リサイタルで伝えたいのは、これまでの自分の経験や想いのすべて。歌曲やオペラ・アリアを過去から順を追っていき、今の自分があるということ、そして未来の自分も提示したい。リサイタルでは一幕オペラを「絶対にやる」と構想していた。オペラをやることは、オペラのなかに生きることが心地いいと感じる自分を見せること。共演者のパフォーマンスも、彼らと共に歩んできた自分を見せることにつながると思う。家でも、いちばん多い会話は歌の話。オペラは「人」を知れる。それに気付いたあの日から、ずっと挑み続けてきたから。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第17弾は、2018年1月20日にトッパンホールにて、「五島記念文化賞オペラ新人賞」の成果発表リサイタルを行う党主税氏に、リサイタルへの意気込みや、オペラ、共演者への想い、オペラとの出会いなどについてお話しを伺いました。
これまでの自分を、すべて伝えきりたい。ひとつの取りこぼしもなく。
ー本日は、来年2018年1月20日に開かれる、党さんのリサイタルのお話を中心にうかがっていきたいと思います。まず、このリサイタルに向けての意気込みをお聞かせいただけますか。
はい。「五島記念文化賞オペラ新人賞」の成果発表としてのリサイタルになるのですが、賞をいただいてから少し時間が経っているということもありますので、これまで培ってきた経験や温めていた構想などを、全部発揮できるようにしたいと思います。ひとつの取りこぼしもないように。それが望みですね。
ーすべてを伝えきりたい、という思いなのですね。プログラムの選曲ポイントというのはありますか?日本ではなかなか聴く機会のない、珍しい曲が多いようにお見受けします。
第一部ではまず、声楽を始めたての頃に大変お世話になった故・大城康宏先生が、とても大事にされていたトスティの歌曲を歌おうと思っています。先生から「オペラばっかり歌うんじゃない、ロマンティックな歌曲も歌わなければダメだ」という教えを受けましたし、しかもトスティの曲は耳なじみがいいので、ぜひともプログラムに入れたいと。それからオペラ・アリアのほうでは、藤原歌劇団に研究生として入って本格的にオペラを勉強しはじめたときからの流れになっています。もう、モーツァルトの作品なんかは相当勉強させられましたし、僕自身がすごく好きな曲でもあります。モーツァルトやロッシーニなどは、こんにちまでの僕が形作られたうちの、最初の部分を担ってくれた作曲家なのです。また、プログラムにはジョルダーノという作曲家の『アンドレア・シェニエ』のアリアも入っています。この曲は大人のバリトンが歌うようなイメージがある曲ですが、これは、これまでの「僕」という小さな歴史の、その先の未来に少し足を踏み入れているというメッセージがお伝えできれば、と思っての選曲です。
ーすべてを伝えきりたい、という思いなのですね。プログラムの選曲ポイントというのはありますか?日本ではなかなか聴く機会のない、珍しい曲が多いようにお見受けします。
第一部ではまず、声楽を始めたての頃に大変お世話になった故・大城康宏先生が、とても大事にされていたトスティの歌曲を歌おうと思っています。先生から「オペラばっかり歌うんじゃない、ロマンティックな歌曲も歌わなければダメだ」という教えを受けましたし、しかもトスティの曲は耳なじみがいいので、ぜひともプログラムに入れたいと。それからオペラ・アリアのほうでは、藤原歌劇団に研究生として入って本格的にオペラを勉強しはじめたときからの流れになっています。もう、モーツァルトの作品なんかは相当勉強させられましたし、僕自身がすごく好きな曲でもあります。モーツァルトやロッシーニなどは、こんにちまでの僕が形作られたうちの、最初の部分を担ってくれた作曲家なのです。また、プログラムにはジョルダーノという作曲家の『アンドレア・シェニエ』のアリアも入っています。この曲は大人のバリトンが歌うようなイメージがある曲ですが、これは、これまでの「僕」という小さな歴史の、その先の未来に少し足を踏み入れているというメッセージがお伝えできれば、と思っての選曲です。
ーこれから先、歌っていきたい方向性ということですね。
そうですね。きっと聴く機会の少ないアリアですよね。強烈な歌ですし、諸刃の剣でもあるとは思うのですが。この曲名を見て「おいおい党くん、大丈夫か」なんて思う人もいるかもしれないですね(笑)。
ー今まで歌われたことはありますか?
小さなところでは歌ってきましたが、オペラの役として歌ったことはないですし、このような大きいホールで演奏したことはないですね。
ーそれは、楽しみですね!ロッシーニの『ブルスキーノ氏』のアリアなども、なかなか珍しい曲ですね。
そうかもしれませんね。ロッシーニに関しては、東京でも比較的最初のころから歌ってきましたし、イタリアに留学した時にあちらの先生にも、違う曲ではありましたが聴いていただいて「あぁ、合っているね」と言われたりもして。とにかくロッシーニ、それからモーツァルトが好きなんですよね。だから、その「好き」という気持ちが見せられたらいいなと思っています。
ー「好き」という熱意は、きっと伝わりますね。
そう願います。
ー曲順としては、党さんの歴史を辿るように並んでいるのですか?
そうですね。まずこの曲、次にこの曲、と辿っていって、今の僕があるということをお伝えできればいいなと思います。
ーそして、気になるのは第二部。オペラ『スザンナの秘密』を、一本上演されるのですね。
気になりますよね、盛りだくさんの第二部です(笑)。この数年のあいだ、この“成果発表”のリサイタルというもののイメージをずっと考えていたのですが、「絶対にオペラはやる」と決めていたんです。一幕ものの、面白いオペラ。もともとオペラに興味を持って声楽を始めたものですから、オペラの中にいる自分というものが一番自分らしいというか。とても居心地がいいと感じるのです。なので、リサイタルでオペラをやるということは外せないな、と。
ーオペラの中にいるのが居心地いい、ですか。
そうなんです。今回のチラシでも本当は自分の名前を出さず、「ジルです」なんて言いたいぐらいです(笑)。写真も、メイクして撮ったりして。
ー役としているご自身が、自然な感じがするのですね。
自分自身でいる、というのが恥ずかしいのかもしれませんね(笑)。
ー特にこの『スザンナの秘密』という作品を選ばれた理由というのは、何かおありですか?
そうですね、一時間以内で、登場人物も2、3人の一幕もののオペラというのはいくつかあるのですが、この作品は昔日本語でやったことがあって。そのときから、そのうちイタリア語で絶対やりたいと思っていた、という理由もひとつありますね。それから音楽は美しい、話はバカバカしい、というコントラストもいい。ご存知ない方にも、「オペラってこういう作品もあるのね!」と喜んでいただける作品だと思いますね。
ー定番の人気作品も良いですが、こうした珍しいオペラに出会える機会も大変貴重ですね!オペラ歌手の薦める隠れた名作、楽しみです。
オペラの中に生きる心地よさ。共に歩んだ共演者。それも自分の歴史。
ー先ほど「オペラの中に生きている自分が自然」とおっしゃっていましたが、党さんの役づくりはどのように行われるのか、お話を伺えますか?
オペラの楽譜を見たり、音楽を聴いたり、台詞を追ったりしていると、その役の人でなければ“そうはならない状況”がつくられていると感じるんです。いい作品であればあるほど、そういうつくりになっていると思う。たとえば、普段僕たちは笑ったり泣いたり怒ったり、いろいろな感情になって生きているのだけど、あとから考えると、そのときは必然的にそうせざるを得なかったと思うのです。その日何をしたか、何を食べたか、たまたま機嫌が良かったか、悪かったか、など様々ですが、そういった状況があってその先の行動に結びつく。それが「その人自身」であるという逃れられない事実が、オペラの中に縮図として全てあるという感じがして、そこにそのまま自分が乗っかるイメージ。それが僕の役づくりです。
ー役に「乗っかる」ですか。
そうです。そのとき「音楽の役割って大きいな」と思うのは、台詞で言えないことを提示してくれる気がするんです。「辺りが騒がしい」「心がざわめいている」などの状況を、オーケストラが奏でてくれる。それを聴いていると、自分もそう感じているような気分にさせられる。それを、僕たちは「解釈」と呼ぶのでしょうけどね。そうして役になっていると、「自分」を出す余地がないんです。「いい声で歌えているかな」「変な顔をしていないかな」という、雑念のようなものが入らなくて済む。それが心地いいんでしょうね。
ーそういう意味では、リサイタルは大変ですね。ときどき歌手の皆さんへも、「オペラとリサイタル、どちらが大変ですか」とお聞きすることもありますが。
みんな、「リサイタルの方が大変」と言うでしょう(笑)。
ーその通りです。今回のリサイタルの、共演者の皆さんについて少しお伺いできますか?
はい。皆さん、どなたも僕にゆかりのある方々です。演出の松本重孝先生は、僕が藤原歌劇団の研究生だった時代からの先生ですね。卒業して団員になったあとも、現場で何度もお会いして一緒にオペラを創り上げてきました。すごく尊敬している方なので、『スザンナの秘密』の演出もお願いしたいと思ったのです。また、同じく『スザンナの秘密』の指揮をお願いした仲田淳也君は僕と同い年なのですが、この五島記念財団の賞を頂いた際にピアノを弾いてもらっているんです。十数年来の友人で、イタリア留学時代にも一緒に勉強した仲間でもあります。指揮も上手いし、ピアノもすごく素敵なので、第一部は彼に伴奏してもらい、第二部は振ってもらおうと思いお願いしました。第二部の楽器の皆さんは、その仲田君プロデュースということで、今回の作品をつくるのに良いと考えるメンバーを集めてもらいました。仲田さんも信頼しているヴァイオリンの工藤ゆかりさんという方は素晴らしく、おふたりに僕が共演して頂きたいということを出発点に、他のメンバーにも声をかけてもらったのです。
ー仲田さんは、いわば党さんの戦友なのですね!
そうですね!半分ぐらいは、彼の“せい”ですね(笑)。
それから、「サンテ」役の柴山秀明さんは、僕が最初の頃藤原歌劇団の合唱団員として舞台に乗っていたときによくご一緒したかたで、とにかく芝居が上手なんです。歌手なんですけど、藤原歌劇団の誰もが認める名喜劇役者でもあります。「サンテ」というのは歌わない黙役なので、失礼とは存じながら、ぜひお願いしたいと思ったのです。本当に素晴らしいですよ。松本重孝先生とも意見が一致したぐらいです。僕は、あえて最初に意見を言わずに「この役にふさわしそうなかたは、どなたか心当たりはありますか?」とお聞きしたのですが、先生は「柴山さんはどうですか」とおっしゃった。それぐらい、認められているかたなのです。
ーなるほど、柴山さんのお芝居も必見ですね!そして、最後にお聞きしたいのが…お相手役の「スザンナ」です。こちらは、党さんの奥様ですね。
はい、そうなのです。「スザンナをどなたにお願いしようかな」と考えていたとき、最初から実はふと脳裏に浮かんではいたのです。でも、苗字も同じなので関係者でなくともすぐ分かるだろうし、身内でやるというのはどうなのだろうという迷いもありました。けれど、今回のリサイタルは僕の「歴史」をお伝えする役目もあるということを考えると、先ほど仲田君のことを“戦友”と言ってくださいましたが、まさに妻・静子さんも同じように戦友のひとりだと思ったのです。本当に最初の頃から僕をずっと近くで見ていてくれたし、彼女自身も歌を歌うし。彼女のパフォーマンスからも、お客様は僕の歴史を見ていただくことができるだろう、「一緒にやる」ということは、逆に格好つけずに僕の全部をさらけ出すということにつながるだろうと思って、今回お願いしたのです。もちろん、単に頼みやすいからというのではなく、「スザンナ」を表現する実力を持っているという理由もあります。
ー共演の皆さんも含めての、党さんの「歴史」なのですね。
オペラは「人」を知れる。電撃的に出会ったあのときから、ずっと挑んできた。
ー日頃から、奥様と共に高め合っているな、という部分はありますか。
そうですね、普段からほとんど歌の話ばっかりしているんですよ。そういう意味でも「一緒につくってきた」といえるんでしょうね。
ーほとんど歌の話なのですね!
そうなんです。たとえば趣味でも、「歌のためにはこれをやったほうがいいんじゃないか」という観点から始めるので、結局趣味の話をしていても歌の話になっていたりします。
ーちなみに、ご趣味はなんですか?
今、「合気道」をはじめとする古武術にはまっています。もう6、7年になるかな。それも、最初は「舞台で動ける体をつくる」という目的で始めて。やり始めると、それはそれとして面白くなってくるのですが。
ー古武術だと、結構声を出されるのではないですか?そこがオペラに生きるのでしょうか?
気合いを入れるときは、「えいっ」とか「とうっ」とか腹から声を出しますけど、それが舞台に生きているかどうかは全く未知数ですね(笑)。でも、体のためにと思ってやっていたけど、もしかしたら心を鍛えているのかもしれない、と思うことはありますね。はじめは、「古武術のこの部分は、舞台にこういう風に使えるのでは」と、舞台に生かせるようなことを探すつもりでやってみたけれど、それはちょっと姑息な気がして。あとから考えたり、もしくは人が見たときに「あ、これはもしかしたらこの部分が生きているのかもしれない」と気づくことはあるかもしれないけど、あまり自分から意識的にキャッチしようとしすぎると、かえって身体的にも良くなくて。それよりもむしろ、強い相手と組むときはやっぱり恐怖心も起こるので、逃げない気持ちだったり、集中力だったり、「揺るがない心」とかそういったものを育んでいるように思います。
ー「揺るがない心」は、確かに舞台にも生きそうですね。オペラは、ご自身が出演されないものを普段から観に行かれることはありますか?
最近はあまりなくて、むしろオーケストラや楽器をよく聴きます。歌は、勉強しようとしてしまって、なんだかダメですね(笑)。
ー心から楽しめないのですね(笑)。どんな楽器を聴かれるのですか?
そうですね、フルートや古楽器、それからジャズも聴きます。また、演劇もよく観に行きます。さっきもお話しましたが、オペラは音楽が支えてくれる部分があるけど、それなしで台詞を覚えて、またその台詞のイントネーションや間合いもその時々で変えたりしながら舞台をつくる俳優さんたちってすごいな、と尊敬します。ジャズのように、即興で演奏できる人のような凄さを感じます。
ー異なる表現方法から刺激を受けるのですね。ところで、党さんは大学時代、なかなか興味深い分野を専攻されていたのですね。
よく聞かれます(笑)。教育学部の心理臨床科ですね。これは、僕が高校のころにさかのぼるんですが、進路を決めるときに自分は何に興味があるかな、と考えて「“人”に興味があるな」と漠然と思ったんです。それで、どこに行けば“人”が勉強できるかと探したときに、心理学だと思ったのです。そして進学し勉強してみたら、なんとなく自分が思い描いていた“人”の勉強とは少し違うように感じた。そんな日々を過ごすなかで、4年生のときに大学のオペラ・サークルに誘われて。そのときはまだ、「なんですか、オペラって?」みたいな感覚でしたが。同じ心理学科の女の子がそのサークルに参加していて、僕が当時ギターを弾きながら流行歌などを熱唱していたのを見て歌が好きと思われたのかもしれません。「男の子が足りないから手伝って」と声をかけられて、友達とふたりで「じゃあ思い出づくりにやります」なんて言って演じたのが、いきなり『カルメン』の「エスカミーリョ」。今から考えると、ひどい話ですよね(笑)。
でも、とにかく『カルメン』とはどういうものかと映像をひたすら観て勉強し、舞台制作も全部自分たちでやらなければならなかったから、大道具つくって、小道具をつくって、チラシをつくって、演出も自分たちでつけて…と、オペラをゼロからつくっていくうちに、「これだ!」というものがあった。さっきの話につながるかもしれないけれど、「エスカミーリョ」というあるひとりの人物を演じていることが、僕には“人”の勉強をしているように思えたんです。「あ、僕がやりたかったのはこういうことだったのかもしれない」と、ストンと腹落ちした。それで、最初にお話した大城先生に「オペラがやりたいです」と相談したのです。
ーオペラで「人」を知れる!それは、とても衝撃的な気付きでしたでしょうね。
すごく衝撃的な出会いでした。そのあと、先生には一度「他の学校の音楽部を受けてみなさい」なんて断られたりしたんですけどね(笑)。でも、巡りめぐって結局先生について、カバン持ちから始めさせてもらったんです。
ー人生は何が出会いになるか、本当にわかりませんね。
本当ですね。でもそんなスタートだったから、藤原歌劇団の研修所に入って、コンクールやオーディションも本当にたくさん受けて、とにかくどんどん自分に自信をつけていかなければいけないな、という切迫感はずっとあったんです。気は強かったので、「ダメでもともとだ!」と自分なりに勇気を奮ってここまで進んできたのですが、今回の「オペラ新人賞」を頂いたとき、「どうしよう、認められてしまった…」と、その重責に思わず身震いしてしまいました。ずっとチャレンジャーだったので。よく考えたら、認めていただいても、これからもチャレンジャーであり続けることに変わりはないのですけどね。
ー受賞が、党さんにとってとても大きな、大切な意味を持っていたのですね。
そうですね。本当に大きかった。その重みを受け止めて、じっくり向き合い、ここまでの自分の道のりをお見せできる準備ができた。それが、今回のリサイタルなのかもしれません。
ー素晴らしいオペラとの出会いの物語をお聞きしたあとのリサイタル。これは、行かずにはいられません。
聞いてみタイム♪ 今回の質問リレーは、前回お話をお聞きした坂口裕子さんからのものです。
ーイタリア留学時代に、いちばん思い出に残っていることは何ですか?
少し漠然としてしまうかもしれませんが、いちばん最初にミラノに着いたときに感じたのが、建物がすごい!ということでした。昔からある建物に、今の人たちが住んでいる。ミラノはイタリアのなかでは新しい建物が多い方ではありますが、それでもドゥオーモや教会などは何百年も前からちょっとずつ建ててきたものだし、それが自然に現代の生活のなかにあるということにすごく感銘を受けたんです。建物のなかを改造して、人が普通に住んでいたりとか、ホテルになっていたりとか。この歴史のつながり感、歴史が流れてきた先に今自分がいるということが、改めて考えるまでもなくごく普通であるっていうことがなんだか羨ましかった。だからイタリア人って、自分の国にすごく誇りを持っているのだなぁ、と。歴史のなかに生きていることが目に見えて感じられたことが、自分自身の具体的なエピソードではないのですが、「思い出」といわれて思わずパッと浮かんでしまうことですね。
ーとてもインパクトがあったのですね。
本当に印象が強かったです!
ー考えてみれば、オペラもそうですね。
そうですね。何百年も前の作品が、歌い継がれ、今でも普通に上演されているという。とにかく、歴史の衝撃が大きかった、ということですかね。
ーありがとうございました!
取材・まとめ 眞木 茜