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  7. Vol.5-光岡暁恵・鳥木弥生 2

CiaOpera!

熱いエネルギーと軽やかな洒落っ気。ゼッダ氏とロッシーニに通じるもの。

—次に、12月に控えた『アルベルト・ゼッダ スペシャルコンサート 〜米寿を記念して〜』のお話もお聞かせ願えますでしょうか。2部構成のうち、おふたりは後半のカンタータ「テーティとペレーオの結婚」に出演されるのですね。おふたりとも、この作品は初めてですか?

鳥木)初めてです。すごく珍しい作品で、楽譜はイタリアから手書きのものを取り寄せたんです。

光岡)そうなんです、それを打ち込みの楽譜に起こしていく作業から始めたんです。あと、私は“カンタータ(合唱・アリア・重唱などで構成される歌劇。オペラほど演技を伴わない)”というスタイルも初めてです。

—そうなんですか!おふたりお勧めの聴きどころはありますか?

鳥木)この作品でも、私たちは「チェーレレ」というソプラノの役と「ジュノーネ」というメッゾソプラノの役でデュエットがあります。あと、このチェーレレのアリアは、その後ロッシーニがオペラ『チェネレントラ(シンデレラ)』にも転用しているんですよ。チェネレントラはメッゾソプラノの役なので、「とられた!」という感じです(笑)。

—それは聴いてみたいですね!

鳥木)私が歌うジュノーネという役は神様で、古代ローマ神話の最高神ユピテルの妻ですね。とても嫉妬深いんです。

光岡)チェーレレは「豊穣の女神」。古代ローマ神話を題材にした、お祝いにふさわしいおめでたいストーリーなんです。きっと“ロッシーニの神様(ゼッダ氏)”が、素敵に仕上げてくださると思いますよ。

アルベルト・ゼッダスペシャルコンサート光岡暁恵、鳥木弥生

—ゼッダ氏とは、今まで何度も共演されていらっしゃるのですか?

鳥木)そうですね、10年前ぐらいの『ランスへの旅』もあるし、私は『タンクレーディ』もあったし。去年も、もう一度『ランスへの旅』がありました。

光岡)私も『ランスへの旅』と、ヴェルディの『ファルスタッフ』もご一緒しました。私はロッシーニが大好きで自分のレパートリーでもあるので、歌うたびにご一緒させていただけて嬉しいです。厳しい方ですが、得るものも大きいんです。

鳥木)厳しいですよね。怒ることもあります。でも、作品の「あるべき姿」が分かっていらっしゃるので、そうじゃないものが受け付けられないというか。ゼッダさんにとっては「当たり前のこと」なんでしょうね。

光岡)なんで怒られているのか分かるんです。こちらも「ゼッダさんが目指しているものってこうなんだ」ということが分かって頑張れるし、それで良くなったときはすごく喜んでくれるし。それから、指揮をしながら歌手とすごく対話するんですよ、「今、今来て!」みたいな。そういうコンタクトをとれる、語りかけてくれる人ってそうはいないですね。

鳥木)それで、最終的には歌手に寄り添ってくれるよね。素晴らしい方です。

光岡)88歳ですけど、すごくお元気なんですよ。

鳥木)そうそう、稽古も「午後じゃなくて、朝がいい!」なんて言うし(笑)。“役者”だよね!

光岡)役者だね!『ランスへの旅』のときなんて、登場人物が何人もいるけど、指揮を振るたびにマエストロがひとりひとりのキャラクターに変わっていくので、そんなマエストロを見ているとすごく楽しいし、役づくりのヒントになったりするんです。

—表情が変わっていくんですか?

光岡)そう、小節ごとに表情が違うんです。

鳥木)たまに「お客さんに見せているな?」っていうときもありますよね!

光岡)そうそう!ついていきたくなる方です。

—今までゼッダ氏と共演して、印象に残っていることや言葉はありますか?

アルベルト・ゼッダ、光岡暁恵、鳥木弥生

2011年 藤原歌劇団公演
「セビリャの理髪師」
指揮:アルベルト・ゼッダ
ロジーナ役:鳥木弥生

鳥木)『セビリャの理髪師』のときに、高橋薫子さんはいつも「楽譜どおり歌うな!」と言われて、私はいつも「楽譜どおり歌え!」と言われてました(笑)。私はものすごく楽譜どおりやっているつもりだったんですけど、何か飛び出しちゃうものがあるみたいで。「ここは、言葉として感じたものがついつい出ちゃう感じではあるけど、音楽が崩れるほどやりすぎはダメ。」と言われたんです。

光岡)でも「程よく崩していいよ。」というときもあって、そのさじ加減はやっぱりマエストロじゃないと出来ないバランスですよね。こちらの偶然の産物が褒められることもありますし。

鳥木)そこがうまくいったときの喜びは大きいよね。あと私の耳によく届いて来るのは「君たちは真面目すぎる。もっと遊べ。」という言葉かな。ロッシーニの洒落っ気というか。ロッシーニって、イタリアの作曲家にはあんまりいないタイプだと思うんですよね。ヴェルディとかも、ふざけているようなシーンでもどこか真面目な感じがしますけど、ロッシーニはそうじゃない。

光岡)ゼッダさんは、「ロッシーニだったら、それぐらい許してくれるよ。」っていう言い方をされるんですよ。そこは私たちには分からないような部分なんですが、ゼッダさんは、どこかでロッシーニと対話してるんですよね(笑)。

鳥木)ロッシーニに近づいてるよね!

光岡)うん、近づいてる!

鳥木)ゼッダさんはスペインに住んでいらしたことがあるからかもしれませんが、どこか生粋のイタリア人とは少し違う洒落というか、軽さのようなものを感じます。フランスでいう“エスプリ”みたいなものを、ロッシーニからも感じるし、マエストロからも感じます。

光岡)プッチーニの悲劇オペラみたいな“お涙頂戴もの”はいいんだけれど、ロッシーニの作品は、楽譜から感情みたいなものを起こし、自分の身にしてから外に出していくのが難しい、とマエストロはおっしゃるんです。でも逆に、その作業が出来て楽しめるのはロッシーニの作品ならではなので、研究のしがいはありますね。技術的なバリエーションもいっぱいあるし、そういうものを追求する楽しさはあります。

—ゼッダ氏の話を聞いているうちに自然とロッシーニの話に移行してきていますが、やはりふたりの間には重なるものがあるのですね。

光岡)やっぱり、ロッシーニといえばゼッダさんですからね!

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