アーティスト インタビュー

郡 愛子

伝統を継ぎ、革新へつなげる。2代目日本オペラ協会の女流総監督・郡愛子氏に訊く。

Vol.11

60年間日本オペラ協会を牽引されてきた大賀寛先生から2代目を引き継ぎ、大変な責任を感じている。けれど日本オペラの発展のため、新しい試みを積極的に提案し、“コンセプト”を明確にし、「日本で日本オペラを専門的に上演する唯一の公式団体」として、内外へ存在感をアピールしていきたい。今年度の『ミスター・シンデレラ』と『夕鶴』は、第一弾にふさわしい2作品。歌手として、自分の世界をつくること、お客様に感動を届けることの大切さを若い世代へ伝えながら、藤原歌劇団と共に支え合って新しいイメージの日本オペラを打ち出していきたい。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第11弾は、2017年4月から、日本オペラ振興会においても女性として初めて、日本オペラ協会の2代目総監督に就任した郡愛子氏に、意気込みや今後の展望、今年度の上演作品について、そして歌手活動との両立についてお話を伺いました。

日本のオペラの時代が来るはず。お客様へはもちろん、オペラ歌手へも存在感を高めたい。

ー今日は、今年度「日本オペラ協会」2代目総監督に就任されました、郡愛子さんにお話を伺いたいと思います。
昨年度まで、郡さんはすでに“総監督補”として、総監督でいらした大賀寛先生を補佐するお立場でいらっしゃいました。なにか、昨年度から引き継いでいる思いはありますか?

そうですね。昨年、1年間総監督の大賀寛先生の補佐として就いてみて、総監督というのは大変な重労働だ、と。それまで自分が舞台に乗せていただき、歌い手として自分の調子の良し悪しや、気持ちの面と向き合っていたのですが、総監督はオペラの企画から関わって、全体の制作進行を見ることはもちろん、さまざまな作品の稽古にも立ち会うなど、いかに大変なお仕事かということを感じました。ですから、それに60年携わってきた大賀先生は、本当に偉大な方だということを痛感いたしました。そうして長年先頭に立って日本オペラ協会を引っ張ってこられた大賀先生から2代目を引き継いだということに、大変な責任を感じております。

ーそうなのですね。2代目として、こうしていきたい、というビジョンをお聞かせ願えますか?

大賀先生が私に、「とにかく、いちばんやって欲しい」とおっしゃったことは、日本オペラ協会はここまで頑張ってきたけれども、それをもっともっと発展させて欲しいということ。そのことを私に託されたので、まずは日本オペラ協会の存在感を、より鮮明にするということですね。どうしても藤原歌劇団のような洋物オペラと比べてしまうと、日本オペラはまだまだ知られていないといいますか。例えばイタリアオペラの『蝶々夫人』というと内容を分かる方が多いけど、日本オペラの『ミスター・シンデレラ』といっても皆さん分からない。どうしたら日本オペラ協会の認知度を上げていけるかを考えたときに、外部への打ち出し方はもちろんなのですが、まずは日本オペラ振興会の内部で存在感を示していこうと考えています。
「日本人がつくった日本独自のオペラ」を専門的に上演しているおおやけの団体というのは、日本オペラ協会しかないのですね。ですから、それをもっと堂々とアピールしていきたい。国内全体においても、“日本文化”というのはともすると少し地味だと思われてきましたが、今はそれがずいぶん見直されてきている時代ですよね。そんな折、「日本オペラの専門団体」というものがあるということ自体あまり知られていないですから、そのことをもっと世間に知っていただけるよう努めてまいりたいと思います。

ー世界的にも日本文化はとても高く評価されてきたので、日本社会も全体的に自分たちの文化をアピールしようという機運が盛り上がっていますよね。

そうなんです、だから日本オペラの時代が来るはずなんです。そこに向けてどうするかなのですが、ひとつは“コンセプト”というものをしっかり打ち出すことではないかと思っています。例えば、その年度の上演作品を選ぶ際に、日本オペラ協会としてどうしてその作品を採り上げるのかが説明できる、とか。ある作品でチラシを制作するにしても、そのチラシを見て「あ、こういう内容なんだ」ということがこれまで以上にスッと伝わるものをつくる、とか。“コンセプト”を大事にすることで、ご来場いただけるお客様の数にも反映されてくるのではないかと思います。また基本的なことと考えますが、台本作家と作曲家の抱くコンセプトを演出家と指揮者の方からきちっと示していただき、それを出演者のみなさんが共有するということが大変大事だと思うんです。稽古前に話し合いをしてみんなでひとつの方向を向いてオペラを創っていきたいと思います。

そしてもうひとつ、これはこれから色々な作曲家や台本作家の方々と相談しなければならない大事な課題のひとつになると思うのですが、例えば洋物オペラにはクライマックスのシーンでワーッと拍手がきて盛り上がるようなアリアが多くみられます。そして逆に「あのアリア、いいよね!あれはなんのオペラなの?」…と1曲のアリアがきっかけでオペラへの来場につながる場合もあるようです。また歌舞伎では同様にクライマックスシーンで役者が「見得」を切り、客席がドッと盛り上がります。そしてこれがお客様方の快感を呼び起こします。そういった要素が日本オペラには少し足りない部分かなと思います。ですから、すでにある作品を再演する場合でも、新作を生み出す場合でも、お客様に喜んでいただける「日本オペラならではの魅力を発揮する何らかの要素」についてもっと研究する必要があるように感じます。日本オペラが、お客様にどうしたら喜んでいただけるかということを常に考え、いつの時代にも通じる優れた作品が数多く後世に残っていくことになればいいなと思います。

笑える日本オペラ『ミスター・シンデレラ』と、壮大な新解釈の『夕鶴』。

ー今年度の作品は『ミスター・シンデレラ』と『夕鶴』ですが、この2作品を選ばれた理由としては、今郡さんがおっしゃったような「コンセプトを大切にして創っていく」ということが実践しやすい、という観点もあるのでしょうか。

まさにその通りです。この2作品をやろうと決めたのは、結構早いタイミングでした。これも大賀先生がおっしゃっていたことですが、「室内オペラ(少人数で構成される小規模なオペラ)をやってみてもらえないだろうか」というご依頼もありまして。『ミスター・シンデレラ』は元々室内オペラ用の作品ではないんですが、今まで日本オペラに興味がなかった方にも興味を持っていただけるような作品として、ちょっとやってみようかなと。理由としては、まず娯楽性が強いということ。とにかく軽快で楽しいんですけど、最後には、人間が何を大切にすべきかということを教えてくれる。これから先、笑いあり、涙あり、そして大切なことを教えてくれる作品をやっていきたいと思っていますが、この作品はまさにそれなのです。

ー「笑いあり」というのは、もしかすると日本オペラにあまり持たれていないイメージかもしれませんね。どちらかというとシリアスな印象が強いですが、『ミスター・シンデレラ』には笑いがあるのですね。

笑えるのです。もちろん『春琴抄』や『天守物語』などは、誰もが認める後世に残すべき素晴らしい作品ですが、先ず日本オペラの新しいイメージを打ち出し存在感を広めていくという意味で、また特に小劇場の場合にはできるだけ親しみやすい作品を選んでいきたいと思いまして。『ミスター・シンデレラ』は、第一弾としてふさわしいと思います。全く笑ってしまうお話なんですよ。「ミジンコを研究している冴えない男が、ある朝冷蔵庫のドリンクを飲んだら赤毛の美女に変身してしまう。それは彼の奥さんが研究していた、女王蜂の性ホルモンエキスだった」という始まりで、それから色々なすったもんだがあって、結局彼は赤毛の美女として生きていくこともできるという状況になるのですが、もう一方で今までの冴えない男に戻るかどうかの選択肢に迫られ、彼はすごく悩むんです。その悩むシーンの音楽がすごく分かりやすくて、きれいなんです。東京初演の際、全国紙の文化面でもたいへん評価の高かった作品で、作曲家の伊藤康英さんは歌曲でもすごく感動的な作品を書いていますが、その美しい音楽にお客様がみんな涙するのだそうです。

ー「ミジンコを研究している」という出だしから、面白そうなストーリーですね!

そうでしょう?それを今度、中井亮一さんと所谷直生さんというタイプの違うおふたりがドタバタを演じ、また女装するシーンもあったりして、でも最後は泣かせるんです。おふたりをご存知の方からしたら、絶対にやらなそうな役だと思うでしょう?だから、面白いと思って。私自身が今からすごくワクワクしていて、「早く見たい!」と思っているんです。指揮は坂本和彦さん、演出は松本重孝さん。おふたりは、鹿児島で上演されたときからこの作品を何度も手がけていらっしゃるので、お気持ちに余裕を持っていらっしゃるのではないかと思います。こういうオペラは、いい意味で遊びがないとね。そのほうが、お客様にも伝わりますから。ですから、早く10月が来ないかと今から待ち遠しい思いです。

ー今から、とても楽しみですね!一方の『夕鶴』はいかがでしょうか?

『夕鶴』は、もう何回も何回も上演されている作品ですので、本公演で採り上げるにあたっては「話題性」というものを考えなければならず、それこそコンセプトをどうしようか、と気にかかっていました。そうしたら、今回は演出が岩田達宗さん、指揮が園田隆一郎さんなのですが、岩田さんがすごくこの作品への思い入れが強くて。「近年、この『夕鶴』という作品は「金銭欲に掻き立てられての裏切り行為」だとか、「約束事が守られなかったことに起因する悲劇」とか、そういう部分ばかりが強調されてしまっている。けれど木下順二さんの台本で元々いちばん大切だったテーマというのは、「摂理を超える願望・欲望の達成がもたらす結果が、取り返しのつかない悲劇になる」ということなのだそうです。ですから、今度の『夕鶴』では、この木下順二さんの台本の原点を踏まえて演出意図を際立たせ、「人間同士の恋など及ばない、凄まじい燃える恋を表現する必要がある」とおっしゃっているのです。すごいでしょう?これを聞いて、私はちょっと燃えました(笑)。私自身もこれまで『夕鶴』は何度も観てきているけれど、ここまで奥深い内容の作品だとは知らず、やはり民話としての美しい物語であると感じていたんです。でも岩田さんは、「生物の垣根を超える、激しい恋と破滅の物語を通して、真の豊かさを失っていく人間世界の終わりを暗示する、スケールの大きな作品として演出したい」とおっしゃるのです。

ー本当に、そのコンセプト自体がとてもスケールの大きな構想ですね!

そう、そのコンセプトに私は惚れ込んだのです。岩田さんはご自身が「こうだ」と信じることは実践なさる方ですから、せっかく日本オペラ協会として『夕鶴』を採り上げるということもあり、岩田さんにやりきっていただければと考えています。園田さんにも、このコンセプトを十分ご理解いただければと思っていますし、歌手陣も名歌手ばかり揃えているのですが、みなさん喜んで「やりたい」とおっしゃってくれています。今までにない『夕鶴』ができるのではないか、岩田さんの演出がどのように形になるのかと、こちらは私が「ワクワク」というより「ドキドキ」している作品でもあります。

ーまさに、日本のオペラを専門上演している団体としてふさわしい、存在感のある作品になりそうですね。

そうですね。本公演の第1作目としてふさわしいと思います。元々この作品は、1952年に当会の創設者である藤原義江先生が、藤原歌劇団として大阪で初演した作品なんです。藤原先生は洋物オペラの大スターでいらっしゃいましたけど、一方では「日本の歌を歌いたい。日本のオペラをつくりたい」ということもずっとおっしゃっていましたので、やはり日本オペラ協会と藤原歌劇団とは、切っても切れない深いご縁があるな、と感じております。そういったことも含めて、このたびは『夕鶴』を採り上げました。

ーご縁深い、魅力的な日本オペラの代表作なのですね。ゾクゾクするようなコンセプトで創る『夕鶴』、こちらも楽しみにしています。

お客様に感動を伝える大切さを、若い世代へ伝えていける。だから、歌い続ける。

ー早速総監督として新しい試みを次々に実行されている郡さんですが、一昨年から昨年にかけて行われた40周年記念の3回のリサイタルなど、現役の歌手活動も精力的に継続されていますね。両立させるのは大変ではないですか?

そうですね、昨年度、総監督補として大賀先生とご一緒していた期間に、大変なお仕事であるということは感じましたけれども、これまで歌手としても制作期間の長いオペラと並行して、自身のコンサートやリサイタルをやるという活動を25年間ずっと継続してきました。ですので、もう習慣づいてしまっているのです。これはぜひ若い歌い手の方々に申し上げたいことですが、オペラ歌手は、コンサート歌手も目指してほしいというのが私の考えです。舞台の中央に独りで立ち全身全霊を込めてお客さまに歌いかける。その時自分の歌に誤魔化しは効きません。そしていつしかレパートリーが広がり、自分の歌を聴いて下さるお客様も増えてくる。その結果、自分の歌の成果を世に問うリサイタルにもつなげていくことができます。また舞台度胸がつきますし、そのことは地に着いた自分の歌を充分に歌えることにつながり、それは結局オペラの舞台で自分の力を充分に発揮できる自信につながります。オペラと並行して「自分の世界をつくる」という目標も持たれたら、人生がますます楽しいものになるかと思います。私も「歌を通じてのお客様方との対話」であるコンサート活動は、これからも続けさせていただこうと考えております。

郡愛子30周年記念リサイタル「生きることは愛すること」
(2005年11月21日/会場:東京芸術劇場大ホール)写真:津田 惇一

ーコンサート活動は、もうご自身のライフワークの一部となっていらっしゃるので、自然体でお出来になるのですね。

そうかも知れません。そして、やっぱり自分で実際に歌ってみることで、この歳でも「前よりもできるようになった」と感じることもあるので、そうした発見を若い方にアドバイスすることもできますし。私は、結構発声オタクなのです(笑)。やっぱり発声って、歌手にとっては命なんですよね。もう何十年も歌っていません、というのにあれこれ言うのではなく、今でも発声のことを大切に実践しているからこそ、発声で悩んでいる方に身をもって伝えてあげられることもある。その意味でも、コンサート活動はできる範囲で続けていこうと思います。ただ、オペラに出るというのはしばらく難しいかもしれないですけどね。総監督というのは責任ある仕事ですので、まずはそれが一番です。

ー実際に歌う感覚や現場感を肌身で知っているからこそ、制作サイドにも活かせることがあるのですね。郡さんから見て、今の歌い手の方々はどうお感じになりますか?

日本オペラ協会にしても藤原歌劇団にしても、本当に才能のある方が多くて、「オペラに出たい!」という強い思いで涙ぐましい努力をされていると思います。それと並行して、先ほど申し上げたように「自分の世界をつくっていく」ということも、若い頃から考えていってもいいかもしれないですね。そうなると、「日本の歌」につながってくるんです。やはり、日本の歌は望まれますから。聴き手が日本人であれば、「いちばん分かりやすい日本語の歌が聴きたい」となりますので、歌い手も自然と日本の歌に入っていくことになるのではないかと思います。

ー歌手自身にとっても、日本人として、という部分もありますよね。

はい。やっぱり自分が分かる言葉で歌うときって、「この歌詞の、この感動を人に伝えたい」と思うようになってくるんです。私も若い頃は声重視でしたが、日本の歌を歌うようになって、「自分の感動を丁寧にお客様に伝えたい」と思うようになりました。そうすると、お客様とのコミュニケーションもスムーズにとれるようになって、応援してくださる方もずいぶん増えたし、「郡さんの歌に心動かされる」といつも来てくださるお客様もいらっしゃいます。私の歌に感動するというよりは、お客様ご自身に何か思い出がある場合、それに重ねて涙したり、笑ったりされるんです。だから私は、先ほどのオペラのコンセプトとも重なりますが、「笑いと、涙と、大切なこと」というテーマでずっとコンサートをやってきました。そうすると自然に、自分自身で感動したことをどうしたら相手に伝えることができるかということを常に考えるようになり、歌を丁寧に歌うことにつながる。いつもコンサートが終わってからロビーでお見送りをするのですが、お客様が「今日、来て本当に良かった!」「感動しました!」とお声をかけてくださると、今度はこちらが「次はもっと良い演奏にしなければ」と考え、自分の歌にさらに磨きをかけるようになる。それがやがて「あの方が出ているオペラなら観てみたい」にもつながり、お客様方との相互関係がさらに深まる…そのように思います。

郡愛子25周年記念リサイタル「愛と感謝の歌」
(2000年12月6日/会場:東京芸術劇場大ホール)写真:津田 惇一

ーまるで、「感動」でコミュニケーションをとりあっているようですね。

そうですね。とにかく歌い手にとって、応援してくださるお客様というのはすごく大事な存在なんです。意外に気が付かないけれども、そういうことまで考えていくことで、歌い方もまた違ってくるかもしれない。リサイタルやコンサートのご案内状やチケットをお客様へお送りするとき、必ず自筆で一筆書き添えるようにしています。そういうちょっとしたコミュニケーションでも、すごく大事。若い方でも、これから10年、20年、30年とお客様に応援していただくためには、こちらも「気持ちを伝える」という努力をしていかなければならないですね。

ー大変いいお話を、ありがとうございます。日本オペラ振興会は、団体をまたいで皆さんの仲がとても良いことで知られていますが、いい意味で年齢に捉われることなく、迷ったときには郡さんを頼れる、郡さんからも歌い手としてアドバイスをできるという環境にありそうですね。

そう!ですから逆に、私が総監督をやるのであれば「力を貸すから」と、歌い手の方も事務局の方も、皆さん言ってくださるんです。それに藤原歌劇団の折江総監督も、ものすごくいい方でしてね。エネルギッシュで、温かくて、日本オペラ協会に対しても大変ご理解があって。折江さんは、私が少し躊躇しているときに「一緒にやっていこうよ!」と言ってくださったんです。何十年間も続いてきたやり方を私が「変えたい」とお願いしたときも、もちろん事務局の皆さんがすぐに動いてくださったお蔭で実現したのですが、折江さんのご理解と後押しというのもとても大きくて。その柔軟さと温かさと、「一緒にやっていこうよ!」という言葉に励まされてここまで来ました。結局は、日本オペラ協会も藤原歌劇団も、同じ日本オペラ振興会のなかの二本柱ですからね。これまで60年にも亘り大賀先生がやってこられたことを引き継ぐというのは本当に大変なことですが、これからいよいよ総監督の仕事が本格的に始動するにあたり、そのスタート時点で既に皆様のお蔭で新しいことに一歩踏み出せたかな…と感じています。

聞いてみタイム♪ 前回インタビューさせていただいた押川浩士さんから、質問のお手紙が届いています。

ー若かりし頃、やっておけばよかったと、今思うことは何ですか?

やっておけばよかったこと(笑)?大体のことは人の10倍か、20倍か、100倍ぐらいやってきているから(笑)まぁ…勉強でしょうかね。

ーそれは、いわゆる学校の勉強ですか?

そうですね、中学高校ものんびりしていましたから(笑)。それから、若い頃にもっともっといっぱい暗譜しておけばよかった!若い頃に覚えた曲というのは、今でもサッと出てくるんです。ただ、歳をとってから暗譜した曲は全然覚えていないんですよ。あとのことは、大抵やってきましたからね。勉強と、暗譜。真面目すぎる答えかもしれませんが。「若い頃にやらなければよかったこと」だったら、お酒をあんなに飲まなければよかったことかしら(笑)!

ー若い頃に暗譜された曲でサッと出てくる、というと、例えばどんな曲がありますか?サッと出てくる、いちばん好きな曲、でも良いのですが。

色々あって選ぶのが難しいけど、自分でショパンのピアノ曲「別れの曲」にオリジナルの詩をつけた、「これ以上の愛は」という歌は挙げられるかもしれません。

ーご自身で作詞もされるのですね!

はい、結構自分で詩をつけるんです。最初は色々な歌を原語で歌っていたのですが、それではお客様に気持ちが伝わらないと思って、あるときから自分で日本語の詩をつけるようになって。そのなかでも「これ以上の愛は」は、必ずコンサートの最後に歌うことにしていて、お客様は涙してくださるんです。でも、ずっとp(ピアノ:小さな音)で歌わなくてはならず、しかも結構音が高いんです。あの曲が歌えなくなったらちょっとまずいなと思うので、オペラ以外の曲を歌うにしても、自分の筋肉や体、発声や歌のテクニックを、いつでもしっかり整えておかなければいけないなと思いますね。

取材・まとめ 眞木 茜

郡 愛子

メッゾ・ソプラノ/Mezzo Soprano

藤原歌劇団 正団員 日本オペラ協会 正会員

出身:東京都

桐朋学園大学短期大学部卒業。同大学研究科修了。
1975年日本オペラ協会公演「春琴抄」でオペラデビュー。78年に「愛の妙薬」のジャンネッタで藤原歌劇団デビュー後、多くの公演に出演。NHK交響楽団を始めとするオーケストラと多数共演。02年横浜アリーナでの「3大テノール・ラスト・コンサート」にゲスト出演。04年「キャンディード」でオールド・レディを演じ絶賛を博す。また音楽番組や、ラジオ、CMソングなどにも多数出演。奥深い芳醇な声に恵まれた、日本を代表するメッゾ・ソプラノとして活躍している。
第13回、14回ジロー・オペラ賞受賞。
藤原歌劇団団員。日本オペラ協会会員。東京都出身。
2016年4月より日本オペラ協会総監督補を務め、2017年4月より日本オペラ協会総監督に就任。

公演依頼・出演依頼 Performance Requests
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