丹呉氏はオペラの新たな発展への期待と純粋な楽しみを以て、長島氏は随所に“初の試み”が散りばめられた本作を表現することへの責任感を以て臨む《紅天女》。原作には登場しない「伊賀の局」という役だが、妻として、母として、女としての強さを持った、美内すずえ先生もインスピレーションを受けたであろう魅力ある実在の女性。人間女性の象徴のようなその役どころを深めながら、原作ファンの方も、オペラファンの方も喜んでいただけるような新しい日本オペラの世界を、プロダクションでひとつのファミリーのようになってあたたかくつくりあげていきたい。お客様には、ぜひ両チームを見比べて楽しんでほしい。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第38弾は、前回に引き続き日本オペラ協会本公演のスーパーオペラ『紅天女』に出演の丹呉由利子氏と、長島由佳氏。丹呉氏は1月11日・13日・15日、長島氏は1月12日・14日に、「伊賀の局」役として出演されます。原作に登場しない未知の役どころの魅力や、その役に取り組む意気込み、一緒につくりあげる共演者などについてたっぷり語っていただきました。
オペラに新しい風を吹かせる期待感、“初の試み”を体現する責任感。
ー今回も前回に引き続きスーパーオペラ《紅天女》にご出演のおふたりにお越しいただきました。1月11・13・15日に「伊賀の局」役でご出演の丹呉由利子さんと、同じく「伊賀の局」役を1月12・14日に演じられる長島由佳さんです。まずは恒例ですが、作品に臨むおふたりの意気込みをそれぞれお聞かせください。
まず、この作品に参加するきっかけとなった話なのですが、私はずっとイタリア作品を中心に学んできました。私自身が自ら「日本オペラを歌いたい」という気持ちになったときに門を叩いてみようと思っていたのです。ここ1年ぐらい日本の歌を歌う機会が多くなってきたときにちょうど本公演のオーディションの情報を目にして、「伊賀の局」という役をいただきました。参加してみて感じたことは、作品にとても期待を持てると感じていることです。日本オペラ協会ってすごく伝統のある団体なので、古き良き“クラシックなもの”を大事にしていくことはもちろん大切だと思うのです。それは普遍的なものだし、根底に持つべき軸ではあると思うのですが、一方で新しい風も取り入れてようとされています。今回の《紅天女》の収録されている『ガラスの仮面』って、たとえまだ「オペラ」を知らない方でも知っている可能性の高い、新しいお客様へのアピール力がすごくある作品だと思うし、それが一流の人々が集まる団体によってきちんとしたオペラの形になっているという点に、私自身とても期待を持っています。オペラに初めて触れる方の来場が多くなると思うので、そこでひとりでも多くのお客様が生の声で表現することの良さや、人間の声が持っているパワーみたいなものに気づいてくださり、今後オペラのファンになっていただけたらいいなと思っています。
ーご自身でも作品に期待をお持ちで、楽しみにされているのですね。長島さんはいかがですか?
私は本公演が、まず『紅天女』の結末まですべてが明らかになるのが初めてということ、作曲家の寺嶋民哉先生が作曲なさった初めてのオペラということ、美内すずえ先生がお書きになった台本が初めて世に出るということ、などいろいろ初の試みが多いなかで、その体現者としていかに美しく舞台上で表現できるかという責任感を強く感じています。オーディションを受けたときのほうが「受けてみよう!」と意気込みはあったかもしれません(笑)。その意気込みが、今は責任感に変わった感じです。
体も心も強く、しなやか。人間女性の象徴のような「伊賀の局」の魅力。
ー今回おふたりが演じる「伊賀の局」という役は、原作である『ガラスの仮面』のなかの《紅天女》には描かれていないですよね。一体どういった人物なのでしょうか?
伊賀の局は楠木正儀の奥さんで、実在の人物なのです。確かに原作には登場しないので、私も最初の頃にインターネットや文献で調べてみたら、すぐに情報が出てきました。それによると、男の人たちが怖がる幽霊を追い払いに行くだとか、松の木を倒して川に架け、橋にして皇太后様を背負って渡ったとか、すごく強い女性としていろいろな逸話が残っていて、それを読んできっと素敵な役に違いないと思いました。
ーなるほど。楠木正儀の妻として、実在した女性なのですね。
先日、美内先生ご自身からお話いただいたことなのですが、台本にはもともと伊賀の局と夫・正儀のやりとりがあったけれど、それを全部楽譜に起こすと6時間ぐらいかかる公演になってしまうので、ずいぶん削られたのだそうです。けれど、私たちとしてはぜひその楽譜に起こされなかった部分も踏まえて役に臨みたいと思ったので、先生にいろいろと聞かせていただき、それでずいぶん伊賀の局という女性のキャラクター像が見えてきました。
《紅天女》という作品には、どこか日本神話のような、ファンタジーな要素があると思うのですが、そのなかに私たちの家族が実在の人物として出てきて、加えて伊賀の局は、おそらく古今東西、万国共通すべての女性たちがこう感じるのではないかなと思えるような歌を歌います。美内先生の台本には、ただの面白くて素敵なファンタジーでは終わらない厚みのようなものがあり、メッセージ性がものすごく強いなと思うのですが、実在の人物である私たちが登場することで、「現実味」というその“厚み”の一助になれるのかなと思いました。伊賀の局は、いわば「人間女性の代表」であると強く感じています。
はい、私もそのことは感じます。
ー伊賀の局や楠木正儀ら実在した家族の存在が、ドラマをよりいっそう骨太にしているのですね。
そうですね。先ほどもお話ししたように、美内先生からもお話を伺うことで、よりいっそう伊賀の局という女性の力が強く、たぶん精神的にも強い勇敢な人物像が見えてきたのですが、さらに踏み込むと、私はその「強さ」というのは、「柔らかさ」のことではないかと思うのです。物質としてハードでガチッとしたものは意外と壊れやすく、反対に柳の枝のようなものこそ、柔らかそうに見えて実は雨にも風にも耐えうる強さを持っているのでは、と。私が捉えている伊賀の局の強さとは、そういうイメージです。
ー芯の強いしなやかさ、という感じですね。
はい。そう思います。
ーなるほど。では、実際彼女をどのように表現しようと考えていらっしゃいますか?
息子の楠木正勝は、父・正儀のことを頼りない男性だと思っているのですが、妻である伊賀の局はそんな夫を信じているし、支えたいと考えていると思います。それがはっきりやりとりとして描かれているわけではないのですが、その気持ちを表現したいし、それは楽譜に書かれていない“音楽の行間”をどう埋めていくかという作業になると思います。
伊賀の局を含めた家族のことを「人間チーム」と捉えていて。紅天女が天女だからこそ抱える苦悩と、伊賀の局がこの時代に生きている女性であり母であり妻である存在だからこそ感じている苦悩って、全然種類が違うのですが、大きく捉えたときに同じ女性として、紅天女は考え抜いた結果出した答えがあり、そして人間の女性もそれはそれで苦しみながらも必死に考えて生き抜いたというところが出せればなと思っています。そこが表現できたら、最終的には伊賀の局の強さみたいなものをお客様に感じ取っていただけるのではないでしょうか。
それでいうと、「伊賀の局」として強く生きながらも、私が歌い演じることで夫や息子を役として、より鮮明に浮き上がらせたいとも思っています。夫・正儀は妻のことを「留守を守ってくれてありがとう」と信頼してくれていて、妻は妻で、家を守ることで夫と一緒に闘っているつもりでいる。そのお互いが敬いあって成り立っている関係みたいなものが出せればいいですよね。
私は、「世の中を動かしているのは、実は女性である」みたいな部分を、彼女に感じています。テレビの時代劇などでも、「その時代を強く生きた女性」ってここ10年ぐらいテーマになる確率が高い気がしていますが、伊賀の局もそれに近いような気がします。作品の舞台となっている日本の南北朝時代にあっても「戦争だけが全てじゃない」というような視点の慈しみ方を、女性って持っている気がします。この時代の、不特定多数の武士の妻であり母親たちは、多かれ少なかれこういう思いを抱いて強く生きてきたのだな、と捉えています。
ーおふたりそれぞれの捉え方もありつつ、現代の女性にもとても共感していただきやすい人物なのですね。
過去のモデルもないので、両チームでそれぞれ全然違うものになると思いますし、ぜひどちらのチームの日もお越しいただき違いを楽しんでいただきたいです。
ー確かに、両チーム必見ですね!
みんな完成形は知らないけれど、みんな同じ方向を向いてつくっている。
ー共演者のみなさんは、お仕事をご一緒されたことのある方が多いですか?
はい。狭い世界なので、どこかで共演したり、お会いしたりしている方が多いですね。たとえば、私たちふたり、長島由佳さんとはとても仲良くさせていただいてます!
そうですね、密かにユニットを組んだりしていて…(笑)
ーそうなのですか!すごく仲良しでいらっしゃるのですね!
はい!あと、阿古夜×紅天女の小林沙羅さんとは、実は別の現場で一緒にお仕事をしているときに、偶然2人とも紅天女のオーディションを受けていて、オーディションのお話もしていました。同い年ですし、とても素敵な女性なのでまたご一緒できるのが楽しみです。あとは、今回日本オペラといっても日本オペラ協会の会員の方だけでなく、門戸を広く開いて団体やジャンルの垣根を越えたキャストの方も揃っているので、みなさんとどんな舞台をつくっていけるかも楽しみですね。
私、本プロダクションのなかで一番長くお付き合させていただいているのは、中村靖先生ですね。研修生の頃には講師をされていてお世話になりましたし、先生がオーナーをされている旅館で歌わせていただいたこともありますし。だから、先生でもあり、最近はこのように共演することも多く、どこか精神的に頼りにさせていただいている存在です。
夫・楠木正儀役の岡昭宏君と、同年代同士で夫婦役をやるというのもどんな感じになるか楽しみですね。相手役って、それが年上の方でも年下の方でもいろいろと勉強になるので。
確かに。でも、基本的にみなさん仲良く、アットホームな感じでやっています。今日の日まで記者会見があったりコンセプトの説明会があったり、と本当に初めてのものを同時にスタートしている仲間なので、誰と誰が仲良し、誰と誰が初対面、というよりは本当にファミリーのような感じです。同じスタート地点にいて、みんなでつくりあげるっていくあたたかい雰囲気。
ーそれは素晴らしいことですね!園田隆一郎さん、馬場紀雄さんはいかがですか?
私、園田マエストロをとても尊敬していまして、今回や、来年6月の『フィガロの結婚』など、ご一緒できる機会が続きそうなことをとても嬉しく思います。普段はヨーロッパのベルカント・オペラやロッシーニ作品に精通されている方ですが、園田先生が指揮する“日本オペラ”って私は初めてなので、今回どういう風に振られるのか楽しみです。
そうですよね!馬場先生は、以前『死神』という作品でご一緒していて。そのときは「台本に忠実にやる」という方針で、ト書きに「ビキニ姿で」と書いてあったために本当にビキニを着たりしました(笑)。そのとき以来、久しぶりのお仕事ですが、あのときのように台本のもつ世界観を忠実に、美しく再現してくださると思うので、そういう意味では原作ファンの方にも喜んでいただける舞台になると思います。
ーなるほど!コミック、そして美内先生が思い描いていらっしゃる世界観がどのように舞台に現れるか、楽しみですね!さて、今回はおふたりにたっぷりと「伊賀の局」や《紅天女》について語っていただきましたが、最後にちょっと趣向を変えて、オフの日の過ごし方を少しだけお聞きしてもよろしいですか?
オフの日ですか?私は鎌倉の近くに住んでいて、海まで散歩に行ったりすることは好きですね。特に夜の海が好きです!そんな休日か、もしくはベッドから一歩も出ない(笑)。
それが「オフ」だよね!私、娘がいまして、歌ってないときはお母さんなのです!だから、完全なオフとはいえないかも…お母さんが「オン」だから。でも、娘が生まれる前って、ずっと延々歌のことを考え続けていましたが、今は子供と向き合うときはそちらに集中しなければいけないので、どうしたって切り替えなきゃいけなくて。その切り替えが、ある意味ではいいことかなと思っています。
あれ、ランニングとかしていなかったっけ?
あ、してる!でも、あれはオフの過ごし方というより、歌のためのルーティーンワークだから…私は、丹呉さんと同じ神奈川県民なのですが、どちらかというと山側に住んでいるので、信号も少ないですし走りやすいのです。
いいなぁ。同じ伊賀の局でも、私は海に住んでいて、長島さんは山に住んでいる。ここにも対比がありましたね!
ー本当ですね!おふたりとも、自然のパワーやご家族との時間を糧にされているのですね。貴重なお話、ありがとうございました。
聞いてみタイム♪
アーティストからアーティストへ質問リレー。
山本康寛さんから、丹呉由利子さん&長島由佳さんへ。
ーさて、恒例の、歌手から歌手への質問コーナー「聞いてみタイム」です。今回は、前回の山本康寛さんから、丹呉由利子さんと長島由佳さんへのご質問です。
ーおふたりにとって、日本語を歌うこととは?
やっぱり精神的にとてもダイレクトですよね。歌を始めて、テクニックを磨きたいとかいい声を出したいとか、それって表現するための“道具”を集めている段階で、その道具を集める作業と、“表現”をする作業って違うと思うのです。どんなにイタリア語を一生懸命勉強して、どんなに自分自身が理解していて噛み砕いて歌っても、やっぱりお客様は字幕を見て聴いている。日本語ってそうではないなと。日常的に使っている言葉で私たちも表現できるし、お客様にも捉えていただける。何か表現したいものがあるから、そのために道具を集めて、表現につなげるのが再現芸術家だとしたら、日本語で歌うことってとてもそれがやりやすいと思います。
ー確かに、日頃使っている言語ですものね。日常的に使っているからこその難しさもありませんか?
それはあると思います。でも、そこをクリアにできれば、やっぱり聴いている方には「分かりやすかった!」と言っていただきやすいのだと思います。私、オペラにかしこまって来てほしくないなと思っていて。『ラ・トラヴィアータ』とか『フィガロの結婚』とかいうと、やっぱりどことなくかしこまっていらっしゃる方も多いなかで、「日本語の作品だから」というとホッとされる部分ってあるように思います。
私の場合、最初は日本オペラ振興会の藤原歌劇団に入団したのです。でも、海外の作品を歌うことに、何か肚に落ちないものをずっと抱えていて、ある日日本オペラの合唱に乗った時に「嘘がないな」と思ったのです。誰がどんな発声で歌い、どんな解釈でそのセリフを捉えても、嘘がない。それは日本語で歌う方が行間が読みやすく、肚に落ちやすいとうことだったかもしれません。私のなかでも、そのことですごく生き生きと歌ったり演じたりすることができたから、なんの迷いもなく日本オペラ協会に移籍しました。それは、今丹呉さんが話したことと似ていると思います。10年ぐらい経ち、だんだん歌というものを学んでいくうちに、海外のものと日本のものを歌うときでそんなに自分の体の楽器としての使い方って変わらないのだな、表現するってことにも変わりはないのだなと、逆にようやく気がついてきました。
ー長く日本語を歌っていらしたからこそ、そこに“海外作品”とか“日本作品”という差のない、表現の根幹のようなものを見つけたのですね。
今回の《紅天女》の台本を最初に読んだとき、私が日本オペラデビューのときに出させていただいた『天守物語』という作品に少し似ているなと感じました。『天守物語』の主人公である富姫の、自然界をとても大事に思っているところや、相手役の図書之介が殿さまの鷹を取りに天守へ登ってきたとき、「鷹は誰のものでもない。鷹には鷹の世界がある。」というセリフが、紅天女に通じる部分を感じます。これは、日本人ならではの自然への捉え方なのかもしれません。『天守物語』がより日本的、《紅天女》はそこにもう少し現代的な要素が加わっていると感じますけれどね。
取材・まとめ 眞木 茜