、その1度に全身を使って歌い、姿勢を保ち、演技し、さらに始まる2時間ぐらい前から、メイクだの衣装だのと準備を始める。これでは、とても毎日何度もなんてできません。でも、だからこそ1回1回の本番というのは、かけがえのないものでもあるのですけどね。このハイテクな時代に、こんなアナログなことはないですよね。僕たちの仕事は、ロボットには代えられない、価値のあるものだと思います。
ーオペラは、人間だからこそできる感性の仕事なのですね。だから、劇場に足を運んで、じかに触れることに意味があるのですね。
作品や役との出会い、子供と過ごす時間…今しかない。だから、やる。
ーそれにしても、様々な作品に取り組まれているなかで、それぞれの作品で気持ちの切り替えをするのは大変ではないですか?どのようにされているのですか?
もう、音が鳴ったら変わるんですよ。無理やりではなく、自然に変われる。そこが、オペラのいいところだと思います。
ーそういうものですか!空気か何かが変わって、自然と気持ちに影響するのでしょうか?
そう!だから、オペラをつくる作曲家たちは、天才だと思う。今まで『フィガロの結婚』が鳴っていたとしても、そこにふと「誰も寝てはならぬ」の音楽が流れてきたら、フッと『トゥーランドット』の空気になる。本当に、すごいことですよ。
ーちなみに、いちばん好きなオペラというのは何ですか?
これは難しい質問ですね。僕は、そのとき関わっているオペラが、いちばん好きなオペラかな、と思うのです。最初はそれほどでもなくて、なんだったら「なんだか分かりづらいな」と思う場合すらある。でも、だんだんできてきて、最終段階ぐらいになってくると「あれ?これは面白いかも?」と、“いちばん好き”になるんですよ。
ー役と一体化したな、と思う瞬間があるのですか?
役と一体化するというより、音楽と一体化するという感覚のほうが僕にとっては近いかもしれない。楽譜どおりにできるようになる、といったら語弊があるかもしれないけれど、天才的な作曲家たちが「こう歌ってほしい、こう演奏してほしい」という思いで書いてくれた楽譜から読み取った“真の姿”に、マエストロも含めて自分流にアレンジを加え、「こんな感じでいいのではないか?」と思えるようなものができてくる。そんなとき、初めて作品が面白くなるのです。でもその境地には、なかなか行かないんです、これが!初役だったときには、もう二度とないかもしれない本番のときになって、初めて「こうだったか!」なんて思う瞬間なんてしょっちゅうある。でも、それがそのときの自分だし、面白くもある。一生完成はないんです。
ー音楽と一体化する、というのは興味深いですね!でも、そうたくさんあることではないのですね。「このときは!」という舞台はありますか?
世界的な指揮者で、チョン・ミョンフンという方がいるでしょう。2005年に、富山県のオーバードホールであの方が振った『カルメン』で、僕はモラレスという役をやらせてもらったのですが、あのときは凄かったなぁ。自分の思っているようにも歌えているけど、ミョンフン氏も完全にこちらに合わせているわけではなくきちんとコントロールしているし、歌と芝居とオーケストラと、全部が一体となった。そんな風に思えましたね。あの感じは、めったにあることじゃない。モラレスよりエスカミーリョのほうがたくさん歌っているけれど、エスカミーリョではそういった感覚にはまだなれていないです。
ーそうですか。何度も歌われているからといって、納得がいくとは限らないのですね。今回の頼朝ではどうなるか、楽しみですね!ところで、そんな数多くのご活躍で大変お忙しいそうですが、オフのときは何をして過ごされているのですか?
僕に2人子供がいるのだけど、下の息子がウルトラマンが大好きで(笑)。このあいだも、青春18きっぷを使って福島までウルトラマン巡りをしに行ってきましたよ!ウルトラマンの作者の円谷英二さんの出身地なので、福島の須賀川市や白河市や、その周辺に、スタンプラリーのようにいろいろスポットを回るコースがあるんですよ。今どきは、スタンプをペタッと押すというよりは、スマートフォンでスタンプを取るのだけど。
ー面白そうですね!青春18きっぷで行かれたのですか!
行きましたよ、鈍行に揺られて。それも、全行程座れるわけではじゃないですか、50分ぐらい立っている時間があったりして(笑)。あと池袋のウルトラマンフェスティバルにも、毎年行っています(笑)。
ーお休みの日はお子さんと過ごすのですね。仕事を忘れてリラックスできそうですね!
そうですね!それに、自分のためにということもあるけど、上の娘が中学生になって感じたけど、家族で一緒にどこかに行くなんて小学生のときぐらいしかできないな、と。娘と出かけることもないわけではないけれど、打ち込むことも出来て、お互い休みを合わせて取らなければいけなくなってきて、いつも「これが最後だ」と思いながら出かけている。その点、息子はまだ小学生で時間も取りやすいけれど、でも今しかない。僕自身も、この先いつまでも元気でいられるかなんてわからないし。だから、なるべくやれるときにやろうと思っているんです。
ー今しかない。そのとおりですね。お子さんも嬉しいでしょうね。
こんなこと、絶対に自分ひとりではやらないじゃないですか。オペラと同じです。ちょっと大変でも、お客様が、子供が、家族が、誰かが喜んでくれるのが嬉しいから、やりたくなるんです。
聞いてみタイム♪
アーティストからアーティストへ質問リレー。
牧野正人さんから、森口賢二さんへ。
ー今日の「聞いてみタイム♪」は、前回お話をうかがった牧野正人さんから、森口賢二さんへ、です。さて、牧野さんはどんなことを聞いてみたいと思われたのでしょうか。
ーオペラにおける、バリトンの役割とはなんだと思いますか?
牧野さん!これは、僕をよく分かっている人の質問ですね(笑)。さっきの話とちょっとかぶるところがあるかもしれませんが、バリトンの役割は、オペラに色合いを与える。風味を与える。だって、好きな人同士がただ好きあっただけで終わっちゃったら、何もならないですからね。さや当てだったり、悪い人だったり、そういう人が出てくるから、物語にスパイスが加わるんですよ。
ーバリトンがいることによって、ストーリーが深く、面白くなるのですね。
そうです!バリトンが主役だった場合、たとえば『リゴレット』のリゴレットや、『マクベス』のマクベス、『ドン・ジョヴァンニ』のドン・ジョヴァンニにしても、素晴らしい声を聴かせればいいだけという役は、ほぼ無い。バリトンと、あとメッゾソプラノもそうですね。もちろんソプラノやテノールがただ歌っていればいいわけではないですけれど。でも、主役たちに何かがあったときに、助けてあげられる存在かもしれない。ちょっと変な人や、詐欺師など、日常生活ではありえないことをやる、という役が多いし。このあいだ牧野さんとご一緒した『ドン・パスクワーレ』には、ドン・パスクワーレにいっぱい食わせてやろうとする医師マラテスタがいる。『セビリャの理髪師』のフィガロは、伯爵様とロジーナをくっつけるために立ち回る。『魔笛』では、パパゲーノが天真爛漫にふるまう。『ルチア』では、ルチアの兄エンリーコが、家を守るために政略結婚を企てる。…あ、エンリーコは、頼朝と似ているかもしれませんね。
ー確かに、似ていますね!物語に風味、色合い、変化をもたらす。それがバリトンの役割ということですね。とても納得できました。ありがとうございました。
取材・まとめ 眞木 茜