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【本文日本語訳】
オペラ「貞節の勝利」の初演からバロックコンサートまで、80年の伝統を持つオペラ・カンパニーの力量
藤原義江は、20世紀初頭に活躍した日本のテナーでした。1898年に日本人の母親とスコットランド人の父親の間に生まれ、藤原は日本で優秀なテナーとして名声を築き、1934年に日本初のオペラ・カンパニーである藤原歌劇団を設立しました。その後、藤原歌劇団はトップクラスのオペラ・カンパニーに成長し、韓国においても、1940年ソウル市民会館で行われたハルビン交響楽団と藤原歌劇団による韓国初の全編オペラ「カルメン」公演でも知られています。
日本オペラ協会との統合後、藤原歌劇団は日本オペラ振興会の一部門として、東京二期会とともに、日本の代表的な民間の歌劇団として精力的に活動をしています。初代藤原義江に続き、藤原歌劇団の二代目の芸術監督に就任した下八川圭祐が1930年に設立した昭和音楽大学と密接に協力し、相互に発展しています。
藤原歌劇団が主催したベルカントオペラフェスティバル イン ジャパン2019は、2回目の開催になりますが、イタリアのマルティーナ・フランカ町におけるヴァッレ・ディトリア音楽祭との協力によって実現しています。ヴァッレ・ディトリア音楽祭は、毎年夏にイタリア南部の小さな町マルティーナ・フランカで開催されるオペラ・フェスティバルで、主にオペラや今日ではあまり上演されない珍しい作品を上演しています。1975年から45年の長い歴史があります。
今回の音楽祭では、昨年のヴァッレ・ディトリア音楽祭で行われたアレッサンドロ・スカルラッティ作曲の「貞節の勝利(Il trionfo dell’onore)」の日本初演が行われました。バロックオペラとナポリ楽派をテーマにしたシンポジウム、バロックオペラの演目を集めたバロックコンサートも開催されました。
音楽祭の多くは、オペラやコンサートなどの公演が次々と催されます。藤原歌劇団の今回の音楽祭ではベルカント・コンサートも開催され、昭和音楽大学の学生も参加しました。プロフェッショナリズムと教育に関して、さまざまな側面が考慮されたことは大変印象的でした。
昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワにおいて、16日に開催されたバロックコンサートでは、ソプラノの光岡暁恵とカウンターテナーの藤木大地が、指揮者アントニオ・グレーコのチェンバロとBOFバロックアンサンブル伴奏で演奏をしました。
藤木大地は繊細なカウンターテナーで、現在はウィーン国立歌劇場などの世界クラスのオペラ劇場の舞台で活躍をしています。この日、その細やかなトーンと一つの狂いもない洗練された表現に大喝采を受けました。コロラトゥーラ・ソプラノの光岡暁恵もまた、透明かつ柔軟な声で見事に歌を表現。以前韓国の舞台で「顔」などの韓国の歌を披露しました。
17日に行われたスカルラッティ作バロックオペラ「貞節の勝利」は、オペラ・ブッファと呼ばれるコメディ・オペラとして分類されましたが、実際は、単純なコメディよりも多くの複雑な要素を含むブラック・コメディでした。このオペラは、バロック時代後期のナポリ・オペラの発展に貢献した作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの後期に出版されたものです。ダ・カーポ・アリア(バロック時代に人気のあったオペラ・アリアの一種)、合唱フィナーレなどのオペラセリアの音楽形式、優雅なメロディーなど、彼の独特の特徴ははっきりと際立っていました。
このバロックオペラは、1718年の時代を1969年に再現をしました。1969年にナポリで亡くなったドンファン、リッカルド・アルベノーリの墓の前で、さまざまな人間像がその人の生き方と死を示すユニークな方向に現れます。イタリア人歌手と日本人歌手が一緒に登場するステージでしたが、藤原歌劇団のメンバーである日本人の歌手のスキルは特に顕著なものでした。
ベルカントオペラフェスティバル イン ジャパンと呼ばれるこの音楽祭に対して、例えば、なぜバロックオペラに特別な焦点を当てているのかなど、人は疑問を投げかけるかもしれません。しかし、ナポリ楽派がベルカント・オペラの基礎を提供したという事実を考慮すると、こうして18世紀のイタリア・オペラの起源を再考することは適切な事ではないでしょうか。さらに、スカルラッティのようなバロックオペラの全編を見る機会はまれなので、大変貴重な経験になりました。
主に有名で人気のあるオペラを上演する事は、日本も例外ではありません。藤原歌劇団の試みは途方もない冒険でしたが、聴衆の反応は真剣で熱狂的でした。 80年以上の伝統を持つオペラ・カンパニーの力量を目の当たりにする瞬間でした。
Sooyeon Sohn(オペラ評論家、尚明大学教授/ yonu44@naver.com)
監督:キム・ヨンイ