アーティスト インタビュー

伊藤 貴之

以前よりもっと強まったロッシーニへの愛で、前回よりハイレベルな『ランスへの旅』シドニー卿の表現を目指す。

Vol.36

『ランスへの旅』でイギリスの軍人・シドニー卿を演じるのは2回目。故・アルベルト・ゼッダ氏からの教えを受けて目覚めたロッシーニ作品への好意、前回2015年の同演目で感じたシドニー卿という役との相性の良さ。作品に関わるごとに増す“ロッシーニ愛”を以て、人物像をさらに掘り下げ、感情表現や歌唱技術に磨きをかけて、よりハイレベルな舞台をつくりあげたい。共演者も、ほとんどが気心の知れた間柄。もちろん初めての方も含めて、良い舞台を共につくれそうな心強い方々ばかり。そしてまなざしは、来年の『リゴレット』へも。今自分にできる素直な声で、東京に、そして地元愛知へ届けていく。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第36弾は、前回久保田真澄氏に引き続き、新国立劇場オペラパレスにて上演の藤原歌劇団公演『ランスへの旅』に、9月5日・7日のシドニー卿役でご出演の伊藤貴之氏。本役が2回目となる伊藤氏に、1回目から引き継ぐ想いや異なる視点、見どころや共演者について、そして来年2020年2月に出演予定の『リゴレット』や、ご出身地愛知についての貴重なお話を伺いました。

より増した“ロッシーニ愛”で、以前よりハイレベルな「シドニー卿」を。

ー今日は、先日に引き続き9月5日(木)・7日(土)の『ランスへの旅』に、イギリスの軍人シドニー卿の役でご出演される、伊藤貴之さんにお話を伺います。伊藤さんは、この作品に出演されるのはもう何度めかでいらっしゃいますよね?

はい、2014年7月の日生劇場での藤原歌劇団本公演で、(故)アルベルト・ゼッダ先生が指揮を振られた『ランスへの旅』に、やはり今回と同じシドニー卿で出演しました。さらにその3ヶ月前、2014年4月に大阪でもやはり『ランスへの旅』に出演しました。指揮はやはりマエストロ・ゼッダでしたが、プロダクションは別で、そのときはドン・プロフォンド役でした。それが、僕にとって初めてのロッシーニ作品で、そのときロッシーニ音楽の第一人者であったマエストロ・ゼッダにみっちりと指導を受けたのですが、おかげでロッシーニが大好きになりました。それまで、全くといっていいほどロッシーニ作品にご縁がなかったのですが、その大阪の公演がきっかけで好きになりましたし、参考にしていたCDのひとつで、サミュエル・レイミーというバス歌手が歌っているシドニー卿を聴いて、「シドニー卿もやってみたいなぁ」と思っていたのです。そしたら、そのあと7月の藤原歌劇場の本公演でやれることになり、とても嬉しかった。ですが、この役にはすごく難しいアリアがひとつありまして。特にバスという声質でありながら声を転がすアジリタという技術を求められる点や、高い音も低い音もいくつも出てくる点などが難しく、「自分にできるのだろうか?」という不安も覚えました。幸い、この公演もマエストロ・ゼッダに厳しくもあたたかく指導していただき、日々の稽古を重ねていくうちに、この「シドニー卿」という役やロッシーニの音楽に、自分がどんどんハマっていくのがわかったのです。そのとき「僕にはこの役が合っている」と思いました。

マエストロ・ゼッタと

ーシドニー卿とご自身がどんどん近づいていったのですね。

そうです。そして本番を終えたら、自分で思っていた以上に周りからの評判もよく、より一層嬉しくなって「もっと勉強しよう」と思いました。

ーそれは、本当に、役として合っているからでしょうね。

はい、今でも合っている役だと思いますし、その2014年公演のあと、他にもいくつかのロッシーニ作品に出演させていただいたあとの、今回2度目のシドニー卿。以前より、「ロッシーニ愛」がすごく増していて、ロッシーニにも聴いていてほしいと思うほどです。だから、今回はそのロッシーニ作品が好きな気持ちをしっかり表現につなげていければいいなと思います。

ー「ロッシーニにも聴いていてほしい」というのは、素敵な気持ちですね!それでは、以前より強まった“愛”で、前回1回目のシドニー卿とはまた違った気持ちで役に臨めそうだということでしょうか?

そうですね。あと、気持ちに伴ってのことだと思いますが、たとえばアジリタにもっと気持ちを込めたり、もっと正確に歌ったりというテクニック的にも以前より少しは上達したかなと思っているので、稽古を重ねて、本番では前回に比べてよりレベルの高いものをお見せしたいですね。とにかく、先ほどもお話ししたソロのアリアが難しいのです。また、バスという声種は、普段ソプラノやテノールのようにセンターに立って歌う機会が少ないので、このように希少な見せ場で堂々と表現できるように頑張りたいと思います。

ー「アジリタに気持ちを込める」という教えは、生前ゼッダ氏がよく語られていたと伺っています。

はい、そのとおりです。アジリタや、細かい装飾音符ひとつひとつに感情を込めて、ということは、最初のドン・プロフォンドのときも、1回目のシドニー卿のときにも言われました。シドニー卿は、珍しくテノールのように、コリンナという女流吟遊詩人に恋する若者です。でも、なかなか自分の気持ちを伝えられない、いわゆるちょっと“ウジウジ君”(笑)。それは、学生時代の自分とも重なって、すごくよく気持ちがわかります。その「自分の気持ちを伝えたいけど、どうしよう、どうしよう」という思いや、「コリンナに会って、はやく花を渡したい」という気持ちをアジリタに込めて、表現したいと思うのです。

ー具体的にはどのように表そうとされていますか?

そうですね、シドニー卿って、基本的には先ほどもお話ししたような「言いたいことがあってもなかなか言えない」というキャラクターなのですが、好きな女性にはすごく弱い反面、軍人ということもあり、男性相手やあまり気にしていない相手だとすごく強気に出る一面も持っている。だからウジウジ、モジモジしてしまうところと、強いところを分けて演じられたらいいと思いますね。

ーなるほど、二面性があるのですね。細かい音ひとつひとつにも、前回よりもさらに丁寧な感情表現を追求する。そんな、レベルアップした伊藤さんのシドニー卿、必見ですね。

2015年 藤原歌劇団公演「ランスへの旅」シドニー卿役

十四重唱も、人物表現も。気心知れた仲間ときっと良い舞台をつくれる。

ー伊藤さんの考える、この『ランスへの旅』の見どころはどちらでしょう?

自分の見せ場でいうと、例の難しいアリアというのはもちろんあるのですが、その他にオペラの最後に、いろいろな国籍や階級の登場人物がそれぞれ自分の国の歌を歌うシーンがあって、そこでこれまでモジモジした性格だったシドニー卿が、ちょっと調子に乗って前に出ようとするのです。「ちょっと待て」と人に止められるぐらいに。だから、本当は恥ずかしがらずに、こうやってセンターに立って堂々と主張したかった、というシドニー卿の姿や思いを見てほしいと思います。それから、全体としてはやはり十三人アカペラで始まり十四重唱まで発展する曲ですね。

ーアカペラの場面、前回お話を伺った久保田さんもおっしゃっていました。やはり注目の見どころなのですね。それに、重唱とは聞いていましたが、十三重唱とは!

そうなのです。声楽的にも、十三重唱をアカペラで、というのはなかなかありませんからね。歌っていて自分でもゾクゾクしますし、お客様にもそれは感じていただけると思います。とにかく楽しいですし、ロッシーニらしい軽やかさもあります。

ーロッシーニらしさが最も楽しめる場面でもあるのですね。この作品がロッシーニの最高峰といわれることもあるゆえんを感じられるのでしょうか。

そうだと思います。ロッシーニが、実際にフランス国王となったシャルル十世の戴冠式を祝うためにつくった作品ですからね。

ーそうでした。国王のためにふるった手腕の冴えを感じられるのですね。今回の共演者の方々は、もう何度もご一緒されている方ですね。

はい、半分以上の方は前回の『ランスへの旅』でもご一緒しています。ただ、前回は藤原歌劇団に入って3年目ぐらいで、ものすごく緊張した状態で。「自分は本当にここにいていいのかな」と思ったりもしていましたが、今回はもっと自信をもって、いい意味で遠慮なく、みんなで舞台をつくっていこうという気持ちが強いです。お互いに知っているからディスカッションもしやすいですし、重唱などでも久保田さんや須藤さんなどの隣で同じようなフレーズを歌っていることが多いのですが、そんな時、一緒に歌っているだけで安心感もありますし、自分も負けていられないという気持ちも起こりますし。「さすが藤原歌劇団!」と感じます。

ーディスカッションの面でも、重唱の面でも心強いですね。逆に初めてご一緒する方はいらっしゃいますか?

デリアの楠野麻衣さんやモデスティーナの丸尾有香さんなど若い方は、初めましての方が多いです。そう思うと、僕もまだまだ若手のつもりでいたけれど、中堅どころのような気持ちになりますね(笑)。でも、こうやっていい舞台がつくれそうな雰囲気の稽古場にいれることは幸せです。

ーお話を伺っていると、とても稽古場の雰囲気も良いのですね。指揮者の園田隆一郎さんとも、何度もご一緒されていますか?

はい、園田さんとはロッシーニ作品でも、それ以外の作曲家の作品でも、何度もご一緒しています。先輩ですし尊敬もしていますが、歳も近いこともあり自分のやりたいことも伝えやすいですし、マエストロもまたよく話を聞いてくださいます。いい関係だろうな、と僕は思っています(笑)。

ー演出家の松本重孝さんはいかがですか?

松本先生は、前回の『ランスへの旅』も演出されていますし、他の現場でもお会いしています。重孝さんは、歌い手に自由に演じさせてくれる演出家なので、やりたいと思ったことを言って、やってみて、良ければいいし、ダメならダメだし、とジャッジしてくださいます。なので、稽古中にいろいろなアプローチを試させていただけて、いいなと思います。稽古と本番では、全然違うことをやっているかもしれません。

ーまさに、今いろいろと試していらっしゃるのですね。今回は、東京二期会の歌い手の方々も参加されているとお聞きしていますが、そちらのみなさんとはいかがですか?

はい、二期会の方々も、以前いろいろな機会にご一緒したことはありますし、それはそれで普段藤原歌劇団のメンバーだけでやるときと違う刺激が加わりますし。この作品は、まず出演しているこちらが楽しいんじゃないかなと思います。

ー自分たちがまず楽しい、というのは大切なことですよね。きっとその空気は伝わると思います。演じていても観ていてもきっと楽しい舞台、期待が高まります!

東京でも、名古屋でも魅せたい。年を重ねて得た表現力での『リゴレット』

ーところで、伊藤さんは来年2020年2月にヴェルディのオペラ『リゴレット』にも出演されますね。

そうなのです。「スパラフチーレ」という殺し屋の役で、どちらかというと暗めでドスの効いた声が必要とされたり、ロングトーンのすごく低い音が出てきたり、ロッシーニの軽さとは少し違う側面を持っています。“少し”といったのは、自分の持ち味である軽めの声を全部取ってしまうのも違う、と思うからですが。

ーそういった、少し違う方向性の役を歌い分けるとき、どのようにバランスをとっているのですか?

本当に、われながらどうやっていくのだろうと思いますね(笑)。ただ、僕が普段から心がけているのは、バスだけど常にテノールのように明るく歌うことです。僕は今40代ですけど、これが50代、60代になったら声も変わってくるだろうし、「今できる素直な声を出そう」と日々思っています。わざと暗くしたり、重くしたりはしません。

ー大切な心がけだと思います。このスパラフチーレの役は、初役ですか?

いえ、この役は過去に1回だけやったことがあります。でもそれは30歳ぐらいの頃だったと記憶しているので、その時とは全然違う歌になると思います。もちろん歌の技術的にも違うでしょうし、やっぱり感情の入れ方もレベルアップできるはずだと思います。彼は殺し屋ですけれど、仕事に誇りを持っている人物なのです、「絶対に成し遂げる」と。けれど、仕事に誇りや自信を持っているはずの彼が、最後の最後、妹に「暗殺を依頼されたマントヴァ公を殺さないでくれ」とお願いされると、しぶしぶ承諾してジルダを殺してしまう。そこだけなのですよね、自分がプライドを持っていた仕事を曲げたというのは。殺し屋も、妹をとったのです。

ーなるほど、家族を大切にする一面を持っているのですね。

そう、情に厚いのです。殺し屋だから冷淡なイメージを持たれがちですが、実は仕事にも熱く、家族にも情に厚い。人間的なものを持っているのです。

ーそれは、観客にとってスパラフチーレの意外な一面かもしれませんね。そういった役づくりについても、もう模索されているのですね。

はい。まぁ1回目に勉強した部分もあるので、年数を経た2回目ではより歌で表現しやすくなるのではないかと思います。やっぱり1回目より2回目、2回目より3回目と、より上を目指して、長く歌っていきたいですからね。

ーなるほど。では来年の『リゴレット』やその先のご活躍も、期待しています。ところで話は変わりますが、伊藤さん、普段は愛知県にお住まいなのですね?

そうなのです、普段は愛知県ですが、3年ぐらい前から東京での仕事も増えてきまして、東京にも家を借りて、愛知と東京と半々ずつぐらいの割合で滞在しています。最近は、東京でのお仕事が多いかもしれません。

ーそうなのですか!愛知県のどちらなのですか?

今住んでいるのは豊田市です。出身はもっと田舎のほうですけど。

ーそうなのですね。愛知のご自宅では、オフの日はどのように過ごされるのですか?

うーん、強いていえば子供と遊ぶことでしょうか。子供がまだ7歳と4歳で小さいので、言い寄ってきてくれますし(笑)。一緒にバーベキューとかキャンプとかのアウトドアに行きます。自分が田舎育ちなので、自然のなかにいると落ち着きますし、子供にもその楽しさを教えたい思いはあります。一緒に魚釣りしたりもしますよ。

ーそれは、お子様も楽しいでしょうね!ちなみに私などは、愛知県というと単純に味噌カツや味噌煮込みうどんを思い浮かべてしまいますが、実際に食べているのでしょうか?

あー、そうですよね。そういう味噌カツにも使われていて、愛知の人がよく食べているイメージの「赤味噌」ってあるでしょう?あれは、昔でいう三河の国の岡崎市というところで生まれて、のちに岡崎出身の徳川家康が江戸へ持っていったといわれているんです。でも今では、赤味噌というと名古屋のイメージですし、名古屋の人は実際味噌汁といえば赤味噌の人が多いみたいですが、三河の人はあまり飲まないのです。普通の味噌ですよ(笑)。ちなみに名古屋は昔の尾張。三河人と尾張人では、微妙に意識が違うと思います。ただ、人から「名古屋のご飯はおいしい」と言われると、やっぱり嬉しいですけどね。それに、来年の『リゴレット』も名古屋公演がありますし。こうなると、地元でやる、という意識になります。

ー確かに、『リゴレット』は東京公演の他に、愛知県の名古屋公演がありますね!やはりご自身の出身県での上演は嬉しいですか?

嬉しいですね。お客様にとっても、とても喜んでもらえることのようで、「藤原歌劇団が来る!」と言っていただけます。僕もやっぱり地元の家族や友人・知人に来ていただきやすいですし、大学も名古屋だったので、先生たちに見ていただけるのも嬉しいことです。

ーそうなのですね。年を追うごとにさらなる飛躍を遂げる伊藤さんのお姿、楽しみにしていらっしゃることでしょう。貴重なお話、ありがとうございました。

聞いてみタイム♪ アーティストからアーティストへ質問リレー。
久保田真澄さんから、伊藤貴之さんへ。

ー『ランスへの旅』の同じ組でドン・プロフォンド役の久保田真澄さんから、伊藤貴之さんへのご質問です。さて、普段一緒に稽古をされていながら、久保田さんが実は聞いてみたいと思っていた質問は何でしょうか?

ーこれまでも色々な現場でご一緒してきましたね。今まで演じてきた役柄で1番印象に残っているもの、大切にしているものは何ですか?それは何故ですか?またこれから演じてみたい役柄は何ですか?教えてください。よろしくお願いします。

今までで1番印象深い役ですか。それは、やっぱり『ランスへの旅』のシドニー卿です。理由は、それまでロッシーニ作品を知らなかった自分を、こんなにハマるほど好きにさせてくれた役だからです。やる前は、こんな難しい役本当に歌えるのかと思っていましたが、歌ってみると、「ロッシーニってこんなに楽しいんだ!」と気付き、夢中にさせられました。

ーシドニー卿、本当にお好きな、そして印象深い役なのですね。「これから演じてみたい役」についてはいかがですか?

これから歌ってみたい役は、ヴェルディ作品の主役級バス役です。先ほどお話したような、少し声に求められる方向性が違うという理由もあって、ここ数年ヴェルディ作品は控えていましたが、最近になって「これからは歌いたいなぁ」と思うようになりました。

ーヴェルディへの想いも芽生えてきたのですね。

はい。「ドン・カルロ」のフィリッポ2世や『アッティラ』なども魅力的です。来年、『ナブッコ』のザッカリア役を歌う機会があるので、とても楽しみです。

ーロッシーニだけでなくヴェルディも、これからの伊藤さんのご活躍から目が離せませんね。ありがとうございました。

取材・まとめ 眞木 茜

伊藤 貴之

バス/Bass

藤原歌劇団 正団員

出身:愛知県

古屋芸術大学卒業、同大学大学院修了。第41回イタリア声楽コンコルソ金賞受賞。新国立劇場、日生劇場、藤原歌劇団ほかで「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」「ナブッコ」「リゴレット」「清教徒」「トスカ」「エフゲニー・オネーギン」「トゥーランドット」「アイーダ」「仮面舞踏会」「ラ・ボエーム」「ファルスタッフ」「ランスへの旅」「カルメン」「ノルマ」「ルチア」「サロメ」「魔笛」など多数のオペラに出演。「第九」「メサイア」、ヴェルディ、モーツァルト、フォーレの「レクイエム」等コンサートのソリストとしても多く活躍。今後は新国立劇場「カルメン」「ウェルテル」、びわ湖ホール/マーラー「千人の交響曲」などに出演予定。平成24年度愛知県芸術文化選奨文化新人賞受賞。藤原歌劇団団員。愛知県出身。

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