『ドン・パスクワーレ』は、イタリアを代表するコミック・オペラと言える傑作ですが、なかなか日本で上演されないのは、余りにもイタリア的な明るさ・センス・ユーモアに満ちているから。イタリア人演出家・ベッロット氏や、日本におけるイタリア・オペラ指揮の巨匠・菊池氏とともに、舌を噛みそうなほどの言葉の嵐や、たたみかけるような演技やテンポをモノにし、日本に新しい喜びと感動をお届けしたい。そして、自らの歌への追求も継続しながら、総監督の任務へも挑戦していきたい。なぜなら、歌うことによる醍醐味もさることながら、歌い続けることで、歌い手と同じ目線になれるから。上から目線は、絶対にしたくないのです。若い力、中堅・ベテランの力が交差し、一丸となって創り上げる舞台にこそ、真価があると思うから。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第一弾は、2016年4月に藤原歌劇団の五代目総監督に就任した折江忠道氏に、その想いや、上演間近の出演作『ドン・パスクワーレ』についてお話をうかがいました。
神様のハードないたずら?新・総監督・折江氏の挑戦。
ー折江さんは4月から藤原歌劇団の総監督になられたということで、まずはおめでとうございます!
どうもありがとうございます。いや、ちっともおめでたくないんです(笑)。(昨年)1年間公演監督をやってきたんですが、いままでやったことないことばっかりだったんですよ。色々な制作とか、それから育成部というところもありまして、研修所なんですけど、そこもちょっと手伝うことになって。それから大学じゃないですか。もう本当に、目の回る思いだった。で、今年の4月になって総監督をおおせつかって。私はもともと自信のない男なんですよ。だから、とんでもないと思ってるんですけど。これはもう、神様のいたずらとしか言いようがない。神様っていうのはたぶん冗談好きなんですよ。
ー冗談ですか(笑)。
そうして楽しんでるんですよ。それから、能力のある人はたくさんいると思うのに何故?と考えると、ひとつは年回りだと思うんですね。僕は今年もうすぐで67になるんですけど…
ーまったくそうは見えませんね!
ほんとに?50代ぐらいに見えるかな(笑)。今までは本当に、自分の歌ということに関して突っ走ってきた人生だと思うんですね。で、今もって未完成な自分というものがいるものだから、一生懸命夢中になって、少しでも理想に近づきたいと思ってやってきて、気がついたらこの齢になっちゃったんですよ。それで、まったく想像も予想もしてなかったこの公演監督、総監督っていうのをおおせつかって、本当に悩みました。悩んで、悩んで、悩んだんですが、はたと自分の齢を考えたときに、もう66、67でしょ。あと何年生きられるか分からないですけど、今まで自分のことに夢中になってやってきたのを、もうそろそろ人のお役に立つとか世の中のお役に立つことを少し考えろよ、という神様からのお告げかなと思って引き受けることにしたんです。
でもね、条件を出しまして。総監督というと、もう第一線を退いてしまって舞台では歌わない、というのが普通なんでしょうけど、私は今までずっと自分を追い求めてきたものですから、未完成なんですよ、とにかく。それでそこから離れて、自分の目標みたいなもの、あるいは歌い手であるってことを失いたくないっていうのがありまして。で、自分に合ったもの、あるいは自分が歌うに適したものがあったときには歌わせてください、とお願いして、それで一応同意を得て。そういう場合は歌わせていただいて、なおかつ総監督もして、ということを条件としてお引き受けしたんです。今となってはね、「しまった」と思ったんです(笑)。もうね、勉強する時間がないんですよ。
ーお忙しいんですね?
すごく忙しいですね。簡単に歌いたい、と言いますけど、大変なことだと思います。でも1年間公演監督をやってきて、今は数ヶ月総監督ですけど、歌を歌って良かったと思う部分もあるんです。というのは、歌い手のみなさんと同目線で接することができる。総監督になると、キャスティングとか色々なこともあって、どうしても上目線になりやすいような気がしてしょうがない。上から見て、「これ歌いなさい」とかね。でも自分が歌を歌ってるってことで、歌い手の苦しみとかがやはり分かるんですね。親身になって、その人に身になって考えられる。「これをお願いする、これは今回お願いしない、でもそうするとずいぶん苦しむだろうな」とか、よく分かるので、同じ歌い手として接することができるというのが一番のメリットかなと思っています。
藤原歌劇団のオペラの稽古なんかもそうですけど、和気あいあいとしてるんですよ。みんなとても楽しく、非常に家庭的な雰囲気でやってるわけなんですけど、それは崩したくない、と。私はしょっちゅう、自分が歌わなくても稽古場に顔を出してるんですけど、みんな(内心は)緊張するのかどうか分からないけど、本当に和気あいあいと冗談を言いあって、稽古場に入ると挨拶をするのに普通は「おはようございます」というのを、私がこういう風貌をしてサングラスなんかかけると完全に怪しいから、昔から知ってる歌い手は「どうも、どうも」なんてやる人が結構いて。そういう雰囲気というのが藤原のいいところ、すごく温かいファミリーという感じがします。それぞれみんな自分の優れたところや、ちょっと難しいってところも本当に遠慮なく稽古で見せてくれて。だから、非常にうまくいっているんだと思います。
ーオペラはチームワークですものね。
そう。例えば、タイトルロールってありますよね、「ルチア」とか「マクベス」とか「オテロ」とか。その役を支えてる人の人数たるや、大変なものですからね。それをみなさんよく分かってらっしゃる。そういうところで仕事ができるっていうのは、幸せですね。私は(監督として)1年ちょっとですけど、こういう風に違う角度からみなさんと接することができて良かったな、と思います。ただ、体は大変だけどね。いくつあっても足りないような気がする。だから、家にいるときは死んだようになってるんですけどね。ここに来ると急に生き返るんです(笑)。
ーイキイキされるんですね(笑)。
不思議ですよね(笑)。
ー合ってらっしゃるのかもしれませんね。
どうなんですかね。まぁ神様の仰ったことだから、と思うから、なんでも受け入れようという気はありますのでね。受け入れたからには、マイナス的な思考じゃなくてプラス思考で、「明日があるさ!」という将来に向かった希望みたいなものをいつも持っていたいと思います。
ー折江さんがそういう姿勢でいらっしゃると、みなさんも気概をもってついていけますね。
いやいや、ついてきてるんじゃなくて、私がこんなだからみんな一丸となって「なんかしてやろうよ」みたいな気持ちがある。実際みなさん歌に対してすっごい真剣。この世の中でこんなに真剣に物事にあたれるっていうのは、その人の持ち味だし、そういう人がたまたま集まってるんじゃないかな。みなさん本当に、面白いけど真面目。うん、そういう人が集まってるんですね。みなさんのおかげですよ。本当にそう思います。
絶賛悪戦苦闘中!?
極上のイタリアン・ユーモアほとばしる『ドン・パスクワーレ』。
ー今回『ドン・パスクワーレ』という作品を上演されますが、このサイトをご覧になる方へ、あらすじをご紹介いただけますか。ドニゼッティの喜劇ですよね。
そうですね。金持ちの70のおじいちゃん(ドン・パスクワーレ)がいるんです。この人が不思議と今まで結婚したことがない。で、甥(エルネスト)と一緒に住んでるんですよ。すごく財産がありまして、いずれ自分は死ぬ身だから甥に財産を残そうと。そのために条件として、「お前、ちゃんと結婚しろ」と色々な女性を紹介するんです、特に貴族の女性を。が、ちょっとポケーッとしてるようなその甥は結婚しないんです。何故かといったら、付き合ってる女の人がいると。ノリーナというんですが、それが出戻りの女の人なのだと。すると、「お金もない、貴族でもない、そんな女と結婚するのか!」とパスクワーレは怒るんです。「そんなことでぶらぶらしてるんだったら、いっそのことわしが結婚する!」と、70のおじいちゃんが何を血迷ったか、自分で結婚して子どもをつくってそっちに遺産を残すというようなことを考えるんです。
それで主治医のマラテスタに、誰かいい女の人いない?と奥さんの仲介を頼む。すると、その医者が甥と若い者同士仲が良いんです。それで、甥と付き合ってる未亡人のノリーナとをなんとかくっつけよう、ついでにドン・パスクワーレおじいちゃんの財産が少しでも甥の手に入るように、と仕込んで騙す、そういう筋立てになってます。で、結局色々あって、めでたく最後は甥とノリーナが結婚することになって、パスクワーレは若いふたりの結婚を許すんです。
見どころは、そのマラテスタというお医者さんが自分の妹だと偽ってノリーナを化けさせ、ドン・パスクワーレに紹介してお見合いさせるんです。そしたら、ドン・パスクワーレはひとめぼれ。かわいい女の子で、「元々修道院にいたんです」って嘘をつく。「だから、世の中のことを何にも知りません」「他の男性なんて見たこともありません」だなんて、思いのほか自分の願ったり叶ったりの女性だ、と喜ぶんです。そういうお見合いをして、結婚のサインをした途端にノリーナが豹変するんですよ。すごく気丈な女性に大変身する。で、メタメタにドン・パスクワーレがやられちゃうんですが、そこが非常に面白いです。女性が芝居を打って、正体をあらわして豹変する、そういうどんでん返し。最後は事情を察してふたりの結婚を祝福する、でも正直なところ、「あんな女から解放されてよかったなぁ!」というのがドン・パスクワーレの心情じゃないかなと思うんです。
音楽もすごく良く出来ていると思います。そもそもコミック・オペラの代表には、ロッシーニの『セビリャの理髪師』、それから集大成としてヴェルディの『ファルスタッフ』があるんですが、『ドン・パスクワーレ』はその間に組まれてもいいぐらいで、『セビリャの理髪師』『ドン・パスクワーレ』『ファルスタッフ』という流れになるような気がしていて。そういう意味から非常に良く出来た傑作だと思います。ということで音楽そのものも聴きどころではあるんですが、特に今回はイタリアのベルガモ(ドニゼッティの出生地)から、ドニゼッティの研究家でもあり演出家でもあるベッロットさんという方をお招きしてて、お年を召した方かと思ったら現役バリバリで、(その演出が)非常に面白い。(この作品は)本当は早口言葉の連続なんです、舌を噛むぐらい。私も今ほっぺたの内側を噛んで血豆をつくってるんだけど、それほど言葉がすごい。イタリア語の嵐。覚えることが大変なオペラなんですよ。頭で考えて歌ってるうちはダメなんです。舞台で演技するとなると、条件反射になってないと。
ー自分の言葉として出てこないとダメなんですね。
そうなんです。とてもとても、悠長に歌っていられる余裕がほとんどない。それに加えて、ベッロットさんがまぁ細かい動き、あれはもう演劇ですが、ドタバタの細かい演技を要求してくるんですよ。でも、それがまた面白い。舞台の設定を19世紀の終わり頃とはしてるんでしょうけど、時代が分からないぐらい色々な衣裳が飛び出したり、ピストルが飛び出したり、サングラスが飛び出したり、ちょっと見ると『007』じゃないかと思うぐらいで。とにかく見てて面白いと思います。
それをこなす我々歌い手は大変な思いをしてますけど。追い上げてちゃんと舞台をつくらないと、と大変なところです。
ーまさに追い上げですね。
そうなんですよ。(ベッロット氏の)演出は、突っ込みのテンポが早い。言葉が終わらないうちに、彼らは反応が出来るんです。我々は最後まで言葉を聴いて動こうとするんですが、言葉を言ってるときからパァンと、次から次へまぁよく思いつく。さすがイタリア人ですよね。イタリア人の母国語に対する反応の速さが、そのまま演劇としてセリフとか動きの速さに通じているのかもしれない。全員日本人でつくった場合はこうはいかないと思う。そういう演劇的な面も、見どころだと思います。それをこなす我々歌い手は大変な思いをしてますけど。追い上げてちゃんと舞台をつくらないと、と大変なところです。
音楽的な面では、今回指揮者として菊池先生をお呼びしていて、久々の登場なんです。私に言わせれば、菊池先生はイタリア・オペラを振らせれば巨匠。ベテラン中のベテランとして、いかにもイタリアというような音楽づくりをしていただいています。このオペラっていうのは、イタリアのセンスってものがないと出来ないと思うんです。言葉も、身動きとか、表情とかのすべてが、イタリアのちょっといい加減で、でもスマートで面白い、そういうセンス。ただ真面目に歌って演技すればいいってオペラじゃないってところがなかなか難しい。
ー喜劇は、ときに悲劇より難しいと言いますね。
本当に難しいんですよ!もともと明るいオペラではありますが、中にはロマンティックに聴かせる部分もあったり、色々な性格の音楽が散りばめられていて、ややもすると少しウェットな感じになりそうな場所もあるんですが、そうじゃなくて。イタリア人の”どんなに悲しくても明るい”というような雰囲気がこの舞台には必要なんじゃないかと思って、そこに気を使っています。
話は変わりますが、イタリアのお葬式って行ったことありますか?
ーお葬式ですか?いえ、ないです。
ないでしょ?一流の政府高官とかが亡くなったときは別ですが、一般の人はね。私はイタリアに17年半住んでましたのでお葬式も結構参列したんですが、みなさん喪服・黒服じゃない。夏の暑いときなんか、私の友人のソプラノ歌手は透けた生地で、ピンクで、花柄を着てきて。彼女だけじゃなく、みんな華やかなんです。天国に召されるということは悲しいんだけども、カトリックの教えのとおり、神のもとに行ったからには苦しみがないという宗教的な理念が身に付いているんですね。だから、みなさんパーティーに行くような格好をしている。そういうところを見て、やはりイタリアはウェットな感じってなかなかないんだ、と。だから、『ドン・パスクワーレ』でそういう底抜けに明るい世界っていうのを展開できれば、みなさんにひとつの新しい喜びとして感動していただけるんじゃないかと思います。
ー『ドン・パスクワーレ』が日本で上演されるのは、大変珍しいですよね?
それはね、やはり難しいからです。
ーそのイタリア的なところがですか?
そうです。私も稽古中ですから実感してますけど、本当に本番に間に合うのかな、なんて(笑)。
ー藤原歌劇団としても41年ぶりの上演とうかがいました。
そうですね。『ファルスタッフ』もすごく難しいですけど、『ドン・パスクワーレ』も難しい。『ファルスタッフ』は、ヴェルディが晩年に書いた曲として、アンサンブルが多いし非常にバランスがいいですが、『ドン・パスクワーレ』はもっと歌い手それぞれの個人芸の冴えが随所にある点で、イタリア・オペラの真髄みたいなものを持っている気がします。
ー話も楽しいですし、初めて観る方でも好きになっていただけそうですね。
そうあってほしいですね。幸いにして今は字幕があるので、細かい内容も分かると思いますし。今風に解釈して面白い訳詞にしてくれたらいいなと思います。
ー19世紀末の衣裳にも合いそうですしね。
先日衣裳合わせも終わったんですが、イタリアから衣裳を持ってきたんです。今それぞれに合うように調整して、準備中です。
ー今回はダブルキャストですね?
そうなんです。それで、3日公演です。ちょうど日生劇場は銀座なので、お仕事終わったあとなんかに寄りやすいかなと思いますけど。
ー時間的にもお仕事終わりに良さそうですね。
それから、オペラってよく堅苦しいとか、敷居が高いとか思われていますが、全然そういうものではないんですよね。音楽的にも非常に良く書けていますしね。オーケストラもね、結構難しいんですよ、意外と簡単そうに聞こえるけれど。でもその音のスケールなんかを感じてもらうと、びっくりしてファンになっていただけるんじゃないかなと期待してるんですけどね。
ー仕事のストレスなんかも吹き飛びそうですね。
あのティンパニがパァン!と鳴るところなんか、気持ちがいいですもんね!
ー稽古は、それぞれチームに分かれてやってるのですか?
いえ、一緒にやってます。今一番出来が悪いのは私じゃないかな。(笑)今回ノリーナをデビューで歌う坂口さんなんかは、もう暗譜も完璧ですね。だから、若い人にどれだけ助けられているか。
ー坂口さんは、折江さんと同じチームの方ですよね。
はい、初めて一緒に仕事するんですが、本当にいい度胸をしてる。また、低音から高音までよくそんなに毎日出るってぐらい、みんなが「そんなに歌わなくていいから、手抜いて!」って気を使っちゃうくらいに、よくやってくれています。
ー情熱的なんですね。
まさしくね!それから、テノールで中国人の許(シュー)さんがいまして。許さんも今回が藤原歌劇団デビューなんですね。エルネストって役は、音がすごく高いんですけど、かといってロッシーニ歌いのようなファ〜っとした感じではなくて、どこかに芯のようなものがないと面白くない。やはりそこはドニゼッティで、ロッシーニとは違う。ロマン派的な要素を持ちながらも高音が出るっていうテノールじゃないと面白くなくて、そういう意味では許さんもそうですし、あとは藤田さんも。藤田さんは前回『仮面舞踏会』で藤原歌劇団にデビューしたんですけど、『仮面舞踏会』のテノールっていうのは男らしい男役で、うんと高い音は歌わないけど、スパッとした二枚目の役なんですね。で、今回の高音攻めの役で、藤田さん大丈夫?ってみんなが心配するんですが、そこは手前みそですが、私の目に狂いはないかなと。私は藤原で藤田さんがデビューする前に、『愛の妙薬』と『椿姫』を地方で一緒に歌ってるんですよ。そのときに、この人はすごいな、と。力強いものもあるし、高音もあるし、すごく難しいことでも本当によく研究して、いつも自分のモノにするんですよ。だから「この人は大丈夫だ」と最初から思って、白羽の矢を立てたんです。今回の作品は、歌い手も楽しいですよ。このエルネストってテノールは、なかなか日本で探すのは難しいと思いますよ。テクニック的に大変な役です。ノリーナさんも高い音がたくさん出てきますが、今回は佐藤さんと坂口さんが、楽譜に書いてない上の音を2人でガンガン出し合っています。よくまぁ出しますね(笑)。そういう声の楽しみ方も、今回はあります。通の方が聴いても楽しいと思います。
ーちなみに最高音は?
ハイF(高いファ)です。ハイEs(高いミ♭)とハイFは出してます。指揮者も「やめなさいよ、このオペラはそういうオペラじゃないんだからもっと気楽にしなさい」というんですけど、ピシャッと出すんです。指揮者にすれば、ロマン派じゃなくてコミカルなオペラなんだから声でバーンとやるのではなくてサッと行った方がいい、という時もあるんですけど、やっぱりソプラノの意地もあるんですね。稽古のときからやってますよ。本番どうするんだろうなーなんて思うんですけど。自分が歌うんじゃなかったらこんなに楽しみなことはないんですけどね(笑)。
私は、自分に対してちょっと甘かったかなーと反省して、少し弱気になってるんですけど、これじゃいかん!と。今までは再演のものを歌っていたんですが、この役は初役ですからそれが大変なんですよね。もう年齢とともに脳みそも硬くなってるし、体力も落ちてるんですけど、でもこれがあるからやはりオペラ歌手としてやっていく喜びもあるんだろうなと思いますね。産みの苦しみを味わうということは大事なことだと思います。
「声」を聴き、「人」を見極める。それが折江流・総監督イズム。
ーお話は戻りますが、今総監督に就任されて3ヶ月経ったわけですが、何か思いや実感のようなものはありますか?
公演監督と総監督で、仕事の内容はそんなに変わらないんですよ。公演監督になったきっかけというのは前任の岡山廣幸総監督が急逝されて、私に白羽の矢が立ってお引き受けしたんですけど。公演監督の1年間というのは何にも知らない世界に入ったようなもので、色々なところを見て勉強させていただいて1年経っての総監督で、キャスティングや事務的なこと、人前でお話する機会が増えたことなどは、公演監督の経験の延長線です。だからこれといって新しいことはないですが、1年経ったことで、歌い手との結びつきがいいですね。だんだんみんなで団結していく、その団結力を実感できています。藤原には1000人近く団員がいるので、その方たちの「声」を聴いて、どういう若い人がいて、どういう団員がいて、というのを毎年やってるんですよ。去年は160人近くやったかな。「試唱会」と称してますが、1曲ちゃんと歌っていただいて、歌を聴くのみならず、思ったことをその場ですぐお互いにお話して、「この歌い手さんはどういう性格をして、どういう方か」というのをなるべく短時間のうちに探ろうというのがあるんですよ。そこで「あ、この人はもっともっと歌ってもらって大丈夫だな」という方にはどんどん本番で歌っていただくようにしてるんですが、とにかく歌い手のことをよく知るっていうのは非常に大事なことだと思っています。歌を聴いてただそれだけ、じゃなくて、その人の性格とか生い立ちとか、どういう環境で生きてきたんだろうということまで察して、その人のキャラクターをその場で感じ取るってことが本当に大事。例えば、今までシリアスな役をやってきた方に、4月の『愛の妙薬』でドゥルカマーラを歌ってもらったんですが、良かった!
ーあえて反対の役をしてもらったんですね。
そうなんです。非常に真面目な方なんですが、その真面目な方が、ドゥルかマーラにまた真面目に一生懸命取り組んでいらっしゃる、それが非常に面白い。そういうところを見極めるというのが、すごく大事ですよね。それは、やはり公演監督を経て総監督になったからこそ得られるチャンスとも思っています。
ー今年度のラインナップの記者発表の際に、「若い方を育てたい」と仰っていたのが印象的でした。
その通りです。だから、財団として開くいわゆる試唱会というのはあるんですけど、それ以外に団員が企画してやるコンサートのオーディションという名目の試唱会もあって、それは財団とは関係ないですけど私はそちらへも顔を出してチェックしています。それだけ色んな人の事を知るということがやっぱり大事だと思います。そこで知って「あ、この人いける!」という人が何人もいるんですよ。そういう若い人たちに、急にタイトルロールというのは大変だと思うんですが、今後大事な役で歌ってもらおうと思ってます。で、その人たちだけだとやっぱり大変なので、そこへベテランや中堅を入れて支えるとか、色々な方法もとっています。この間、本公演ではないのですが『椿姫』をやったんですけど、その時の配役に久しぶりに私と同年代の持木弘さんという、主役級を歌うテノールの方に、ガストンを歌ってもらったんです。「悪いねガストンで」「いやぁ、もう重要な役を歌うのもしんどいからいいんだよ」なんて言い合いながら歌ってもらったら、やっぱり良い。味がある。だから、舞台というのは、若い人のみならず中堅やベテランがいかに交わって総合的に創り上げるかというのが大事な事ですよね。舞台の重みが違う。そういう路線を、これからも続けていきたいと思います。
ー今回の『ドン・パスクワーレ』もまさにそういった目線での配役が活かされているんですね。
うん、それはその通りなんだけど、でも人間って完璧じゃないじゃないですか。得意な所があれば不得手な所も持ってる。例えば高音がうんと出る人っていうのは、中低音が出にくいのが普通でしょ。みなさん、それぞれに問題があるとは思う。ところが問題があるにも関わらず、それに全然めげてないんですよ。それはもう、本当にびっくりしますよ。みなさんいい歌い手だな、いい人だなと思うんですよ。暗くないのがいい。失敗してもゲラゲラ笑ったりして。
ーまさに『ドン・パスクワーレ』的な稽古場なんですね。本番も楽しみです。
そうですね。このオペラは、失敗しても楽しいと思う。途中でね、どもるところがあるんですけど、そこが本当にどもってるんだか失敗して隠してるんだかちょっと分からなかったり。とにかく楽しいオペラだと思います。
ー今年度はこのあと、『カプレーティ家とモンテッキ家』『カルメン』などのラインナップも控えていますね。
今年度のプログラムはね、まさに若い人たちのためのプログラムなんですよ。(4月の)『愛の妙薬』も『カプレーティ〜』も、この『ドン・パスクワーレ』もそうだけど、まぁパスクワーレの役なんかは別として、円熟を迎えた人がやるオペラじゃない、と私は思ってるんですよ。だってロメオとジュリエットがおじいちゃんとおばあちゃんじゃ、ね。あんまり色気があっちゃうとやっぱり成り立たないと思う。今回のノリーナとエルネストに関しても、ある意味での若々しさがないと。今年度選んだオペラ3本は、若い人を念頭に置いて選んだんです。いろいろと準備、しているところですよ。
取材・まとめ 眞木 茜