アーティスト インタビュー

桜井 万祐子

コロナ禍だからこそ、強い一体感をもってつくりあげた生の舞台『カルメン』。新たな表現を見出し、次の可能性へ。

Vol.41

新型コロナウィルスの影響下では久々の、そして緊急事態宣言発令以降では初となる生舞台でのオペラ公演『カルメン』が終演。とにかく本番を終えられて良かった。多くの方の期待に応えられるはずだった、藤原歌劇団でのデビュー「カルメン」役。それでも「中止」ではなく「延期」になったことが嬉しく、覚悟も持った。共演者やスタッフと感染予防を徹底しながら、強い一体感のなかでオペラをつくりあげた。今まで一番歌ってきたカルメンも、スペインの空気を思い出し、役の内面を深く掘り下げる機会を通して新たな表現につなげられ、今後の可能性を見出せた。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第41弾は、2020年8月15日、16日、17日、コロナ禍による緊急事態宣言以降では国内初の舞台上演となった『カルメン』に、8月15日・17日のタイトルロール「カルメン」役として出演された桜井万祐子氏。公演を終えての気持ちや在宅中の思い、共演者・スタッフとの稽古、新たなカルメン像の模索につながったスペインでの体験についてお話を伺いました。

公演の「延期」に喜びと意味を見出し、心身ともに備えた。

ー久しぶりの更新となる本日は、藤原歌劇団本公演、ビゼー作曲のオペラ『カルメン』に、8月15日・17日のタイトルロール「カルメン」役として出演された桜井万祐子さんにお話を伺います。桜井さん、本番お疲れ様でした。公演を終えてみて、今のお気持ちはいかがですか?

まずは、何より千穐楽を迎えられてとても良かったと思っています。世の中を見渡すと、歌っていない状況でも感染のクラスターが発生してしまったりしているなかで、私たちは歌う。それも大人数で。もし何かが起きてしまったらどうしよう、万が一感染してしまったらいろいろなところに迷惑がかかるし、不安や緊張感はありました。ただ、そういう状況だからこそスタッフの方々も本当に気を使われていましたし、共演者の皆さんもそうでしたし、いつも以上に一丸となってのオペラをつくり上げた気がします。

ーひとつひとつのお言葉、本当にうなずけます。本公演は、桜井さんにとって藤原歌劇団でのデビューでもありましたが、最初にお話が来たときはどんな思いでしたか?

カルメンはこれまで一番歌っている役ではありますが、それはヨーロッパにおいてで、日本では大学4年生の卒業公演でしか歌っていないので、プロとして日本で歌う初めての役がカルメンであることはとても嬉しかったです。以前から何度もコンサートでお世話になっている、日本オペラ振興会理事でもある宗次德二さんにも「君のカルメンを国内で聞きたい」とおっしゃっていただいていましたし、多くの方から同様のお言葉をずっといただいていて、そのうえで、今回藤原歌劇団という日本の伝統あるオペラ団体からお声がけいただいたことは喜ばしいことでした。

ーそうだったのですね。皆さんからの希望に応えることのできる機会だったのですね。

そうなのです。ですから正直なところ、コロナさえなければもっと地元名古屋の方にも聞いていただきたかったという気持ちはあります。事態が収束したらより多くの方に、安心して直接聴いていただく機会がまたあるといいなと。オンライン配信なども盛んになってきましたが、やはり音楽を生で聴くというのは臨場感が違いますよね。いらしてくださったお客様は、「オーケストラの音を聴いたら鳥肌が立った」「すごく興奮した」とおっしゃっていました。

ー桜井さんご自身も、お客様に聴いていただくのを楽しみにされていた公演だと思いますが、コロナウィルスの影響によって延期が決まったときはどうお感じになりましたか?

まずは、「中止」ではなく「延期」になったことに意味があると感じましたし、嬉しかったです。本当に、あの時期はやむなく中止になってしまう公演やイベントが多く、私自身も出演予定のものがいくつも中止になりました。けれど、この『カルメン』が延期だったことで、藤原歌劇団もこの公演にとても強い思いを持っているのだと伝わって、嬉しかったと同時に、そのぶん“覚悟”もしました。

フェイスシールド着用でのカルメン本番

ー本当にその通りですね。それでは、延期になった8月までのあいだ、カルメンという役や公演、歌そのものへのモチベーションというのは比較的保てていらっしゃったのでしょうか?

ありがたいことに、この状況下でリモートという手段がすごく発達して、外出禁止令が発令されてご自宅にいらしたイタリア人のピアニストの方が、一緒に勉強しましょうと言ってほぼ毎日連絡をくださいました。また、イタリアの名高いバリトン歌手である故・ピエロ・カップッチッリ氏財団の理事であるパトリシア・カップッチッリ氏が私の演奏を聴きにきてくださって以来とても厚意にしてくださっていますが、彼女も2週間に1回ぐらい大きな課題、それもわたしが今まであまりご縁がなかったロッシーニの作品などをくださるので、勉強することが多く受験生になったかのような日々でした。日本にいながらヨーロッパとつながる時間が持てる、これはもう現代文明の良さといえますね。自分ひとりでモチベーションを保つのは大変だったと思います。

ヴェルディ「レクイエム」 アスティ劇場でのリハーサルの様子

ーそうだったのですか!ヨーロッパとのつながりを感じられたことで、モチベーションを保つことができたのですね。

そうですね。ヨーロッパでは、突然「明日劇場で歌って」とか「空きが出てしまったので来られる?」といわれる状況が意外に多く、いつ呼ばれても準備ができている状態にしていなくてはならないのです。そういったときに、もし自分の準備ができていないとせっかくのチャンスを無くしてしまう。それと同じ気持ちで、確かに目の前の状況はコロナで身動きが取れないけれど、そこで何もしないより、何かしていたほうがいざ稽古が始まって、本番が来る日のためにいつでも準備が整った状態でいようと思えました。
あとは、運動することも好きなのでインナーマッスルを鍛えていました。スパンの長いオペラ公演を走り続けることができる持久力がつくのですよね。なぜやろうと思ったかといえば、バリトン歌手のレオ・ヌッチさんが実践されていたからです。ご自身でおっしゃっていたことですが、あの年齢でも舞台に立ち続けるには、ものすごく運動しているのです。あれほど偉大な方が大変な努力をされているのだから、自分はもっとやらなければという気持ちになりました。実際、今回は稽古が始まってから本番までがすごくタイトでたくさん歌わなければならなかったのですが、それほど疲れなかったのです。

ー心身ともに、準備万端整えていらっしゃったのですね。

レオ・ヌッチさんからアドバイスを頂いているところ

一丸となったプロダクション。深化し、進化した“私の”カルメン。

ー今回、稽古はどのような形で進められたのですか?

とにかく、フェイスシールドかマスクを常に付けていました。なので、共演の皆さんのお顔がフェイスシールドをつけた印象で残ってしまっています(笑)。

ー安全面では安心ですね!場所としては、同じ空間でしたか?

はい、同じ稽古場でした。けれど、お互いに少しずつ距離は保っていた気がします。よく「コロナがなければ、藤原歌劇団のメンバーはみんな仲がいいので、ご飯を食べに行ったりするのに」と話していたのですが、何かあったら大変なのでそういうことも今回はなかったですね。私自身も、万が一のことを思うと、公演期間中はお仕事の関係者以外の方にはどうしても会えませんでした。

2020年8月 藤原歌劇団公演「カルメン」舞台稽古の様子

ー今回のキャストの方々は、初めての共演ですか?

皆さん初めましてです!本当に心意気のある方ばかりで、あたたかい現場でした。やっぱりイタリアをはじめとするヨーロッパでは、慣れてくればいい現場なのですが独特の緊張感が常に流れていて、“個”の世界でもあります。ですので、今回は一緒にオペラをつくりあげて、周りに支えられてタイトルロールをやることができましたし、皆さん本当に明るくて、仲が良くて、団結力があると感じました。また歌い手だけでなく、スタッフの方々のお仕事も素晴らしくて、消毒・換気などといった対策にも本当にきちんと取り組まれていました。

ーコロナ禍にあることで、いつもにも増して一層団結力の高まりもあったのでしょうね。指揮者の鈴木恵里奈さんや、演出家の岩田達宗さんとは、この時期だからこそというお話は何かされましたか?

コロナ禍だから、ということは特になかったように思います。むしろ、普段と変わることなく、いい公演にしようというお話でした。演出は、結果的に椅子とアクリル板というシンプルな舞台装置になりましたが、シンプルな中にも現代を象徴するものがあって、フェイスシールドをつけ、アクリル板ごしのカルメンとホセというのは斬新だなと感じました。

ー先ほども、カルメンという役は桜井さんがこれまでで一番歌ってきた役とお話されていたとおり、長らく表現を研究されてきたと思いますが、今回シンプルな演出だからこそ見出せた新たなカルメン像はありましたか?

そうですね、これまでよりも、より内面性に特化した、深い部分を見せてもらったことに感謝しています。もちろん西洋人には西洋人の思いがあって、私もヨーロッパでのカルメンという女性を重ねてきましたが、精神面を深く探究して「ヨーロッパってこういうもの」「カルメンは素晴らしい女性」ということを再度発見できました。今回岩田さんに言われたことに本当にハッとしたのは、「カルメンは、君の肉体を通してしか生きられないんだよ」ということ。カルメンはもちろん、これからどの役をやっていくうえでも忘れてはいけないと感じた、一番心に刺さった素敵な言葉でした。

ー素敵なお言葉ですね!原作者プロスペル・メリメの描いた女性「カルメン」は、歌い手を通して命を得る、と。

その通りです。いろいろな歌手がいて、いろいろな解釈があり、いろいろなカルメンがあっていい。大切なのは、各々が解釈したカルメンのなかで、精一杯彼女としての人生を生きることだと思います。これだけ付き合いが長いと、私もカルメンという役にとても思い入れがあって、本番が終わったあとはいつも「あぁ、もうしばらくカルメンに会えない」と思い、そしてまた歌えるときには「また会える!」と感じます。カルメンは、自由をすごく愛していて、神格化されるぐらいのものを持っている女性。私とは違う人間だし、違う人生だし、とても難しい役なのですが、そのぶん年齢やキャリアを重ねていくごとにどんどん新境地の、生きたカルメンを追求していけることは大変ありがたいことです。今回は、短い期間ではありましたが考える時間を与えられたこと、知れる機会をいただけたことに感謝しています。

記憶のなかのスペインの風を呼び覚まし、役づくりの新たな可能性へ。

ー考える時間というと、たとえば在宅期間中にご自身でもカルメンの役柄について研究していらしたのですか?

そうですね、文献は読み直しました。それから、スペインの音楽を聴いたり、あとは以前スペインに1ヶ月半ほど滞在してカルメンを演じたときのことを思い出したりしていました。

ースペインでもカルメンを演じられたのですね!

はい。それこそ、『カルメン』の舞台のセビリャに行ったのです。夕方になると本当に路地でギターが鳴り始め、フラメンコを踊る人が現れ、ビールを飲んで。ちょうど私が行った時期は復活祭の時期で、夜になるとお店が開いてみんなお酒を飲んでいて。私も、まったく知らない人とお酒を飲みました。それぐらい世界中から人が訪れて、鼓笛隊がラッパを鳴らしたり、『カルメン』の第四幕のように女性がヴェールをつけてハレの日の民族衣装を着ていたりする様子を目の前で見ることができました。カルメンが働いているタバコ工場もあったので見学しましたし、闘牛場もあって、それだけは「そんな残酷なものを女の子は見ないほうがいい」といって連れていってもらえませんでしたが、とにかく周りを見ました。私が歌った劇場に、トレッロ(闘牛場)の支配人が聴きにきてくださって、話は聞けたのです。牛を殺すわけなので結構血生臭くてかわいそうで、エスカミーリョのシーンで思い描くような明るくて美しいばかりのものではないのですが、危険をかいくぐり賞金を稼ぐ闘牛士はかなりいい暮らしをしているそうです。フラメンコダンサーも見ましたが、すごく目が魅力的でした。向こうの女性は髪が黒く、目はブルーかグリーンか、眉毛も濃く、燃えるような瞳をしていて、思わず見入ってしまうほど。カルメンもこんな風なのかなと思いました。アフリカが近いこともあってモロッコからのお客さんもいっぱい来ていたり、風が吹いた日にはスペイン独特の赤土が飛んできて車が真っ赤になってしまったり、あと同じアンダルシア地方の町のグラナダにも行きましたが、あの灼熱の生々しい空気感は、同じヨーロッパでもミラノとは違う文化を感じました。コロナ禍が明けたら、皆さんにもぜひ行ってみてほしいです!

スペイン セビリャでカルメンを演じた時の写真

ーまさに、カルメンの世界をそのまま肌で感じられたのですね。お話がすごく魅力的で、行きたくなりました!そういったスペインで見た光景や感じた空気を思い出しながら、改めてカルメンのイメージを醸成していらしたのですね。

はい。旅ができるって、オペラ歌手の魅力のひとつだと思うのですが、仕事や旅行でスイスにも、ドイツにも、いろいろな国に行きました。そのなかで、私は個人的にラテン系の国が好きだと感じていて。理由のひとつは太陽があるからなのですが、カルメンの魅力も太陽なのだなと思いました。

ー「カルメンの魅力は太陽」!説得力のある言葉です。それにしても、こうして気持ちを高めてのぞんだ公演で、コロナ禍での上演だからこそ苦労した点、もしくは魅力だった点はありますか?

ひとつは、“触れられないカルメン”ですね。ヨーロッパを見てきて、イタリア人が、スペイン人がハグしない、触れない表現をするということは私にとってすごく大きな不安であり、挑戦だったのです。でも岩田さんの素晴らしい演出で、触れなくても舞台が成立しましたし、私自身もよりカルメンの内面的な表現を探す機会になりました。ヨーロッパでは、もともと持っている文化的な側面からも、より身体的で、外へ向かう表現というのを求められることも多いですが、日本での公演で、このすごくエネルギーのある女性をどうやって触れずに内面的にパワフルに演じるかということを、繊細に、丁寧に追求できたのは貴重な経験でした。

ー“触れない”ことが、難しい点でもあった一方で、役づくりを深めるきっかけでもあったのですね。いろいろな制約があるなかでひとつ生舞台での公演を成功させたことで、今後の歌い手としての活動にも可能性を見出せたのではないでしょうか?

はい、そう感じています。飛躍ができる、大変いい機会でした。

ーお話をありがとうございます、今後の活動も応援しています!

聞いてみタイム♪ 恒例の、歌手に聞いてみたい質問コラム。
今回からはこれまでと趣向を変え、質問の書かれたカードを引いていただきます。

ー質問その1:重大ニュース!

重大ニュース!コロナでイタリアに帰れなくなってしまいました…!私は今年の2月頃日本に帰ってきたのですが、まさか帰れなくなるとは思いもよらず。ただ、あちらを出発する前にやたらと「なんだか嫌な気がする」という気持ちになり、イタリアから泣いて帰ってきたのです。みんな「3ヶ月後に帰って来られるから、そんな感傷的にならないで」といって見送ってくれたのですが、なんと本当に帰れなくなってしまいました。

ーそれは“予感”が働いたのですね。

本当に!帰れなくなった、これは私にとって青天の霹靂です。

ー質問その2:ひょっとしたら私だけ!?

私だけかどうかわかりませんが、甘酒が好きです!やっぱり歌ったり、夏暑かったりすると体力を奪われますし、夜ごはんを食べるのが遅くなり翌朝食べる気が起こらないときなど、甘酒と牛乳を飲むとすっきりしますね。

ー甘酒は疲れたときにいいですよね。イタリアではどうされているのですか?

甘酒、ないんです!だから日本のスーパーと、趣向を凝らしたアイスクリームがある日本のアイスクリーム屋さんはワンダーランドに見えます!イタリアでは3、4年住んでいるとジェラートも飽きてしまうし、納豆も豆腐も高いし、もずくもめかぶも売ってないのです。意外と渋好みなのです(笑)。だから、日本のスーパーでそういったものが安く買えると本当に素晴らしいと思いますし、イタリアへ戻るときは大抵納豆を詰めて帰ります(笑)。

ー日本食がお好きなのですね!あちらでお料理されるときも、日本食が多いですか?

心がけてはいますが、結局イタリア料理のようなそうでないような、創作料理が多くなってしまいますね(笑)。でも、近くにインド食料品店があり、そこのお店の方と仲良くなったらスパイスから何からたくさん分けてくれるので、粉からカレーをつくったりします。

ー粉から!それは素晴らしいですね。パスタは召し上がるのですか?

食べることもありますが、やはり機会があるのなら日本食を、と思ってしまいます。恋しくなりますね。

ーそうなのですね!貴重なお話、ありがとうございました。

取材・まとめ 眞木茜

桜井 万祐子

メッゾ・ソプラノ/Mezzo Soprano

藤原歌劇団 正団員

出身:愛知県

名古屋芸術大学卒業。在学中にマスタークラスを受けた名古屋芸術大学客員教授G.チャンネッラ氏の勧めで2008年に渡伊。オジモ・アルテ・リリカ・アカデミーに1年間在学し、15年国立ミラノ・ヴェルディ音楽院卒業。以降もミラノに拠点を置き、世界各地でコンサートやオペラ公演に出演している。12年ルクセンブルク・ネイ・シュティンメン声楽コンクール第3位。これまでにL.クーベルリ、A.クピード、黒田安紀子、高橋修子の各氏、演奏解釈をL.アッルーガ、B.ニコリの各氏に師事。09年にイタリア・デビュー。スイス・ルガーノにて「絹のはしご」ルチッラ、「フィガロの結婚」、ルクセンブルクにて「フィガロの結婚」ケルビーノ、ミラノにて「リゴレット」マッダレーナなど、各地で舞台に立つ。14年のイタリア・トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ音楽祭で、「蝶々夫人」の続編として三枝成彰氏によって作曲された「Jr.バタフライ(イタリア語版)」において、現地オーディションを経て唯一の日本人キャストとしてスズキに抜擢され成功を収める。同作品はBunkamuraオーチャードホール、富山県民会館、ハンガリー・バルトークプラス音楽祭でも再演され、いずれも同役で出演し高い評価を得ている。また、スペインのセビリャ及びドイツのオペラ・クラシカ・ヨーロッパにて「カルメン」タイトルロール、韓国・大邱国立歌劇場及びドイツ・ボン歌劇場にて「蝶々夫人」スズキ、イタリア・オペラエスターテ音楽祭「イル・トロヴァトーレ」アズチェーナ等、メッゾ・ソプラノの主要な役で活躍を続けている。藤原歌劇団には、20年8月「カルメン」タイトルロールでデビュー。その他、イタリア・アスティ歌劇場及びキアーバリ歌劇場にてヴェルディ「レクイエム」、シチリア・マッシモパレルモ歌劇場にてライオンズクラブシチリア50周年記念コンサート、ホテルオークラ東京ロビーコンサート25、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」、セントラル愛知交響楽団岩倉定期公演、NHKナゴヤニューイヤーコンサート2019等に出演。また、16年より世界最小のオペラ・ハウスとして有名なミラノ近郊のベッローニ劇場でソロリサイタルを含む多数の定期コンサートに出演、日本でも名古屋の宗次ホールや東京の白寿ホールなどで定期的にソロリサイタルの機会を得るなど、リサイタルの分野でも好評を博している。15年よりミラノのジュエリーブランド「ダニエラ・デ・マルキ」からジュエリー提供を、16年より小林栄子氏の手掛けるブランド「美・JAPON、美・EIKO」から衣装提供を受けている。
藤原歌劇団団員。愛知県出身。イタリア・ミラノ在住。

公演依頼・出演依頼 Performance Requests
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