アーティスト インタビュー

久保 晃子・髙橋 裕子

オペラ作りの現場を支える「コレペティトゥア」。ピアニストならではの視点で、オペラを語る。

Vol.57

久保晃子氏と髙橋裕子氏、ピアニストから見るオペラとは。

初の試みであるピアニスト編。それぞれに音楽の道を歩み、自然な流れでコレペティトゥアとしてのキャリアへ。根底には、歌が好きという思いがある。コレペティトゥアは、海外ではオペラを総合的に理解し、指揮者や歌い手と一緒に舞台作っていく重要な存在。作品全体の流れや言葉のニュアンスにまで気を配り、歌い手に寄り添い、音楽スタッフとしてピアノ演奏以外の仕事も担いながら、いい作品を作り上げたい。王道のイタリアものに限らず、日本オペラなどの発信にも携わりたい。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第57弾は、ピアニスト、あるいは音楽スタッフという立場からオペラ制作の現場を支える久保晃子さん・髙橋裕子さんのお二人にお話しをお聞きしました。その内容は、コレペティトゥアの道に至るまでの歩み、ピアニストならではの視点を交えたオペラトーク、音楽スタッフとしてのお仕事や将来的に携わってみたい作品など、多岐にわたります。

厳しいレッスンを経ながらも、音楽が好きという思いで、自然とピアニストに。

―今回は、CiaOpera!初の試みである「ピアニスト編」。オペラにとって無くてはならない存在であるピアニスト、久保晃子さんと髙橋裕子さんのお二人にお話を伺います。まずは音楽との出会いを、それぞれお話しいただけますでしょうか?

久保:私は、実は特にこれといった印象的な出会いはないのですけれど、 おそらく小さい頃に習い始めたことがきっかけだったと思います。実家が兵庫県神戸市なのですが、家の近くにピアノの先生がいらして、いつも母親に連れられて通っていたような記憶です。ただ、その頃はレッスンに行くのが嫌で嫌で。時間になっても私が来ないから、先生が迎えに来るほどでした。その頃の私にとって、ピアノは楽しさではなく、義務的な感じがしていましたね。

けれど、小学校に入ってしばらく経つと、自分から通うようになりました。習慣として続けているうちに、ちょっと自分でも弾いてみようという気持ちになったのでしょうね。高学年の時にあった「音楽会」という学校行事では、いつもピアノを弾く担当でした。その後も、中学ではクラス対抗の合唱コンクールで伴奏したり、コーラス部にピアノとして入ったり。高校からは、1学年に1クラスあった音楽科に入学し、そのまま自然と、担当の先生にすすめられて東京音楽大学まで行きましたね。ここまで続けていけたのは、その時々での先生がたとの出会いが、とても大きかったように思います。

―そうだったのですね!出だしは思いがけない部分もありましたが、自然と音楽に寄り添って進んでいくような幼少期だったのですね。

久保:そうですね。特に他に寄り道ということも、あまりなかったように思います。でも、踊りは踊っていましたけれど(笑)。

―踊りですか!

髙橋:神戸といえば、宝塚がお近くですしね。

久保:そうなのです。毎月のように観劇に行って、一時は宝塚に入りたいとすら思っていたぐらいで。家の中で「白鳥の湖」を流して、ひとりでくるくるっと。それは覚えていますね。

―ずっと音楽がお好きだったのですね。素敵なエピソードをありがとうございます。髙橋さんは、いかがですか?

髙橋:私は逆に、最初に音楽に触れた時の光景を覚えていまして。通っていた幼稚園に、ヤマハ音楽教室が開設されることになったのです。ちょうどその頃が、きっと教室の創成期だったと思いますね。

「音感教育」という取り組みの一環として、初日、教室にたくさんのオルガンを置いて、生徒たちがみんなで座って弾きました。「真ん中の音がド」と教わり、そこから右や左に弾いていくというのを、すごく真剣にやった覚えがあります。私にとって全く新しい体験だったので、面白かったですね。楽譜が初めから「大譜表」、つまり「ト音記号」「ヘ音記号」があるものだったことも良くて、基本的な譜面の読み方を覚えられました。その音楽教室が1年間続いた後、個人の先生についてピアノを習うようになったのですが、その先生はピアノ専門ではなく声楽の方でした。なので、普段のレッスンや発表会では、ピアノの演奏以外にみんなで歌ったりもしていて。すごく素敵なご自宅で、芝生のお庭があったり、暖炉があったり、コリーを飼っていたり。テクニックを厳しく言われることも全くなくて、難しい曲もバンバン渡してくださったので、とにかく「レッスンに行ったら楽しい」という感覚でした。

その先生の勧めもあって、中学からはピアノが専門の先生に変わったのですが、そこで初めて「こんなに厳しいものか」と気持ちがめげてしまい、高校受験のために一度ピアノをやめてしまいました。そして普通の都立高校に入ったのですが、その学校がたまたま音楽のクラス、美術や書道のクラスというように分かれていて、合唱コンクールもすごく盛んで。そこで音楽クラスに入ったら、もう一度音楽が楽しいと感じられるようになり、新たな先生についてピアノを始めました。先生は当時まだ音大に在学中のお若い方で、これまた大変厳しくて。その頃私は、ピアノの教則本であるツェルニーを「40番」まで終わらせていたのですが、全部最初からやらなくてはダメだと言われてしまい。1回のレッスンで5、6曲まとめて勉強して持っていき、何ヶ月もかけて取り組み直しました。素晴らしい先生でしたけど、高校生だったから耐えられたのかもしれません。それを続けていくうちに、自然と音楽大学へ行こうかなという意識が芽生えました。

久保:当時、厳しい先生は結構な厳しさでしたよね。高校の音楽科ではレッスンの時間ちょうどに扉をノックしないといけない、とか。遅刻はもちろん良くないのですが、早く行くこともダメだったのです。音楽指導の内容以外の厳しさも、大いにありましたよね。

―そうだったのですね。そんな厳しいレッスンにも耐えて、音楽の道を歩まれたお二人ですが、お互いに共通の思い出もお持ちとお聞きしました。

久保:そうですね。髙橋さんとは10代の頃からご一緒していますが、それでもまだ知らないことってあるのだなぁと、今思っています。

髙橋:私もそう思います。一緒に音楽をやり始める以前のことって、案外知らないことが多いものですね。

私が久保さんとお会いしたのは、まだ大学生の頃。指揮者の小林研一郎さん率いる、とある合唱団に入った時ですね。ピアノって、基本的に演奏する時は1人じゃないですか。私は合唱団員として入団したのですが、既に久保さんはそこでバリバリ弾いていらして。その後忙しくなられたので、私が後任者という形になりました。

久保:そうでしたね。私は、大学で合唱の授業があり、そのご担当が小林研一郎先生だったのがご縁でその合唱団へ行ったのでした。指揮法の授業でも、先生には大変お世話になりましたし。試験の時に学生たちが先生の前で振ったり、先生ご自身が振ったりと。

合唱団では、先生はともかく大変厳しくて。「今日は先生が来る」という日は、鍵盤の上で手が震えるぐらい緊張したのを覚えています。練習途中で団員に注意をしながら、ぱっと手を振り上げた時にはその手を見てどこから演奏しようとしているかを瞬時に感じ取らなくてはいけなくて。振り始めて、そこの音が出ないと「もういい、ピアノ」って。常に、感覚をアンテナのよう研ぎ澄ませていなければなりませんでした。しかし最近では、だいぶお年を召されて、以前よりは柔らかくなられたようですけれど…。

―そうなのですね!今では日本を代表するマエストロ小林研一郎さんとの、貴重なエピソードですね。

コレペティトゥアだからこそ分かる、オペラ全体の流れ。

―ひと口にピアノといっても様々な方向性があると思うのですが、その中でもコレペティトゥアの道を目指したきっかけはありますでしょうか?

久保:私は、やはり音楽を学ぶ流れの中で自然に進んだといえるかもしれません。音楽大学を卒業する時、自分ではもう地元に帰って音楽の先生になろうと思っていたのですが、ここでも小林研一郎先生がプッチーニの「蝶々夫人」を振るので、弾いてみないかと声をかけてくださり。そこで、初めてグランド・オペラというものに触れました。学生時代から、故・佐藤美子先生が設立された「創作オペラ協会」というところではお世話になっていたのですけれど、その名の通り創作オペラをやる団体で、グランド・オペラに触れる機会はなくて。当時は「コレペティトゥア」という名称が日本になくて、まだ「個人稽古」なんて呼んでいたと思います。

髙橋:コレペティトゥアと呼ばれ出したのは、わりと最近ですよね。

久保:そうですね。ヨーロッパでは、オペラというものが生まれた時からコレペティトゥアも存在していて、イタリアでは「マエストロ・コッラボラトーレ」と呼ばれます。“コラボレーションするマエストロ”というような意味の、とても重要なポジションと考えられているのですね。たぶん、共同で舞台を創り上げる人を指すのだと思います。実際、個人稽古というよりは、オペラにまつわる音楽的要素や言葉の発音、語尾をどう処理するかなどのアドバイスを総合的に行うからです。私がローマ歌劇場にいた時も、コレペティトゥアの先生が音楽的なことや舞台づくりについてバンバン発言されていました。

髙橋:呼び方もそうですが、職業という認識自体が日本ではあまり持たれていませんでしたね。欧米諸国のように、各地にオペラハウスがあるわけではないですし。

そうだったのですね。髙橋さんは、いかがですか?

髙橋:私は、すぐにオペラの道というわけではなく、最初の頃は合唱の伴奏をしていることが多かったです。その中で、合唱の指揮をしてくださっていた先生がやってみてはどうかと、金井紀子先生というコレペティトゥアの先駆者ともいえる方を紹介してくださり、それが出会いです。それから、先生がオペラの稽古に行く時についていって、譜めくりをしながら勉強させていただくことから始まりました。最初にお仕事で行ったのはモーツァルトの「フィガロの結婚」だったのですが、それも入口は先生がやるので、弟子も何人か一緒に行って実地で覚えるというものでした。

―そうでしたか。それぞれのスタートがあるのですね。コレペティトゥアならではの面白さというのは、どんなところでしょうか?

髙橋:オペラの伴奏をしたら、ピアノの見方がものすごく変わりました。例えばモーツァルトのピアノ・ソナタでも、それまではピアノの曲として弾いている感覚でしたが、「フィガロの結婚」を伴奏した時にハッとしまして。それから改めてソナタを見ると、また違う見方が広がったのです。オペラって本当にたくさん刺激をくれるもので、とてもワクワクできます。言葉があって、ストーリーがあって、そこに人の声が重なって。舞台美術という視覚的な楽しみもあり。お稽古の時は何もないところでやっていて、いざ舞台に行ってみたら「こんな風になるのね!」と。本番へ向かう、その感覚が楽しいですね。

久保:コレペティトゥアの人って、意外とヴォーカルスコア(オーケストラのパートがピアノで書かれた楽譜)だけではなく、フルスコアを持つ人が多いかもしれません。やはりオペラというものはオーケストラの演奏が基本であり、ヴォーカルスコアはそれをピアノ伴奏用に編集している。そうすると、すべての楽器の音を反映させるわけにいかないから、割愛されてしまう音も出てきてしまうのです。特にベルカントものは、本当はそこに何か楽器の音が伸びているはずなのに「ブンチャ、ブンチャ」だけになってしまっているような楽譜が多くて。オーケストラスコアも揃えて読み込んで、楽器を書き込んだりもします。それが吹く楽器なのか、あるいは叩く楽器なのか、それによっても弾き方が変わるので。歌い手が、最終的にオーケストラと合わせた時「あれ、今までこんなところに音はなかったのに!」という状態にならないよう、直前までサポートするということも大切なのです。

髙橋:楽譜に、演出家の指示した歌い手の動きを書くのも面白くないですか?

久保:そうですね!「ここは、誰々が上手から動く」と書き込んでおいて、もし歌い手が忘れてしまったり、困っていそうだったら横から助け舟を出す。そういうことも、実際にあるのです。

髙橋:ピアノを演奏する以外にも、やることはたくさんありますね。

―そうなのですね!ピアノを弾く以外でのお仕事には、どのようなものがあるのでしょうか?

久保:主には音楽スタッフとして、字幕や照明のキュー(きっかけ)を出すことです。音響が入る場合は、音響のキューを出すこともあります。お話したように、たぶんピアニストが一番その時の指揮者の音楽や、舞台全体をよくわかっているためですね。その中で私は字幕に関わる機会が多いのですが、タイミングには結構こだわっています。例えば、字幕をできるだけ歌と同時に出す、とか。操作自体はオペレーターの方が必ずつくのですが、ボタンを押すタイミングはその方によっても異なるし、業者によっても機械のシステムが全然違うので、それぞれに合わせたキューを考えます。歌う内容によっては、文字が映るまでの秒数をコメントで入れることも。字幕の切り替わりが場面の雰囲気と合っていないと、お客様も演者ではなくそちらに目がいってしまうので、テンポがゆっくりなものはフワッと、早いものはパッと早く出す。あらかじめ全部のコメントに秒数を入れておいて、ゲネプロ(本番と同じ条件で行う通しリハーサル)の時に調整します。歌い手を見ながらサインを出して、字幕と一緒に歌がパンッと入ると「やった!」と思うし、ふっと消える時に声が同時に切れるのも満足感があります。

―それは、スッとしそうですね!髙橋さんは、いかがですか?

髙橋:私もご依頼頂いたらどのポジションでもやりますが、照明キューを担当することが比較的多いかもしれません。照明も、まさにタイミングですね。「スタンバイ」「ゴー」という順に指示を出すのですが、すごく大きな音が鳴っている時にゴーを出してオペレーターさんに聞こえなかったら困るので、曲のいいタイミングを見計らいます。逆に、あまり前から待たせるのも申し訳ないですし。字幕と同じように、スタンバイを出してからの準備も、その時のオペレーターさんによって異なります。

―オペラは「総合芸術」とも呼ばれますが、スタッフワークも含めて本当に様々な仕事や思いとともに出来ていることがよく分かりました。

久保:いいものをお客様にお見せしたい、と思っているのは歌手もスタッフも同じなので。それぞれのセクションが、最大限の努力をしているのですね。

オペラは言葉。将来的にも発信したい日本の魅力や、声の存在価値。

―今まで関わられた中で、思い出深い作品やプロダクションはありますか?

久保:私は日本の作品でしょうか。日本オペラ振興会には日本オペラ協会があって、そちらは新作物もすごく多いのですね。受け取った新しい譜面を目にして途方に暮れることも。調号や臨時記号がいっぱい書かれていたり、音も難しく、変拍子なども多くて。8分の4.5なんて拍子があることも。「4.5って何!?」って(笑)。楽譜を見ることにものすごく時間を要しますが、出来上がったものはすごく素晴らしいので、ひとつひとつが印象深く残っています。

―過程の大変さと、完成した美しさの対比が思い出深さにつながっているのですね。髙橋さんはいかがですか?

髙橋:私がまず挙げたいのは、「オンリー・ザ・サウンド・リメイン ―余韻―』という作品です。昨年亡くなったカイヤ・サーリアホ(19522023)というフィンランドの女性作曲家が、最後に日本ヘ来た2021年に上演されたオペラです。「経正」と「羽衣」という、日本の能のテキストがベースになっていて、譜面にはカンテレというフィンランドの伝統楽器が書かれていた。最初は楽譜もとにかく難しく、カンテレがどのような楽器かもわからなかったので大変でした。それと川端康成の原作を、ベルギーの作曲家のクリス・デフォードさんと演出家のギー・カシアスさんがオペラ化した「眠れる森の美女」。これもすごく大変だった思い出です。でも、海外の方が日本の文学に刺激されてオペラを作るというのは、面白いと感じましたね。オペラって、どうしても日本で生まれたものではないという発想が強いですけれど、固定観念を捨てないといけないなと。オペラというものが、日本から生まれてもいい時代になっているのですね。

―日本オペラには、日本語ならではの魅力がありますよね。「言葉」については、どう捉えていらっしゃいますか?

久保:まさしく、オペラならではの要素ですね。まず言葉があって、そこに音をつけているのであって、実は音の高い低いはあまり関係ない。ローマ留学時代に、コレペティトゥアの先生に「ここは、なんでフルートの音になっているの?」と聞かれたことがあって。「言葉を見てごらん、“フィオーレ(花)”って書いてあるでしょ。花がふわ〜っと開いた時の音なんだよ」といわれて、「そうか」と納得しました。臨時記号も同じで、音が暗くなるのはそこが暗い言葉だから。ただのシャープ、ただのフラットじゃなくて、言語によって音が生まれているというのは、向こうで学びました。

髙橋:あと、言葉にもフレーズがあるじゃないですか。そのフレーズをもとに音楽を作っているので、どこまで伸びるかという機械的な捉え方ではなくて、まずその言葉をどういう風に発したいかっていうことで、最初の息が生まれるのです。

―歴史が長いヨーロッパだからこそ、言葉のニュアンスへの理解も重視され、コレペティトゥアの重要性も高かったのですね。最後の質問ですが、これからおふたりがやってみたい作品はありますか?過去にやってもう一度やりたいものでも、全く初めての作品でも、なんでも構いません。

髙橋:私はヴェルディの「仮面舞踏会」を、もう一度やりたいですね。音楽がすごく好きで。スタジオの稽古ではなく舞台稽古でピアノを弾くことが時々あるのですけど、前回(2015年)の藤原歌劇団公演「仮面舞踏会」が、まさにその機会で。稽古場で弾くのとはまた違う充実感みたいなものが感じられて、やって良かったなという記憶が大きかったからでしょうね。

久保:私は「蝶々夫人」です。やっぱり最初に弾いた作品ですし、粟國淳さんのお父様で同じく演出家の粟國安彦先生の思い出もあります。あと、プッチーニという作曲家はすごいなと。リズムの現実的な感じとか、言葉にあった音楽の流れとか。

ドイツ作品もやりたいですね。例えばワーグナーの「ニーベルングの指輪」や、リヒャルト・シュトラウスの作品。イタリアものと違う、ドイツ音楽ならではの良さがあります。特にワーグナーは、絶対拍手をさせないぞって、延々と音楽が続くじゃないですか。面白いですよね。リヒャルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」は、あんなに美しいものはないと思いますし、是非やってみたいですね。

髙橋:私も、リヒャルト・シュトラウスの「アラベラ」をやってみたい気持ちはあります。趣味で歌われている方たちのグループでも教えているのですが、そこである方が歌いたいと持ってきたのが、「アラベラ」のアリア。難しい作品だと思う反面、なんて面白いのだろうというのもあって、持ってきた方には発見のきっかけを与えてくださって感謝です。実際にやったら、大変で後悔しそうですけれどね(笑)。

―王道のイタリアオペラからドイツものまで、多彩に出揃いましたね!

久保:でも、藤原歌劇団はイタリア・オペラを得意とするという売りがあるので、そこが良さだとも思いますけれどね。あと、やっぱり日本オペラ協会。日本オペラだけをやる団体は他にないと思うので、総監督の郡愛子先生にこれからも続けていって頂きたいなと思います。日本の作品、もっと発信できるといいですよね。

髙橋:人間の生の声って、唯一残るものじゃないですか。今、何でもかんでもAIなんかのテクノロジーで出来てしまう中で、どんなオペラをやるにしても、本当の生の声の存在価値というものを広げられたらいいなと思います。例えば、最近メノッティのオペラ「助けて!助けて!宇宙人がやってきた」という小中学校の演目で巡回公演をやっていまして。内容としては宇宙人をアコースティックの楽器でやっつけるという話なのですが、子どもたちが自分たちの校歌を歌ってやっつけようとしてくれるとき、ものすごく真剣なのですよね。たぶん、これが初めて触れるオペラだと思うのですけれど、この体験が将来またオペラを観にいこうという思いにつながるかもしれない。劇場に来てもらうのは、やっぱりすごく大事なことです。その空間での振動とか聴いた感動って、体験しないとわからないから。そこから、声の魅力、オペラの魅力も広がっていくのではないでしょうか。

そのためには、もっとオペラが魅力あるものということを発信していかなければなりませんし、いいものを作ってかなくてはと思います。

―おふたりのように、オペラへの熱い思いをお持ちの方々のお力添えによって、オペラの未来が開かれていくのですね。貴重なお話を、本当にありがとうございました。

<聞いてみタイム♪>久保晃子さんと髙橋裕子さんに、ちょっと聞いてみたいこと。

―恒例の番外編コーナー「聞いてみタイム♪」も、今回は少し趣向を変えたいと思います。

せっかくピアニストのお二人がお話くださっているので、これからコレペティトゥア、あるいは声楽家やオペラの世界を目指す若い世代に、メッセージを頂けますでしょうか。

久保:まず、歌が好きでいてほしいですね。あとはお芝居、本番まで作り上げることがすごく楽しいと思ってほしい。そうでないと、きっとずっと稽古で弾き続けてはいけないかなと思います。コレペティトゥアって、「これ」と決まったことを教えることができないのです。歌い手が何十人、何百人といて、みんなそれぞれの感性を持っている。同じ作品を歌っても、人によって全然変わるので、どうしても現場に来て、見て学んで、自分で実施してみることが大切になります。歌い手の声を聞くことは一番重要で、それでコンタクトを取っていく。指揮者との関係も同じですよね。一緒に作り上げていくという姿勢や、感性やテクニックの引き出しを増やしていって、どんどん現場で開けていくというような感覚が大事。ピアノ弾ける人はいっぱいいると思うのですが、それだけでは難しいのですよね。

私は、ともかく歌い手と一緒にいることやオペラが好きで、本番までずっとワクワクしながら待っています。本番は本番で、字幕や照明のキューをやりながら、決まれば「よしっ」と思える。そんなことを目指してもらえたらなと思いますね。

髙橋:若い方と接する機会に、自分がやりたいと思うことをもうちょっと信じてあげてもいいかなと感じることはありますね。「できないのではないか」などとマイナスに考えるより、やりたいと思うなら自分を信じてやってみよう、と。何かに熱くなってほしいなと思います。

―もしコレペティトゥア、歌い手、あるいはオペラの世界を目指したい思いがあったなら、自分の気持ちを信じて、熱く進んでみる。大切なことですね。貴重なメッセージを、ありがとうございました。

久保 晃子

ピアノ/Piano

藤原歌劇団 正団員

出身:兵庫県

髙橋 裕子

ピアノ/Piano

藤原歌劇団 正団員

出身:東京都

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