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CiaOpera!

CiaOpera!(チャオペラ)Vol.6 カルメン出演 須藤慎吾
Vol.6 -
須藤慎吾

『カルメン』新解釈との出会いと、
バイクと読書の日々。

「生と死を分かつ瞬間に始まる。」スペイン文化としての“闘牛”が持つ深い意味に触れて至った、闘牛士「エスカミーリョ」の、そしてオペラ『カルメン』の新たな解釈。指揮者の山田和樹氏や共演者の笛田氏やニコリッチ氏、演出の岩田達宗氏らと、ときに音楽で、ときに言葉で語り合い、せめぎ合いながらフランスのエスプリとスペインの情熱が入り交じったライブをつくりあげていきたい。日常の移動は、とにかくバイク。大好きな本もカフェや公園、大自然の中で読むアウトドア派。四季の移ろいを肌で感じながら、愛車にまたがり街も山も駆け抜ける。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第六弾は、2017年2月に『カルメン』への出演を控える須藤慎吾氏に、闘牛士「エスカミーリョ」への新たな解釈や共演の方々について、また興味深いご自身の趣味についてお話を伺いました。

生と死のはざまで輝く、「エスカミーリョ」の存在感。

−まずは、来年2月に控える出演作『カルメン』についてお話を伺いたいと思います。闘牛士の「エスカミーリョ」という役は今まで何度も歌われていると思いますが、歌うたびに心構えに変化はありますか?

そうですね、エスカミーリョは毎回演出によってずいぶん違うんです。最初に歌ったのはミラノでしたけど、「闘牛士の歌」がアルゼンチン・タンゴ調に編曲されていたんですよ。そんなデビューだったんです。だから変わっていくといえば演出と、それから自分の中でのエスカミーリョの捉え方でしょうか。

−捉え方ですか。今度の公演ではどんな捉え方で臨まれるのですか?

今までのエスカミーリョって、これはどんなバリトンの人も一度は感じる一般的な認識でもあると思うんですけど、少ししか出ないのに重要なシーンをいただく“おいしい役”だと思っていたんです。大事なのはやっぱりカルメン、そしてその恋人であるホセがどうなっていくのかという、ふたりの恋の行く末の物語なんだとずっと思ってきて、そんな中でエスカミーリョを何度も歌ってきたんですが、少し前にフラメンコの先生と話す機会があって。最初はオペラと関係なくフラメンコの話をしていたんですが、「スペイン文化としてのフラメンコというのは、“生と死の時間を分かつ”という芸術。すべてアドリブで行なわれて、スペインの民族的な文化を表現している。」と先生がおっしゃるので僕もなるほど、と聞いていたら、「闘牛も同じなんだ」と言い始めたんです。「闘牛がある決まった時間に始まるのも、その時間が“生の時間”と“死の時間”がくっきり分かれる瞬間だからだ。」という話をされたので、僕も「それはなんだ?」と興味を惹かれたんです。そのあと、自分で少し調べてみたのですが、資料がとても少ないんですよ。

須藤慎吾

−そうなのですね!

いわゆる写真集や旅行者向けの情報はありますけど、日本語の文献は特に少ない。英語のもの、あとスペイン語のものであれば山ほどありましたが、僕もさすがにスペイン語は分からないし。そんな中で、唯一僕が「これは、深いな」と感じたものは、フランス人のミシェル・レリスが書いた「ミロワール・ドゥ・ラ・トーロマシー(闘牛の鑑)」という本なんです。文章は日本語に訳しても結構難解ではあるんですけど、内容が面白いんですよ。闘牛がただの残虐なショーではないということや、どういう風に成り立って来たかや、ギリギリで身をかわすことが大事であるというようなことが書いてあるんです。闘牛を実際にご覧になったことはありますか?

−テレビや映画でしかないですね。

そうですよね。でも最近は動画サイトなどで貴重な花形マタドールの闘牛を見ることができるのですが、見てみると本当に動かないんです!足も動かさず、体も動かさないで、片手に持った布だけを牛に見せて気を引き、不思議なポーズをとってから背に隠す。牛は体のギリギリを通るんですけど、マタドールは一本芯が通ったようにピシッと立ったままなんです。そして観客の「オーレ!」という掛け声で、どんどん熱狂に包まれていく。本当に死と隣り合わせの状態にあるんです。そんな風に資料を調べていくうちに、『カルメン』のオペラと原作がだいぶ違う理由はそこにあるのかな、と思えてきたんです。オペラではジプシーの世界と闘牛の世界がミックスされていて、“闘牛”はかなり重要な位置を占めてくるのかな、だから闘牛士であるエスカミーリョも、自分が思っていたようなポッと出の、ホセのちょっとしたライバルというようなことではないのかなと。オペラの中で、カルメンという女性は全体を通して“死の世界に生きている女”として描かれているんですね。“生と死”の芸術であるフラメンコも踊りますし、タロット占いをするシーンでも“死”のカードしか出ない。一方でエスカミーリョは、ギリギリのところで生きて、すごく輝いている人間なんです。登場してから最後まで、生きて、生きて、生きている。そこにカルメンは惹かれる。表と裏で考えたときに、「カルメンとホセ」だけではなく、「カルメンとエスカミーリョ」も対にできるのかもしれないな、と思ったんです。

須藤慎吾

−すごく捉え方が変わったんですね!

ガラリと変わったんです。最後のシーンが闘牛場の前なんですが、闘牛が今から始まるという、いわゆる「生と死が分かれる時間」、まさにそのときカルメンとホセが向かい合い、ホセの剣のひと突きでカルメンが死ぬというのがまるで闘牛のシーンのように感じられるんです。ミシェル・レリスの本には「闘牛は、ただの残虐な見せ物ではないのではないか」と書かれているんですが、カルメンも、おそらく“可哀想”ではないんじゃないかと思うんです。闘牛の、神聖な生き物である牛と命を賭けて闘う闘牛士という状態と同じで、まぁホセが闘牛士と同じかどうかは分からないですけど、カルメンは「神聖な生き物として突き進んで行って、最後には殺される」んだ、このオペラは単なるジプシーの話とかではなくて闘牛とは切り離すことのできない話なんだ、と。そう感じたときに、自分の中で今まで小さな脇役だったエスカミーリョという存在が大きく膨らんで。彼女と会っている時間は短いんですけど、それこそみんなが興奮するような、そんなシーンを作らなきゃいけないかなという気がしています。

−解釈を深めたことで、歌に一層の説得力が出て来るかもしれませんね!

そうですね、解釈は深められたかもしれないですね。原作ではエスカミーリョは「リュカス」という名前で一言もしゃべらないんですけど、やっぱりなんだか出しゃばっている。それは、原作者もメリメというフランス人、オペラ作曲家のビゼーもフランス人で、外国であるスペインという国の異国情緒と闘牛という文化の異様さに、ふたりとも惹かれたからなのかなと思います。

−とても深みのあるオペラだったのですね。

一見お祭り騒ぎのオペラみたいに思えちゃうんですけど、そうじゃないんだな、と。これが正しいわけではないけどね、僕が個人的にそう思うのであって(笑)。

−でも、ひとつの解釈として筋が通っているように感じられます。

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