8月5日開催のリサイタル。思いを込めた選曲や、信頼を寄せる共演者とのアンサンブルで、今の自分の表現を届けたい。
今年節目の年齢を迎えるにあたり、ちょうど誕生日の日に、東京文化会館の小ホールで歌えるご縁に、自分が一番驚いている。共演を重ねてきたクラシックギターの荘村清志氏、大学の授業でも信頼関係を築いているピアノの湯浅加奈子氏と共に奏でるヨーロッパ作品、日本作品、そして出身地である青森県にまつわる作品。今の自分らしく表現できる音楽を届けたい。音楽を愛した子供時代、学校の先生を夢見た学生時代を経て、様々な夢を叶え歩んできて今がある。美しいピアニッシモにこだわり、やさしい気持ちを持って帰っていただけるリサイタルに出来たらと願う。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第56弾は、2024年8月5日(月)に「立原ちえ子ソプラノリサイタル E da qui oltre〜 その先へ〜」を開催する、立原ちえ子氏。ご自身の節目としてのリサイタルについて、その選曲やご共演者の方々のお話を中心に語っていただきました。また、ご出身地である青森県のお話、歌い手を志すまで、教える立場としての思いなども伺いました。
東京文化会館でのリサイタル。お客様に届けたいのは、やさしい気持ち。
−まずは、2024年8月5日(月)に行われます、立原さんのリサイタル「立原ちえ子ソプラノリサイタル E da qui oltre〜 その先へ〜」についてからお聞きしていきたいと思います。このリサイタルは、どんなきっかけで立ち上がったのでしょうか?
実は私、今年で70歳になります。最初は、弟子たちに「先生、来年なにか歌われては?」と言われて、私も「そうだね」って。歌にまつわる今までの思い出とかを、どこかでみんなとおしゃべりをしながらやれたらいいなと思っていました。私は、どちらかというとオペラ出演というよりはリサイタルを主にやってきたのですが、共演の方とのエピソードとか、そういうものを話しながら楽しく歌えればいいね、なんて話を周りともしていて。100席とか150席ぐらいの会場を提案していたのです。そうしたら、「先生、そんなところじゃ小さいと思います」って言われて。「東京文化会館なんかどうですか」という方達がいて、「そんなところ、取れるわけないでしょう」と最初は私も返していたのですが、「ダメ元で出してみては」となおも勧められるので、慌ててCDを作成して、申請書を送って、返事を待つ間に300席程度のところを他にも探しておこうなんて話していたのですけれども、なんと許可がおりまして。みんなの中で、一番驚いたのは多分私です。
そんなわけで、みんなと気楽にわいわい、打ち上げもやりながらできるようなコンサートと思っていたのですけれど、場所が場所なので、思い切って自分が今歌いたいもの、思い出に残るもの、きっと年を取ったらだんだん歌えなくなっていくだろうなと思うような曲を集めてプログラムを組みました。
―驚きのきっかけだったのですね。それでは、ひとつの節目のコンサートという。
そうですね。還暦の時はそんなに思わなかったのですけど、70歳となると、自分がここまで歌ってこられたのだという思いが湧いてきて。ここで、無理せず自分らしく歌える今の状態というものを出していけたらいいなと。だから、自分で自分の誕生日コンサートをやろう、みたいなことになりました。驚くのは、この8月5日という日がピッタリ誕生日ということ。最初は金、土、日曜日あたりをお願いしていたのですが、やはりその辺りの曜日は倍率も高いですし、初めての申請だったこともあってなかなか取れなくて。それで、フタを開けたらちょうど70歳を迎える日になりました。
―それは、なるべくして成った結果ですね!
そうかもしれません。そうであれば嬉しいですね!
―選曲についても、お話を伺えますでしょうか?こだわった部分はありますか?
こだわった部分でいいますと、ギターの荘村清志先生とご一緒するという点ですね。過去に4、5回くらい共演させていただいているのですが、ここ最近はコロナもありましたし、なかなか叶いませんでした。それで今回、あまりに大きな会場が取れたので、これはまた荘村先生と「一緒に歌いたい!」と思い打診しましたら、「空いてます」とお返事を下さいました。
ピアノもそうなのですがギターという楽器は、音が減衰していくもので、ポンと弾くとスーッとディミヌエンドになっていく。そのはかなさとか、音の切なさとか、そういう音色に合う曲という観点でも選曲しましたね。私自身がどちらかというとmoll(短調の音楽)が好きなこともあって、明るいものばかりじゃなくて切なさや郷愁を感じる音楽も多く選びました。
ピアノの湯浅加奈子さんと奏でる日本の作品に関しても、あれもこれもというわけにはいかないので、山田耕筰、中田喜直、團伊玖磨といった作曲家で構成しました。これまでのリサイタルでも、結構いろいろな分野を歌ってきて、チクルス(特定の作曲家の音楽を連続して演奏する)で歌ったりもしてきたのですが、その中から好きなものを選んだという形ですね。
―そうなのですね。お客様にこういうものをお届けしたい、というテーマはお持ちですか?
はい。私は、常にリサイタルを通して、お客様に優しさを届けたいです。しっとり、ほんわかとした気持ちを持って帰っていただきたいのです。私自身は、声もそんなに大きくはないので、フォルテでワッと声を出す歌はあまり歌わない。ただ、多分ですが、ピアニッシモは比較的得意としているので、それを駆使して曲を構成していこうと考えています。その繊細な音の中で、音楽のやさしさや、1番大切なところを届けられたらいいなと思いますね。
―ピアノ、ピアニッシモで奏でる繊細な音楽。想像するだけで、やさしい気持ちになれます。ぜひとも立原さんの音楽に触れ、実感したいですね。
ギターと繊細に、ピアノと朗々と。ヨーロッパ、日本、青森の歌。
―ご共演のおふたりについてや、曲についてもう少し伺わせてください。荘村さんとはどのような出会いだったのでしょうか?
私、当初はヴィオラ・ダ・ガンバという楽器で歌ってみたいなと思っていましたが、残念ながらこれまでご縁がなく、周りに相談したところ、「クラシックギターの方ですけど、大学で先生をなさっている荘村さんを紹介しましょうか?」と言ってくださった方がいらして、それがきっかけでお知り合いになりました。その後すぐ先生と共演させていただいたのですが、それを皮切りにいろいろな欲が出てきて、アイディアが膨らみまして(笑)。クラリネットとか、ハープとか、そういった方々とも一緒に演奏させていただいく機会へとつながりました。
―音楽の可能性が広がる出会いだったのですね。今回の選曲は、荘村さんと一緒に決められたのですか?
いえ、基本的には私が決めましたが、もちろん荘村先生とも「この曲はいいね」とか、「この曲は難しいかもしれない」とか、話し合をしました。ギターの繊細な音に合わせて、いかに寄り添って歌うかを突き詰めていくのはとても楽しいです。ピアノだと朗々と歌えるけれど、また趣が変わってきますよね。
プログラムにポルトガル語の曲もあり、すごく可愛い子守歌で曲を知ったときから「絶対にギターでも演奏したらいいだろうな」と思っていました。
―ポルトガル語の子守唄、興味深いですね!基本的にはヨーロッパの作品が荘村さんと、日本歌曲はピアノの湯浅さんとの演奏という理解でよろしいでしょうか?
はい。湯浅さんは、東京音楽大学オペラ演習の授業でずっと一緒だったご縁で、今回お願いしました。彼女は、いつも指揮者との反応が素晴らしく以前にも何度か伴奏をお願いしていた関係ですので、授業の延長みたいなものですね。
―そうでしたか。出会いはそのオペラの授業ですか?
はい。以前にもコンサートの伴奏等をしていただきましたが、ダイレクトにお付き合し出したのは、授業で、ここ3、4年です。ただ彼女も同じ東京音楽大学の卒業で、伴奏などもやっていたので、他のお弟子さんの歌や、試験の伴奏などを全部聞いていて、ずっと近いところにはいらしたのです。なので、私が授業で学生たちに指導することも、私が何を求めて、どういう意図で言っているかも分かってくれています。とても心強いですよね。
―信頼関係に結ばれた、素敵なアンサンブルになりそうですね!リサイタルで、ここは特に聴きどころ、というハイライトはありますか?
やはり自分の中では、亡くなられた大賀寛先生との授業で勉強させていただいた、日本作品には思い入れがあります。特に、「夕鶴」の最後のアリア「さようなら」。この先私がオペラで歌うということはないと思うので、もう1回きちんと、大賀先生の教訓を思い返しながら歌えたらいいなと思い、日本のプログラムの最後に入れています。
他には、同じく日本作品で、大賀先生も沢山歌っていらした山田耕筰の曲。平成18年度に行われた文化庁芸術祭に参加するために、プログラムを組んで応募し、審査には通って、先生方が聴いてくださったのですが、長いという事でカットして演奏しました。その時の思いが繋がり、この機会に全曲歌えたらと思ったのです。
リサイタル全体の最後に、出身である青森の歌を入れました。津軽地方の民謡「もうっこ」です。プログラムに3人でやる曲が1曲もなかったので、少しアレンジを加えています。
―青森の歌、待っていました!立原さんは、活動を拝見していても、青森を本当に大切にされていらっしゃるご様子が伺えます。
ありがとうございます。私はむつ市という、恐山のふもとの町出身なのです。自衛隊の基地があって、「釜臥山(かまふせやま)」という山もあり、あの山を見ると「帰ってきたなぁ」といつも感じます。東京でリサイタルをしたら次の年はむつで、などと歌で行き来したり、近年は地元のコーラスの方々が呼んでくださって、一緒にコンサートをしたり、むつ市での第九もソリストで歌いました。「本州最北端の第九」ということで、合唱の方々も各地から集まります。
また、青森は民謡の宝庫でもあるので、その中からクラシック風にアレンジしてもらったものをレパートリーにもしています。むつ市の中でも、私の出身の下北という地域の民謡をベースにした「下北伝承の旋律による三つの歌」は、同じくむつ市出身の作曲家である今井聡さんにアレンジしていただいたものです。「もうっこ」もずっと歌っていましたが、これまではピアノ伴奏だけですが、今回はギターを加えたアンサンブルとして、アレンジした方の想いが強く込められた曲になっています。
―今回ならではの、初めてのバージョンが聴けるのですね!それは必聴ですね!
聴いていただきたいです。「もうっこ」って、お化けのことなのですよ。
―そうなのですか!
元々は、これも子守唄です。「早く寝ないと“もうっこ”が来るからね、いい子で寝なさいよ」という内容です。この言葉は、どうやら「蒙古襲来」から来ているようで「蒙古襲来」って、もう少し西の方のエピソードとして知られていると思いますが、北海道の方にも来たことがあるらしくて。そこから逃げてきた人たちから話が伝わり、海の向こうの体の大きい人たちが襲ってきた時の怖さを、お化けにたとえたようです。民謡って、結構そういうところから生まれていますよね。
―民謡には、地域の深い歴史文化が感じられるのですね。
歌い手の道も、教えの道も。音楽を愛し、故郷を愛して歩んできた。
―お話はちょっと変わりますが、元々ご幼少の頃から歌い手になろうと思われていらしたのですか?
いえ、学生の時は学校の先生になろうと思っていました。小学校、中学校の先生がとても素晴らしく、音楽も好きだったので、音楽の授業をしたいなと思い描いていました。幼い頃にピアノを習っていましたが、先生が大変厳しくて長続きせず。しかし、おかげで耳は育ったと思います。音楽自体は好きでしたが、小学校の頃は歌もあまり得意じゃない気がしていました。ダイレクトな喉声で歌うのにどうしても合わせられず、みんなと一緒にはうまく歌えなくて。中学校に上がり、先生からのアドバイスを受けて、そこで歌の勉強を始めました。
―そうだったのですね!クラシックの発声と出会い、そのまま歌に進まれということでしょうか?
そうですね。自分の中の違和感が解決したのかもしれません。高校も音楽科がある学校に行き、そのまま歌を続けていたら、どんどん面白くなって。まだそんな高い声は出なかったけれど、以前よりも好きなように声を出せるようになったのが嬉しくて、最終的には親に「東京の音楽大学に行ってみたい」と相談しました。右も左もわからず、ただ言われた通りに一生懸命練習していたら、先生が認めてくださり「ちゃんと続けなさい」と。東京で、本格的な歌い手の道へ進むことになりました。当時、田舎から出てきて東京の大学に進学するという人もそんなにいなかったですし、親は引き続き学校の先生になるだろうと思っていたようですけどね。
―けれど、結果的には「音楽の先生に」という夢も叶えたのですね。
そうですね。やっぱり好きな歌を教えられるって、すごくラッキーだと思います。
―学生たちに、いつも伝えていらっしゃることは何でしょうか?
もうとにかく、私は地声が嫌いなのです。今、時代の流れとしてはそうした表現も多くなっている気がしますが、やっぱり基本はベルカント。きちんとした頭声と胸の声をミックスした、澄んだ声を出してほしいといつも願っています。だから、私はテクニックを重要視しています。ピアニッシモでもフォルテでも、発声の本質は同じなのです。
発語にも関わります。言葉も、音がクリアでなければ伝わらないですよね。もちろん人それぞれの個性はあるけれども、やっぱりその音楽のどこが大切で、どうやって響かせてお客様に伝えるかは考えていくべきだと思うのです。私たちは声を出して相手に伝えることが仕事なのであって、自分だけで気持ちよく歌っているだけじゃダメなのよ、と常々言っていますね。
―相手に伝えることが仕事。本質を突いたお言葉ですね。
単純なことのようで、意外と難しいのです。やりすぎも良くないし、自分の中のいろいろな感性を磨いていかなければいけないと思います。「声を出すという責任は大きいよ」って、学生たちには伝えています。
でも、こうして教えることで改めてわかることはいっぱいありますね。教えるためには、自分が勉強しないと広がらないですから。自分の体もどんどん変わっていくし、思いも変わっていく。だから、私自身も歌う必要があると思い、自分でテーマを決めてリサイタルをやってきたのです。苦手なドイツものもやりました。ウィーンに行って、ホテルでフロントのスタッフが「Guten Tag(こんにちは)」と声をかけてくれたのに、「Auf Wiedersehen(さようなら)」と返してキョトンとされたエピソードもあるような私ですけれど(笑)。フランス語とイタリア語とベネチア語の曲をプログラミングしたはいいけれど、頭がパニックになったこともありますよ(笑)。
―ユーモアも交えながら(笑)、努力を重ねてこられたのですね。
言語といえば、青森にもエピソードはあります。同じ青森県内でも、下北の方と津軽とでは言葉が全然違うのですよ。津軽は本当に津軽で、有名な「どさ」「ゆさ」=「どこに行く?」「銭湯に」みたいな。下北は自衛隊の基地があったので、意外と標準語。あの方達は、全国いろいろな拠点を回られていますからね。いずれにしても寒いところで育ったので、パカッと口を開けて歌うのは少し苦手でしたね。それよりは、ポジションをきちんと身につけてピアニッシモにこだわるというか。イタリア留学時代に受けた「ヴェルディ国際声楽コンクール」では、オペラ「オテッロ」からデズデーモナの‘柳の歌’歌った時に、最後のas mollのピアニッシモを外さなかったのを、審査員の先生方にすごく評価していただいたき、大変嬉しかったですね。
―信じてきたものが、実を結んだ瞬間ですね!最後に、ご自身にとって「歌う」とはどのようなことでしょうか?
歌うということは、私にとって「生きている」ということですね。かっこよく言ってしまいましたけれども(笑)。でも、本当に歌があったから生きてこられたようなものです。人生って一筋縄ではいかないもので、辛い時もありました。寝ないで、本番を迎えたこともありました。だからこそ、「私は歌うんだ」と。自分に辛い体験があったから、歌を聴いてくださる皆様には、せめてやさしい気持ちを届けたいなと思って、必死になって歌ってきましたね。
―先ほどもおっしゃっていた、「やさしさ」を持って帰っていただきたいっていうところにつながりましたね。
そうですね。安らぎとか、やさしさとか。音楽には、そういう力があると信じています。
―きっと、素晴らしいリサイタルになると思います。お話、ありがとうございました。
聞いてみタイム♪
立原ちえ子さんに、ちょっと聞いてみたいこと。
―恒例の番外編コーナー「聞いてみタイム♪」がやってきました。今回は、事前にご用意した質問からこちらでランダムに選びますので、立原さんにお答えいただきたいと思います。
「新しいスキルを1つマスターできるなら何を選びますか。」
えー、難しいですね!スキルといえるかどうかわからないですが、一応来年で定年になるので。ずっと思っていたのですけども、洋裁をやってみたいですね。
―洋裁ですか!
はい。母方が会津なこともあり、「こぎん刺し」という伝統工芸が身近でして。布にいっぱい針を刺し、縫って模様を描いていくのですが、あれは昔の人たちの知恵だと思うのですよね。薄い木綿でも、ああやってたくさん縫っていくことで強くする。あとは、母の形見の着物をリメイクして自分で作って着たい、だとか。そういった理由で、洋裁ができたらいいなと思っています。全然音楽とは関係ないですよね!もう、針に糸が通らないかもしれないですし(笑)。
―いえいえ、大丈夫ですよ!それは素敵なスキルですね。
あとお料理が好きなので、いろいろ作りたいなと思っています。SNSにたくさんお料理画像や動画があるじゃないですか。そういうものを真似して作ってみるのも好きですが、ああいう投稿は大体2人前とか3人前で、減らせばいいのに、書いてあるそのままの量で作ってしまうのですよね。出来た料理をSNSにアップすると、いつも「食べすぎ」と突っ込まれます(笑)。
―楽しいですね!最近、これは会心の出来だったと思えた料理はありますか?
去年の暮れにいっぱいいただいた、長いもを使った料理ですね。食べる暇が全然なくて、出しっぱなしだったものをこの前ようやく整理しまして。ちょっと悪くなっていたものもありましたが、生き残ったものを使って料理したら、どれも結構成功だったなと。片栗粉でコーンと繋いで、フライパンで炒めるとか。とろろ状にしたものにベーコンを入れて、焼いて食べるとか。それで、ようやくあと3本くらいになったかな。使いきらないといけないので、また何か作ろうと思います。
―思わず想像して、お腹がすいてきてしまいました!洋裁にお料理に、新しいスキルといっても、すぐに実現できそうなところがまた魅力的ですね。ありがとうございました。