トランペットを志す若者から声楽科への転身、イタリア留学での出会いと開眼、帰国後の藤原歌劇団入団とオペラ歌手としてのキャリア。年を経るごとに強まるオペラへの想い。およそ20年間自分をつくり上げてきた愛すべき音楽たちを、振り返り、噛み締めながら、40歳を目前にした今こそまっすぐにお客さまへ伝えたい。普通のテノール歌手とはまた違う一面も披露する8月のコンサート、こんにちまでの研究成果を魅せきる9月の初リサイタル、米寿を迎えるアルベルト・ゼッダ氏の指揮による12月のスペシャルコンサート、そして(一財)地域創造公共ホール音楽活性化支援事業登録アーティスト(おんかつ)など様々な活動を通して、藤原歌劇団の一員として、日本中にオペラの魅力を伝えていきたい。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第二弾は、今年8月、9月、12月と立て続けに大きなステージを控える傍ら、「おんかつ」登録アーティストや大学での指導者として、ますます活躍著しいテノール歌手・中井亮一氏にお話をうかがいました。
今こそ、自分の音楽を伝えたい。9月の初リサイタルへ向けて。
ー中井さんは、8月から3つ大きなコンサートに出演されるとお聞きしています。8月18日(木)と、9月8日(木)と、12月1日(木)の3つですが、まず順番は前後しますが9月8日のリサイタルについてお聞きしたいと思います。初リサイタル、というのは少し意外な気がしました。
自分の中でなんですが、「リサイタル」と「コンサート」は分けて捉えていて。「みなさん、こんばんは!」で始まり、曲の解説をしたり、ゲストと一緒にデュエットしたりという、いわゆる「コンサート」には今までも何度かやらせていただいて、充実したキャリアを積ませていただいています。でも今年12月にちょうど40歳になるんです。年齢で区切るつもりもないんですけど、やっぱりふっとこれまで20年を振り返ると、まっすぐ自分の研究分野をお客様の前で披露したことが1回もないまま来てしまった、ということもあって、タイミングを感じて、今年初めてフォーマルな「リサイタル」をやることにしました。
ーご自身の研究分野とおっしゃるのは、やはりロッシーニ(が作曲した作品)でしょうか?
今はそうですね。まぁそれだけではなく、色々とやってはいるんですけれど。私は、大学で声楽を始めて。だいたい中学生・高校生ぐらいから始める人が多いんですけど、私はトランペットだったものですから大学に入って(歌を)始めたということもあって、とにかくがむしゃらだったというか。「ゼロから頑張らなきゃ」みたいな気負いもあって、自分なりに一生懸命勉強した曲、学生時代も含めて20代など若いときに勉強した曲を、実はコンサートで取り上げる機会がなかったので、それらの曲を、うしろを振り返りながら、1回リサイタルという形で披露したいと思いました。一方で、プロになった後というか、基礎が出来て、ある程度技術がついてきたから専門的に、というときにロッシーニを中心に勉強しはじめたので、それでもちろんロッシーニがメインですけど。その前後の作品も(研究対象)ですね。
ーそういうところが今回の選曲にも表れているんですね。これはご自身の選曲ですか?
はい、全てそうですね。
ー前半は、歌曲が中心ですか?
はい。「イタリア古典歌曲集」といって、日本の音楽大学では声楽はほとんどここから始めるというような、ピアノの「バイエル」みたいな感じの曲集の中から、私が人生で初めて歌った”愛しい人よ”という副科(声楽を主な専攻としない)の人もやるような曲も入れて、自分の今までの経歴を追うような感じでプログラムを組んでます。「イタリア古典歌曲」は、一番初期の頃にやったという意味もあるんですけど、一方で30歳のときにイタリアに留学して、そこでバロックの先生について改めて勉強し直して、また違うアプローチだったり専門的な視点から仕上げた曲でもあるんです。それで、それらの曲で最初は始めたいなと思っています。
そのあとはロッシーニですね。時代的にもバロック、古典のすぐあとに来るってこともあります。歌曲を3つと、オペラアリアを1つ。歌曲は、自分の声に合っている曲として、(なかには)耳なじみない曲もあるかもしれませんが、研究してきたものを披露したい、という意味でほぼ100%“今”聴いていただきたいものをロッシーニ作品から3つ選んでいます。アリアは、先日日生劇場でも出演させていただいたんですけど、『セビリアの理髪師』というオペラのなかの、長くて、よく(オペラ上演でも)カットされるちょっと難しいアリア(”もう逆らうのはやめよ”)で。自分のマイルストーンというか、今までもオーディションだったり色々なところで評価をいただいたときは、このアリアをお褒めいただいて次の仕事につながったなんて経験もあって、自分なりに思い入れがあって、今一番聴いていただきたい曲かなぁというつもりで1部のトリにもってきています。
ーその曲が1部のハイライトということになるでしょうか。
うーん、そうなればいいですけどね!(笑)
ーそんな思い入れのある曲で構成された前半ですが、後半は、ドニゼッティの曲などもあるようですね。
はい、全体が4部構成になっているなかで前半が今の2部で、後半の頭にオペラアリアを3つ、これはすべて藤原歌劇団へ入団以降に、実際に全国の舞台で歌ったものをチョイスしました。私は山口県出身で、愛知県で勉強して大学を出て、東京を経由せずに直接イタリアにいったので、東京の事情とかを知らないままプロ活動をしていました。2012年に、それまで賛助出演という形で本公演に出させてもらっていたのを、正式に入団させていただき。もちろん日本一の団体ですから、そこから圧倒的にキャリアが拡大したっていう意味で、やっぱりご恩返し、そしてこれからもぜひ藤原歌劇団にお世話になりたいということもあって、藤原歌劇団でやったオペラアリアを3つ選んでいます。あとで話すことになると思いますが、アルベルト・ゼッダ先生の指揮のもとでやったオペラ『ファルスタッフ』と、『愛の妙薬』というオペラ、これは今の総監督の折江忠道先生とも共演したもの、それから『夢遊病の女』という、入団したとき新国立劇場のステージで歌わせていただいたオペラ。この3つをオペラアリアとして選んでみました。
ーこの3曲から後半がスタートするんですね。
そうですね、ガラッとオペラの雰囲気になればいいな、と思います。
ーやはり、後半も思い入れいっぱいなのですね。有名な曲でなくても、聴いてみると案外いい曲!という音楽はたくさんあると思いますし、発見はあるかもしれませんね。
そうだといいですね(笑)。
ー「もっと有名になってもいいのに」というもったいない曲はたくさんありますよね。
まぁでも、もともとオペラの中でテノールっていうのはそんなに有名じゃないので、“誰も寝てはならぬ”と“星は光りぬ”、“女心の歌”ぐらいじゃないでしょうかね、曲と題名が一致するのは。『セビリアの理髪師』とか『フィガロの結婚』とか『カルメン』とかは、テノールのアリアがパッと浮かぶほどは、なかなか… なので、(逆に)そういう意味でも、「これ知ってるでしょ?」という曲よりは、自分が舞台で(情熱を)かけた曲を自信を持って披露したい、ということもありますね。
ギター片手に自己紹介。ユニークな8月コンサート。
ーさて、そんな9月のリサイタルを控えつつ、その前の8月18日にもコンサートをされるということですが、そのコンサートでギターを弾かれるという話が気になったので、お話をお聞きしたいのですが。ギターもずっと弾いてらしたんですか?
家に父のギターがありまして。中学校の頃に見よう見まねで触ってみて、完全に独学で、例えばバンドを組んだり人前でなにかしたりというのはまったくないんですけれども、好きで弾いていて。それが、年を経てオペラの舞台のとあるシーンで「自分で弾いてみて」って言われて、「やってみようかな」みたいなノリでやったらうまく演出にハマりました。昨年も、群馬の『セビリアの理髪師』のときには舞台で実際に弾いたんですけど。私は、オペラに限らずカンツォーネも好きなので、イタリア留学中も家にピアノが無いときにはギターを弾きながら歌ったりしてたこともあって、自分の声とも合うかなという思いもあり、ちょっとサプライズ的に…そのわりには大きく載ってますけど(笑)。
ーギターを抱きかかえている写真が印象的なチラシですね!いつもの中井さんと違った一面が見れそうで、楽しそうなコンサートですね。こちらもご自身で選曲なさったのですか?
そうですね、はい。
ーこちらのコンサートには比較的日本の歌も多いですよね?
2時間半ぐらいの中で、半分半分ですね。日本の歌とイタリアのカンツォーネとで、2部構成になっています。(実は)想いとしては9月のリサイタルがやりたい、というのが先にあって、ただその前にオペラというものがそんなにメジャーではない愛知県では「あなたは誰?」という感じなので、まず8月のコンサートで自分の“人となり”を知ってほしいというのがありました。やっぱり自分の両輪を見てほしいというか。人から「色々な面を持っている」と言われるのがすごく嬉しくて。「中井といえばオペラ歌手」という人もいれば「第九の人よね」とか「宗教曲がいいわよね」とか、「子どもに教えるときはカンツォーネがいい」とか、(実際にも)色々な面が評価されているのかなと思っていて、それを活かしたいというか。8月は、とにかくお客さまに楽しんでもらいたいというコンセプトです。
ーちょっとした名刺代わりのコンサート、という感じですね。
愛知の人はみんな(9月のような)私のクラシックの一面を知らずに、ギターのほうを見てくれるようになるかもしれませんね(笑)。東京だと、クラシックのなかでもロッシーニばっかり(知られている)だと思いますが(笑)。とにかく、8月のコンサートはほとんどみなさんが知っている曲だと思いますけど、ただテノールの声で聴くので、よく知った曲も違って聴こえるんじゃないかと思います。
ー8月のコンサートも発見がありそうなコンサートですね。ちなみに、8月・9月のコンサートやリサイタルは愛知県での活動ですが、中井さんは(一財)地域創造公共ホール音楽活性化支援事業(おんかつ)の登録アーティストでいらっしゃると伺っています。「おんかつ」というのは、様々な地域で活動を行うのですか?
そうですね。「おんかつ」というのは公共ホール活性化事業なので、地方のホールなどに本物のプレイヤーを呼んで、そしてただホールでコンサートをするだけじゃなくてそれに付随して地域の小学校や中学校に行ったり、ときには高齢者施設へ行ったり養護学校へ行ったりしてアウトリーチ(普及活動)を行う。で、最終日にホールでコンサートをやるっていうのが「おんかつ」ですね。
ー今回の愛知県のコンサートとはまた別の活動なんですね。
はい、愛知に自宅があるっていうことですね。でも仕事は愛知じゃない方が多いです、大阪とか東京とか。大学勤務も愛知県なので、本拠地といわれたらここなんでしょうけど。呼ばれたらどこでもやりますよ!というスタンスですね。
ー全国規模で活躍されてますね!それにしても「おんかつ」は、日本にオペラの文化を広めていくという意味でも、とてもいい活動ですね。
そうですね。コンサートを聴いてもらうっていう一方通行ではなく、アウトリーチすることによって双方向の関係というか。聴いてくれる側も参加してもらったり、一緒に考えてもらったり、時には言葉を交わす。ともするとクラシック歌手は一方通行になりやすく、ポップスのように「みんな一緒にサビを歌いましょう、イエイ!」なんてことのありえない世界でやっているなかで、芸術性の高さを保ちながらも一方で本物の音の素晴らしさや音楽の可能性なんかを(聴き手と)共有していく作業は、私にとってすごく大事ですね。
ー今までやってきて、印象に残っていることはありますか?
いやぁ、全部印象深いですね、「おんかつ」は特に、それぞれに思い入れがあって。やっぱりリアクションを直接見れるっていうのは(普段)意外と多くないから。(舞台の)あとでアンケートで、文字で見ることはありますけど。子どもたちの表情とか、「なんで?」って聞いてきたりすることとか、純粋で、素直な本心で。それは音楽の基本だったりもするんですよね。
ー「おんかつ」のときは、どういう曲を歌われるのですか?
まずは自分の本領、私はオペラ歌手、テノールとして行くので、その分野の曲をちゃんと原語で歌います。もし分からなかったとしても、1曲は必ず本格的なオペラの曲を披露して、そこから子どもたちが知ってる曲だったり有名な曲だったりというのを、日本語の歌を中心にして広げていく感じですね。「Believe」とかね。
ー子どもたちは喜びますか?
反応は様々ですね。人数が少なかったりすると、最初は緊張する子もいるし、でもそれが最後はほどけていったり、とか。
ー一緒に歌うこともありますか?
そういうこともあります。でも、どっちかというと私はテノールなので、みんなが知ってる曲でも「僕は僕の声で歌うよ」なんてせめぎ合いをしたりしてます(笑)。バリトンだと音域が合うんですけど、テノールは高いですからね。
こういうときの選曲でも、イタリアに行って、日本に帰ってきたときに、(日本の)全世代が共通して歌える曲って意外と少ないなっていうことに気が付いて。「Believe」って曲も、小・中・高校生ぐらいまでは圧倒的に知ってるけど、もうちょっと上の世代になると「翼をください」とかになりますし。そういったところも勉強させてもらっています。
ーロッシーニを披露されることも?
もちろんあります。みんな、全然ついてこないですけどね(笑)。でも、子どもが最後にコンサートに遊びに来てくれることはありますね。強制ではないんですけど、でもこの間も、朝「おんかつ」をした子どもたちが、夜おばあちゃんとかと一緒にたくさん来て、ホールの人も喜んでいました。子どもは距離が近いと喜びますね。あと、(「おんかつ」では)音楽が、曲が、っていうよりも、もっともっと初期段階の「声ってどうなってるんだろう?」とか「声帯のところを触ってみようか」とか、窓を開けて「ヤッホー」とやったりとか、そういうところからやるんですね。私たちはマイクを使わない分野をやっているので、生の声を大きい会場で響かせるということが使命だと思っているから、歌のお兄さんが来て「じゃあ一緒に元気に歌いましょう!」っていうんじゃないアプローチ、(むしろ)それしかできないんですけども、そういうのを楽しんでいただけたらな、と思っています。
ー貴重な「おんかつ」のお話、ありがとうございます。ところで、話は戻りますが、8月・9月の共演のピアニストの方々について、お二方はそれぞれいつも本番でご一緒されてる方ですか?
8月の秀平雄二さんは、大学の後輩なんですけど、ここ数年よく一緒にやっています。まだ大学院生で鍛えている最中でもあるんですけど、本当に素晴らしいです。今外国にオーケストラとコンチェルトしに行っていますが、一方で伴奏もやりたいというので私とやっています。9月の村上尊志さんは、これまで一回も面識はなくて、とある方の紹介だったんですけど、この5月・6月とリハーサルを重ねて何度か音合わせをして、本当に「第一人者」というか。素晴らしい演奏経歴を持っていらっしゃって、もちろん一緒に創ってはいくんですけど、村上先生からアドバイスをいただくこともまた、自分を高めてくれているなぁと実感しているところで。きっと(本番でも)素晴らしい演奏をしてくださると思います。ピアニストではあるんですけど、コレペティという、伴奏のプロですね。
ー今練習は、8月と9月どちらが中心ですか。
今のところ9月のリサイタルだけですね!秀平さんが外国から帰ってきたら、8月のコンサート練習にも取りかかると思いますけど。でもこちらは、半分ぐらいはすでに一緒にやっているので、気心が知れています。
ー村上先生とは、オペラ練習でも共演はされていないんですね。
そうですね、全く初めてです。
ー(先生との共演は)緊張されますか?
少し緊張感は持ちますが、むしろ嬉しいというか。喜びですね。
心の師・ゼッダ氏を祝して奏でる、12月のロッシーニ。
ー12月には、アルベルト・ゼッダ氏指揮の、(東京の)オーチャードホールでのコンサートに出演されますね。
これは、藤原歌劇団の特別コンサートですね。ゼッダ先生が米寿(88歳)なので。「米寿」という言葉がイタリア語にあるかどうか分かりませんけど(笑)。
ーゼッダ氏とは、もうお付き合いは長いんですか?
いえいえ、お付き合いなんてとんでもないです(笑)。でも共演機会を何度かいただいて。私は2005年から留学でイタリアへ3年行ったんですけど、イタリアのペーザロ市というところで、毎年「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」という世界的に有名な、ロッシーニに特化したフェスティバルがあって、その音楽監督をゼッダ先生が第1回から務められていて。そこに、これまた毎年「若者公演」といって、本公演のひとつのコーナーとして若者だけが集まる公演があり、そこに参加させていただくことになったんです。そうすると、1ヶ月間そこでゼッダ先生と過ごすというシステムで。特に最初の2週間は朝から晩まで、先生から「指導を受ける」というより「薫陶を受ける」と言った方がピンとくるんですけど、レッスンを受けるだけじゃなくて、発声的なことや声楽的なことや音楽の歴史的なこと、ロッシーニ以外の、世界の音楽情勢などについて「薫陶を受ける」んですね。ときには声と音を使って、ときにはレクチャーで。それがすごく自分にとって、今に至るまでの大きな素養として占めているんです。留学が終わって日本に帰国したあと、藤原歌劇団のオペラ『タンクレーディ』を2010年に33歳でやらせていただいたときもゼッダ先生が指揮者でしたし、『ファルスタッフ』『ランスへの旅』と、3つもご縁をいただきまして、今回が4つめのご縁ですね。
ー長いですね!
私のような若い歌手にとっては幸運でしかないです。習いたくても習えない、一緒に歌いたくてもチャンスがないという人がほとんどな中で、こんなに繰り返し先生の指揮のもと歌えるっていうのは、本当に幸せですね。長生きしていただきたいです。
ー中井さんとロッシーニ作品との出会いは、何かきっかけがあったのですか?
ペーザロのロッシーニ・フェスティバルがまさに出会いです。歌の先生に、レッスンの時の音源を勝手に送られたんです(笑)。それまで私は名古屋の学生時代、恥ずかしながらロッシーニにあまり興味もなくレパートリーの外にあったのですが。今でも向いてるか向いてないか、といったら向いてなかったり、上手か下手かっていったら私は全然上手く歌えないと思うんですけど、でも好きなことは間違いないですね。「好きこそものの上手なれ」なんて言いますけど、愛してますね、ロッシーニの音楽を。大好きです。
ー「好き」は大事ですよね!それにしても、米寿になっても振ってらっしゃるゼッダ氏、すごいですね。
私が一番記憶に残っているのは藤原歌劇団の『タンクレーディ』で、私がまだ外部の者だったんですけど、当時の岡山前総監督が稽古場にいらっしゃいまして、「今、マエストロ・ゼッダが成田に着いたと電話があった。おそらく明日の稽古から参加するから、みなさんによろしくということだった」という、その1時間半後ぐらいですかね。リハーサル会場に(ゼッダ氏が)いらっしゃいまして。「あれ?」と。合唱のみんなも稽古にいた日なんですけど、先生がそのまま指揮台に立たれまして「Buonasera tutti! Allora da capo…(皆さん、こんばんは!では始めからもう一度…)」って言って1幕から全部、先生が指揮をし始めまして。「あれあれ??」なんて。その当時、もう(先生は)82歳とかですからね。十何時間のフライトの直後に来て、すぐ棒を振って。棒を振るっていうのは筋肉運動ですからね、ものをしゃべるだけではなく。そういう姿っていうのは忘れられないですね、音楽に取り憑かれているんだな、というか。飛行機の中でずっと「振りたい!振りたい!」みたいになってたのかな、そのぐらいの人じゃないと(音楽を)やっちゃダメなのかな、みたいに感じて。心の師匠ですね。(私は)それからあまり「疲れた」とか言わなくなりましたね。
ーきっと名古屋で勉強されていた20年前には、想像もしていなかったようなゼッダ氏との出会いですね。
そうですね。私は、今でも技術的に何も無いと思っていて、もっと大きい声の人もいればもっと高い音が出る人もいれば、かっこいい人もいるし背の高い人もいるし、で。大学を出るときも本当に音域は狭くて、そういう時代が何年も続いて、でもそれと反比例してオペラの世界がどんどん好きになっていっちゃって。特にイタリア作品。声も体も全然イタリアっぽくないんですけど、そういうジレンマのなかで20代をずっと過ごして、学校の教員とかもやったり、自分なりに定まらずに、やりたいけど自信がないような、気持ちに技術がついていかないような時代が10年ぐらい続いたんです。いい先生にも恵まれていたのですが、たとえば藤原歌劇団のプリモ・テノールの村上敏明さんなんかも同じ門下の先輩として大活躍されているのに、そういう素晴らしい先生についているのに自分は…みたいなジレンマで。これじゃいかん、とそこから飛び出したのが30歳のときですね。そこから、行くならやっぱり白紙でいきたいと思って。発声的にも音楽的にもゼロで行かないと意味がないかなと思って行って、イタリアの先生に言われるがままの曲、「ロッシーニが向いている」「モーツァルトが向いている」というようなことをやって、新しく絵の具を塗ってもらえた、みたいな感じですね。
ーそういう色々な想いのこもったリサイタルが、9月なのですね、話が戻りますが(笑)。
そういうことですね!リサイタルの4部構成のうちいちばん最後は、トスティという作曲家(の作品)をやるんです。日本の音大で、ピアノでいえばバイエルの次にやるような教材という感じの、(声楽では)男女問わずみんなが勉強するような作曲家なんですけど、(イタリア古典歌曲と)同じく人前で歌うっていうことがほとんどなかったものですから、当時の楽しく厳しいレッスンの風景を思い出しながら、改めて本気でトスティを歌ってみたいなぁと思って、最後に5曲歌って締めたいという、そんな懐古的なリサイタルですね。
ー中井さんは、誰か世界的な歌手といわれる人で好きな歌い手はいますか?
私は、ジュゼッペ・ディ・ステファノとか、マリオ・デル・モナコとか。もちろんパヴァロッティとか、アルフレード・クラウスとか、少し前の、往年の名歌手と言われるような方々に想いを馳せますね。でも、いちばんは自分の歌の先生が原点ですね。学生時代なんかは特に、普通だったらみなさん「あの歌手に憧れて」とかあると思うんですけど、私はそういうのがゼロで、トランペットがやりたかったのを大学に入ったあとに先生の勧めで転科したんです。
ー先生に見いだされる運もお持ちだったんですね。それと実力でここまでいらしたんですね。
実力はね、そういう意味の技術はないんです、謙遜とかじゃなく。でも、当時の先生が実際に声を出して教えてくれる先生で、その声がとにかくすごくて、心が震えるんですよ。人間の声にそんなに感動する自分が今までなくて。それが続くうちに、声そのものに対して「どうなってるのかな?」っていう興味を持ち出したんですね。今思うと、当時は本当に声もないし高い音も出ませんが、光があるとするならば歌心みたいな部分は多少あって、そこを見出してもらったのかなという気がします。本当にある程度技術が安定したのは30過ぎてからですよ。
ー長い道のりでしたが、結実しているのですね。コンサート、楽しみにしています。
ありがとうございます。藤原歌劇団の一員として、これらのコンサートやリサイタルを通して、日本のみなさんがもっともっとクラシックやオペラに親しむきっかけになれればと思います。
取材・まとめ 眞木 茜