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  7. Vol.29-楠野麻衣 3

CiaOpera!

オペラ歌手への目覚めは、「本物」がもたらす感動と、祖母の喜び。

—先ほどオペラ歌手育成部のお話が少し出ましたが、育成部にいらしたときの思い出はありますか。

私は東京の音大ではなく徳島の総合大学出身で、声楽の同期は7人しかいませんでした。オペラがやりたくても相手になってくれる人がほとんどいないという環境だったので、ヴァイオリンの子を引っ張ってきて相手役のパパゲーノを歌ってもらったこともあります(笑)。だから、同じ志を持つ仲間とともに、実際プロのオペラの現場に携わる先生方から教わるという経験は育成部が初めてで、オペラに関することはすべて育成部で学んだなと思います。私はオペラの勉強がしたかったので、進学先については他のオペラ団体もいろいろ調べました。ここの育成部に魅力を感じたのは、歌だけではなく、お芝居、メイク、ダンスステップ、日本舞踊など、オペラをやる上で必要な要素を総合的に教えてもらえるところです。実際、日舞の授業では浴衣の着付けを教えてもらったので、今回のような日本オペラのときにも、稽古着くらいは自分で着られて助かります。イタリア物のオペラに関しては「L」と「R」の発音ひとつとっても、細かく教えていただきました。テクニックだけではなく、舞台人としての心得もたくさん教わりました。なかでも、演出の先生から「今の日本の舞台芸術のなかで、オペラを観に来るお客様は1%ぐらいしかいない。その1%を0%にするのか、2%にしていくのかは、君たちにかかっている。」と言われたことは、この先のオペラ界で生きていく上での覚悟にも繋がりました。

楠野麻衣

修了公演の写真と、授業で出されたダメ書きを記したノート

—本当にたくさんのことを学ばれたのですね。そして、入る前に結構リサーチもされたのですね!

そうですね。上京するきっかけとなったのは大学3年生のときのイタリア旅行でした。ヨーロッパには14日間滞在したのですが、毎日が感動の連続でした。その時に「今までやってきた音楽は全部ウソだった!」と思ったんです。元々は地元の大学の専攻科に行こうと考えていたのですが、やっぱり外へ出て歌の基礎を一から勉強したいと思うようになりました。歌の個人レッスンはいくつになってもできるけれど、オペラのように時間をとって人と一緒に勉強することは若い時じゃないとできないなと。それで資料を取り寄せたり、実際の出身者の方に話を聞いたりしました。

—なるほど、合点がいきます。それにしても、「今までの音楽は全部ウソだった」という言葉が印象的ですね!どんなときにそれをお感じになったのですか?

不思議なことに、そう感じたきっかけは絵画作品でした。フィレンツェのウフィッツィ美術館で、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」や「春」を観たときに、雷に打たれたかのように心が動かされたんです。それまでも美術の教科書や写真で見たことはありましたが、これといって良さはわかりませんでした。でも実際に作品を目にすると、大きさに圧倒されて、足元の野の花の細かいところまで丁寧に描き込まれていることにびっくりしたんです。「写真はこんなことまで伝えてくれなかったじゃないか!」って(笑)。本物の良さは実際に出逢ってみなければ分からないんだなと感じたとき、自分がやっている音楽はうわべをなぞっているだけで本質に触れていないように思えてきました。元々「音楽の先生になれればいいかな」と思っていたのですが、もっと良いものを見て、聴いて、本物といえる歌を勉強をしたいと思うようになって。正直、その頃は藤原歌劇団の事すらよく知らなかったのですが、2年や3年という時間を費やすのであれば、自分の力を底上げしてくれる育成機関に行きたいなと思ったのです。

楠野麻衣

フィレンツェ宮殿での一枚。メディチ家の至宝と言われる美術品の中に「ヴィーナスの誕生」や「春」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」などがある

—そこで、日本オペラ振興会のオペラ育成部を選ばれたのですね。音楽自体は子供の頃からお好きだったのですか?

小さい頃から歌うこと自体は好きだったのですが、元々音痴で。

—え!そうだったのですか?

家で歌っていると、母や姉に「音程違うよ。」と言われたりして(笑)。歌うのは好きだけど人前ではちょっと恥ずかしい、と思っていたんです。でも小学校5年生のときに、母の勧めで合唱部に入ってからは、知らないうちに音痴も治って(笑)すっかり歌のとりこでした。うちは祖父母と二世帯で住んでいたのですが、祖母は長らく病気をしていて家にいる時間が長かったんです。私が家で歌っていると、その祖母がこっそり聴きに来て「麻衣ちゃん上手やなぁ。もっと歌って。」と褒めてくれたのが嬉しかったものです。

—ご家族の応援や、お祖母様の笑顔あってのことだったのですね。

はい。祖母は病気による手術の影響で、亡くなるまでの十数年は固形物が何も食べられませんでした。食べることって、人間が生きていく上での大きな楽しみだと思うんですよね。その楽しみを失ったときに、人は何に喜びを見出して生きていけばいいのだろうかと考えると、やっぱり音楽の力って大きいのかなと。当時は子どもだったのでそこまでは考えていませんでしたが、家族が喜んでくれることは幼いながらに嬉しくて、「もっと上手くなって喜ばせたい」と思っていました。今でも、お客様に喜んでいただける歌を歌いたいと思うことに変わりはないし、私が歌手として成長していくことが、誰かの楽しみになっていければ本望だと思っています。

新企画<聞いてみタイム>♪アーティストからアーティストへ質問リレー

アーティストからアーティストへ質問リレー。澤﨑一了さんから、楠野麻衣さんへ。

—さぁ、アーティストからアーティストへの質問リレー、今回はどんな質問が届いているでしょうか。

日本とイタリアで、一番違うところはどこですか?

この質問が一番難しいですよね(笑)。私のイタリア生活はトータルしても1年ぐらいですし、何から何まで違うことだらけなので一番を決めるのは難しいですが、太陽が違うなとは思いました。留学中にローマまでコンサートを聴きにいって、そのあと半日ぐらい観光したのですが、まだ4月だったにも関わらず数時間外にいただけでやけどみたいにくっきり真っ赤に日焼けしちゃって。その夜はおしぼりで冷やして寝ました。気候って、その土地に住む人を育てるじゃないですか。だからあの太陽が、カラッと陽気なイタリアの人たちを育てるのかなと思いました。あとは、言葉と。

楠野麻衣

—太陽と言葉、ですか。

そうですね。現地で触れ合って体感してみないととわからないことの一つかなと思いますね。

—それこそ、写真で見るのと肌で感じるのとでは違いますよね。

はい。イタリア人が、「今日は湿気がすごい」と言っていましたが、日本の湿気を知っている者からすると「どこが?」と思ったり(笑)。ナポリへ行ったときは、天と地の間に遮るものがなく、突き刺さるような日差しが心地よくて「オー・ソーレ・ミーオ」はこの太陽を歌っているんだな感じました。

楠野麻衣

写真はポンペイでの一枚。強い日差しと乾いた風が伝わってくる

—シンプルなようでいて、何か深いものを感じる組み合わせですね!ありがとうございました。

取材・まとめ 眞木茜

PROFILE:楠野麻衣 Mai KUSUNO

楠野麻衣

2017年 日本オペラ協会公演
「ミスターシンデレラ」赤毛の女役

徳島文理大学卒業、優秀卒業演奏賞受賞。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第31期生修了。第4回徳島音楽コンクールでグランプリを受賞。これまでに、五十嵐麻利江、大戸井啓子、平岡路子の各氏に師事。13年、ペーザロでのアカデミア・ロッシーニアーナに日本オペラ振興会の推薦で参加。世界的指揮者A.ゼッダ氏の下で研鑽を積み、同地のロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルにおける若手公演「ランスへの旅」にモデスティーナで出演。藤原歌劇団には、15年「ランスヘの旅」のモデスティーナでデビュー。17年日本オペラ協会「ミスター・シンデレラ」赤毛の女で出演。その他、「魔笛」夜の女王、「ラ・ボエーム」ムゼッタ、「天国と地獄」ヴェヌス等のオペラやコンサートに多数出演。また、TVCMやラジオなどのメディアにも活動の場を広げつつある新進気鋭のソプラノ。
日本オペラ協会会員。藤原歌劇団団員。徳島県出身。

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