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作品について

中村 透 台本/作曲「キジムナー時を翔ける」

オペラ全2幕 日本語上演

ただひたすら ぬちかじり   この神木の生命に くぬかみきぬぬちに
我が身の魂を どうぬまぶい   重ね合わすのだ かさにあーし ──

イントロダクション

 オペラ「キジムナー時を翔ける」は、北海道出身でありながら沖縄に魅了され、生涯のほとんどを沖縄に捧げた偉大な作曲家である中村透の台本・作曲による傑作で、1990年度文化庁舞台創作奨励特別賞(グランプリ)を受賞しました。2001年以来の再演となる今回は、2019年2月に急逝された中村透氏を偲び、三回忌と重なる2021年に追悼公演として新演出で上演致します。
 リゾート開発による自然破壊に揺れる現代の沖縄を舞台に、沖縄伝説のガジュマルの木に宿る妖精“キジムナー”を通じて過去と未来にタイムトラベルし、今日的テーマである「人と自然のあり方」「伝統の尊さ」を現代に生きる我々に優しく問い掛けるファンタジックオペラです。現代感覚の親しみやすい音楽の中に、沖縄固有の旋律や方言などで沖縄の風土色を感じさせるこの作品は、これまでに「琉球楽器が見事に調和した多彩なオーケストレーション」「沖縄旋律の広がる終幕に熱い感動」等、新聞評で絶賛され、台本を手掛けた作曲家の手腕も称賛されました。
 今回、キジムナー“カルカリナ”に、沖縄出身で美しい舞台姿と確かな歌唱力で人気を得ている日本を代表するソプラノの砂川涼子と、日本オペラのベテランでありどんな役をも歌いこなすテノールの中鉢 聡が同役を担い、声種の異なる二人がそれぞれどのような妖精を演じるのかに注目が集まっています。沖縄のオバアを演じるのは、その存在感で高い評価を得ているメッゾ・ソプラノ、沖縄出身の森山京子と松原広美、その他人気と実力を兼ね備えたキャスティングでお届けいたします。指揮は初演以来度々この作品を成功に導いてきた日本が誇る巨匠・星出 豊、演出は沖縄出身の演出家・故粟國安彦を父に持ち、今や日本を代表するオペラ演出家である粟國 淳が務めます。日本オペラ協会がお届けする“心の琴線に触れるオペラ”を、心ゆくまでお楽しみください。

あらすじ

【プロローグ】
 遠くから風に乗って沖縄の民俗楽器、三線(さんしん)の音が聞こえてくる。その響きに誘われるように、オバアが登場し、闇の彼方に向かって、「えー、アカガンター(キジムナー)降りてぃくーわー」と叫ぶ。
 すると、大音響とともに闇の舞台にキジムナーの祭壇が浮かび上がり、やがてキジムナーの集団が祭壇の前で厳かに歌っている。キジムナーの長が群れのなかから進み出て、自分は遙か彼方の宇宙からやってきたカルカリナというキジムナーだと告げる。その言葉を讃え、島の繁栄と樹木の繁栄を祈るキジムナーの群れの歌が続く。

【第1幕・第1景】
 キジムナーの集団の歌と踊りが最高潮に達しようとしたところへ、突然、オバアの「踊りに、全然心が入っていない」という叱責の声が入り、儀式は中断。観客は夢の世界から現実の世界へと引き戻される。
実は、村の発祥の地といわれるここカチンジョー・ウタキの自然を守ることに生き甲斐を見出す「あこう木の宿」の主のオバアが仕組んだ拝所の祭、つまりは環境保全とリゾート開発反対運動のデモンストレーションを、村人たちがリハーサルしているところであった。
 キジムナーの扮装を脱ぎ捨てた村人たちの不満が爆発する。リゾート開発の是非という村の一大事をこんな祭のまねごとで決めるなんて、時代遅れだ」とこぼすのは、このあたりの区長である開発推進派の松堂。オバアの孫のミキは島を出て東京に憧れている。「血筋がどうとか、琉球時代の風習を尊重する時代はもう終わった。カチンジョー・ウタキよ、お前の時代はもう終わったのだ」と声を合わせて歌うので、オバアは反発して言う。「終わったどころか、やっと始まったばかりではないか。薩摩と唐の国に引き裂かれて、どこかの県にむりやりされて、気がついたら戦争に巻き込まれて、息つく暇もなくアメリカの支配。復帰だ復帰だと大騒ぎしているうちに、誰も彼もが金と欲の亡者にされて⋯⋯」と。
 そこへ登場するのが、やはりオバアの孫だが、他の村人たちとは考えが違い、自然に憧れる少年フミオである。このフミオがかつてのこのあたりの豊かな自然を懐かしむ歌を歌うので、オバアの傷ついた心も癒され、この孫を相手に、昔この山にいたと言われる大勢のキジムナーのなかで今もなお生き残っている二人のキジムナーたち、太陽のように真っ赤に輝くカルカリナと、星から生まれて青く光るパキュロの話をしてやる。フミオはそのキジムナーたちに思いを馳せる。

【第1幕・第2景】カチンジョー・ウタキのふもとの民宿「あこう木の宿」に通じる山道。
 村の開発推進派の青年比嘉マサキと、オバアの相談相手に呼び寄せられた本土出身のルポ・ライターの本多が、この山道を「あこう木の宿」をめざしてやって来るが、立場の違う二人は話が嚙み合わない。「あこう木の宿」に着きミキが迎えに出るが、マサキと区長の説得も、あくまでも伝統を重んじるオバアには効き目がなく気まずい雰囲気になる。リゾート開発に村おこしをかけるマサキらと「そうじゃない村おこしのやり方もあるのではないか?」という本多。

 場面は変わりフミオが庭先のウスク(あこう木)に向かって昔の自然の豊かさに思いを馳せ、キジムナーのカルカリナとパキュロに会うにはどうすればよいのか?と、尋ねて歌う間にカルカリナが自分の呪文の力で、三百年昔にフミオを連れてゆくことになる。

 場面は再び「あこう木の宿」に戻り、オバアとマサキの激論が続く。「たとえ観光客であろうと、村に足を踏み入れた者は顔と名前にできればそれぞれの好みなどまでも覚えて、森の神木にも一人一人の安全祈願をしなければ」と語るオバアに、マサキは「まるで生きた化石」とあきれる。
 ついに頭にきたマサキは、オバアや区長が神木だというあこう木の老木に突進して斧を一撃、二撃、三撃と打ち込んだそのとき、大音響とともにマサキの姿が消え、彼もまたフミオの後を迫って300年昔の世界にタイム・スリップしてゆく。

【第2幕・第1景】17世紀首里王府時代のカチンジョー・ウタキのふもと。
 現代のこのあたりとは違って鬱蒼とした森のなかで、様々な小動物や鳥、虫たちが生息している。タイム・スリップして超能力を備え、カルカリナと交信ができるようになったフミオに、カルカリナはこう歌いかける。「人間の閉ざされた知恵で、自然の仕組みを変えることはできない。なぜなら自然は人間だけのものではないから…」そこへ大音響とともにマサキがタイム・スリップしてくる。と、あたりを見回すところに、この時代の村の若者ジラーとそのいいなずけのマチーが姿を現す。ジラーにとっては、結婚する自分たちの仲間の家を建てるためにここの木を伐ることが必要なのだが、それをマチーが止めにきたのである。
 そんなジラーに自分の鏡を見、マチーにはミキとオバアが一緒になったような姿を見出したマサキは、二人のあとをつけて彼らの村まで行ってみることにする。そんなマサキの身を案じるフミオとカルカリナがさらにその後に続く。

【第2幕・第2景】前の景と同じ時代の村の広場。
 地頭代、村の長老、それに何人かの村人がジラーとそのアンマー(母)を据え置いて談合中である。ご禁制の王府直轄の森で、木が無断で伐採され、その嫌疑がジラーにかかっている。アンマーはカチンジョー・ウタキの木に手を出そうとした息子の告白を聞いて激怒し、厳罰にするようにと言う。そこへマサキがやって来て、現代人の異様な風体に驚く一同を前に、ジラーは木に手を出す前にマチーに諫められて思い止まった、と証言するがそれが仇となって、「不審な他所者、お前こそ犯人だろう」と、捕えられてしまう。

【第2幕・第3景】前の景と同じ村の広場の夜。月が出ている。
 マサキがガジュマルの木に吊るされているところへ、マチーとアンマーが食物を持って現れ、ジラーにどこか似たマサキにある種の親しみを抱く。そこにアカガンターに扮したカルカリナが現れ、「自分の住むガジュマルの木を罪人の処罰に使うとは許せない。すぐにこの人間を解放するように」と言われて、マサキを連れ添って逃がす。カチンジョー・ウタキの森では、ジラーが罪滅ぼしにウスク(あこう木)の苗を植え、そのすこやかな成長を祈る木の生命への祈りの歌を歌う。マサキとフミオはキジムナー、カルカリナの力を借りて再びタイム・スリップしてここから逃れる。

【インテルメッツォ】22世紀の同じ場所。
 環境破壊が進んで、灰色の世界になっている。マサキとフミオ、それにキジムナーのカルカリナは、現代を通り越してここにオーバー・スリップしてしまったのだが、二人とも死んだように動かない。カルカリナはそんななかでつぶやく。「マサキにも、フミオにも、目覚めた眠りを通して、この世界を、記憶の深い闇にとどめてもらおう」

【第2幕・第4景】第一幕・第二景と同じ現代のカチンジョー・ウタキのふもと。
 ミキとオバアが祈っているところへ、区長と本多が来て、拝所の祭りの相談になるが、リハーサルのときとはうって変わって、雰囲気は明るい。本多の知恵で祭の名称を「カルカリナ・フェスタ」と横文字にしたのが当たって、前評判も上々である。そこへ、マサキが魂の抜けたような表情で、タイムトンネルの旅から帰ってきて、「このウスクは300歳か? 今日は満月か?」などとつぶやく。

【第2幕・第5景】プロローグと同じカチンジョー・ウタキ。満月の夜。
 祭壇にキジムナーの女王カルカリナに扮したミキが立っている。オバアの遥拝に続いて、ミキを中心にキジムナーに扮した村人たちの歌と踊りが始まる。リハーサルの時とは比較にならないほどの盛り上がりを見せ、いよいよ儀式が最高潮に達したところへ、突然、本物のキジムナーのカルカリナが、マサキとフミオと連れ立って天から祭壇の側にそそり立つあこう木の頂きに降りてくる。驚く村人たちをオバアが制し、カルカリナのお告げに耳を傾けさせる。「風を見よ、水に聞け、そして土に歌え。さすれば、いのちの源は、この世のありとあらゆるものに宿り、遥かな昔から未来永劫まで、お前たちのからだを貫くであろう」遠くにマチーとジラーの姿が浮かび上がり、それを見たマサキが懐かしさのあまり三線をとって、ジラーの木の生命への祈りの歌を歌いだす。その歌はやがて村人全員の合唱へとふくれ上がってゆき、さらに喜びのカチャーシーの乱舞となる。
 カルカリナはいずこへともなく消え去った。が、最後に木から降りてきたフミオが言う「カルカリナは⋯⋯どこにでも生きている」

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