東京での初のソロ・リサイタルで、10年間の研究成果を魅せるため、イタリアで心の準備を整える日々。気心の知れた素晴らしい共演者と共に、みなさんに喜んでいただけるような変化に富んだ充実のプログラムを披露したい。地元出身というだけで、知らない人でもあたたかく応援し支えてくれる我孫子のみなさんへも、これまでのお返しができるように頑張りたい。イタリアでのよろこびは、お客さんとの距離が近いこと。嬉しいこと、面白いこと、緊張したことなど、忘れがたい数々のエピソードを心の糧に、これからも真摯に、謙虚に仕事と向き合っていきたい。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第七弾は、12月20日(火)より東京と地元・千葉県我孫子市にてソロ・リサイタルをひらく佐藤康子氏に、本番への意気込みやイタリアでの生活、過去の舞台エピソードなどを伺いました。
成果を見せる、という誇りと緊張感。自身初の東京ソロ・リサイタル。
ー今回は、まずは12月20日(火)から始まるソロ・リサイタルについてお話をうかがいたいと思います。リサイタルという形式は初めてと伺っていますが、今のお気持ちはいかがですか?
そうなんです、東京では初めてなんですよ。東京以外や、こちら(イタリア)での演奏会に参加させていただいたりしたことはあるのですけど。また、今回は五島記念文化財団のオペラ新人賞を受賞してのイタリア研修の成果発表なんですね。だから、今までの研究の成果をご披露しないといけないということで、少し緊張しています。
ーやはり緊張をされる部分もおありなのですね。プロフィールでこれまでの豊富な実績や輝かしい賞の数々を拝見すると、まったく心配ないようにも思われますが…
いえいえ!それは若い頃に色々と挑戦させていただいたからで、そういう機会を頂けたことは本当に感謝しています。ですが、私自身はやってもやっても勉強がし足りなくて、藤原歌劇団でも、先輩方や合唱の方々にもっと肩の力を抜きなさいなんて怒られるぐらいです。
ー12/13に帰国されるまで、今はまだ心の準備をされてらっしゃるところなのですね。(インタビュー時、佐藤さんはまだイタリアにいらっしゃいました。)
そうですね。幸いこちらでは、コレペティトゥアの先生や歌の先生であるライナ先生が近くにいらっしゃって、細かいところまで教えていただけるんですね。ですので、練習がしやすい環境なのです。
ーそうなのですね。今回リサイタルで歌われる曲は、どのように選ばれたのでしょうか?
今回は、イタリアの作曲家による作品が中心なんです。今までのコンサートだったら、『蝶々夫人』などの有名なアリアや日本歌曲などお客様がお聴きなじみのものを歌っていたのですけど、今回はやはり成果発表なので、これまでのコンサートとは少し趣旨が異なるんですね。私がこれまで研究してきたことをお披露目する場であることを考えると、じゃあ、ということで今まで歌って来たプッチーニやヴェルディなど思い入れのあるイタリアの作品に絞って、少し有名ではない曲もあるかもかもしれませんが、これまで10年の間に積み重ねて来た“私”というものを純粋に聴いていただきたい想いでイタリア音楽に限って選曲しました。
ーなるほど。今や日本のお客様はオペラに詳しい方も多いようにも思われますが、やはり『蝶々夫人』や『トスカ』など特に有名なオペラ・アリアは、ご自身にとってもプログラムのハイライトということになりますか?
はい、そうなると思います。何せ五島記念文化賞オペラ新人賞の成果発表コンサートという機会もまたとないものですから、私も難曲ばかり選んでしまったんですけども。でも、プッチーニの曲っていうのはやっぱり歌い方も、使うエネルギーも違うんですね。息を支えるのがとても大変。なので、あまり最初から歌ってしまうとその後が続かなくなってしまいそうだなと思ったので、結果的に作品や作曲家の年代を追ったプログラム構成になっているんです。まずドニゼッティ、ヴェルディがきて、プッチーニへ移ってゆく、というような。
ーご自身が力を発揮できるコンディションも考えてのプログラムなのですね。共演の方々についてもお聞きしたいのですが、今回のピアニストのフェデリーコ・ニコレッタさんとは、どういったいきさつで共演が決まったのですか?
ニコレッタさんは、私の一番最初の留学地であるスポレート実験オペラ劇場での研修時代に出会いました。彼はマエストロ・コッラボラトーレ(コレペティトゥーア)養成講座に来ていて、繊細なピアノを弾かれることに驚きまして。それ以来、ピアノ伴奏で歌う機会があるときはだいたい彼にお願いして、よく一緒にやっているんです。日本にも何度かいらしたことはあるんですよ。有名な方の伴奏もたくさんなさっていますけど、ソロで演奏されることもあって、素晴らしい腕前で。みなさんにもぜひ聴いていただきたいので、今回もお願いしてお引き受けいただきました。
ー気心の知れた間柄なのですね。プログラムには、ピアノ・ソロの演目「リゴレット変奏曲」もありますね。
はい、ニコレッタさんはリストがお得意なんです。私はヴェルディのコーナーにもうちょっと厚みを持たせたいなと考えていたこともあり、「リゴレット変奏曲」をリクエストしました。この曲はリスト作曲ですが、ヴェルディのオペラ『リゴレット』の中の華麗な重唱のメロディーなどが散りばめられた曲なので、『オテッロ』とはまた違う雰囲気で華やかにやってもらおうと思っているんです。
ー歌に、ピアノに、表情豊かなヴェルディ・コーナーになりそうですね。一方のテノールの笛田さんとは、どのような経緯で共演に至ったのですか?
笛田さんも何度か藤原歌劇団の舞台でご一緒していて。2014年の『蝶々夫人』で、組は違いましたが、笛田さんがピンカートン役、私が蝶々さん役で出演しており、その頃からのお付き合いなんです。彼は本当に素晴らしいお人柄で、すごくやさしくてフランクですし、しゃべり方もゆったりと落ち着いていて。歌っているときのしっかりした感じとは違って、ご本人はほわっとやわらかで、いたって和み系なんです。ソロ・リサイタルではありますが、デュエットもぜひ聴いていただきたかったですし、聴く側のお客様としてもちょっと変化があった方が楽しんでいただけるのではないかと思うと、やっぱりどなたかにご協力をお願いしたいな、と思いまして。笛田さんも五島記念文化財団でオペラ新人賞を受賞されてますし、彼の人間性も大好きなので、ダメ元でお願いしてみました。
ー笛田さんも快諾されたんですね。
はい、本当にありがたいことに、快く引き受けてくださって。素敵な音楽づくりをされるし、天声の美声の持ち主ですし、みなさんもきっと喜んでいただけると思うんです。
ー気負わない間柄のみなさんとの共演、とても楽しみですね。
地元のお客様は、あたたかい。イタリアのお客様は、距離が近い。
ーところで、20日の東京に続いて、24日(土)には佐藤さんのご出身地でもある千葉県我孫子市でもリサイタルを開催しますね。地元でリサイタルというのは、どのようなお気持ちですか?
我孫子市は私の地元なんですけれども、皆さん、ものすごくあたたかくて。私は年に1度は演奏させていただく機会を頂いてきましたが、毎回来てくださり、毎回満員御礼にしてくださるんです。お聞きくださる姿勢もとてもアットホームで笑顔が多くて、私のほうが元気をいただいてます。
ー地元の方にとっても、自分たちの町出身で、世界的に活躍するアーティストがいるというのは誇らしいことなんでしょうね。
そうだと嬉しいですね。我孫子って音楽活動が盛んで、合唱団の数もとても多くて、文化的なものへの興味関心が高い場所だと思うんです。今回演奏するのが「千葉県福祉ふれあいプラザ」の中の「ふれあいホール」という我孫子で一番大きなホールなんですが、みなさん普段の定期演奏会などの催しにもよく足を運ばれているようで、そこに来てみて偶然私を知ったという方も結構いらっしゃるんですよ。
ー芸術への姿勢が積極的な方が多いのですね。そして佐藤さんに巡り会う。素晴らしいですね。
はい、だから我孫子のみなさんにはいつも支えられていて、より良い歌手になることが何よりの恩返しだと思っているのです。25日には同じホールで障がいがおありだったり、ご高齢でいつもは気軽にコンサートにお出かけになれないような方を招待させていただいてのクローズドのコンサートをさせていただくのですが、そちらもしっかりつとめたいと思います。
ーみなさんへの素敵なクリスマスプレゼントになりそうですね。
そうならなくてはいけないですね(笑)。とにかくそんなお礼の気持ちを込めて、我孫子でのプログラムは東京と少し変えて、イタリアものだけと言わずに日本の歌も予定しているんです。というのは、東京公演も両方来てくださる方も結構いらっしゃるので、両方楽しめるようにとプログラムを考えました。
ーそんなあたたかいお心遣いも、我孫子の皆さんはきっと嬉しいでしょうね。
喜んでいただけるといいのですが。とにかく、良い演奏をお届けできるように頑張りたいと思います。
ーはい、楽しみにしています。話は変わりまして、佐藤さんはイタリアで長く生活されていますが、普段本番が終った後やオフの日はどう過ごされているのですか?
公演が終わるのは、夜の12時を回っちゃうのですが、遅くまでやってるレストランが必ずあるので、他の歌手達は「打ち上げだ!」なんて言って飲みに行っていますね。でも私は、悔しいことにたいがい行けないんです。例えば公演日と公演日の間の休みはたった一日ということがよくあるんですね。そうすると、公演の後に「飲みに行こうよ〜」なんて誘ってくれるんですけど、私が歌う役は大変なものが多くて、終わった後はもうくたびれ果てていて。喋るのが一番喉に悪いので、まっすぐうちへ帰りひとりでお茶を飲んで寝ます。
ー公演で体力を使い果たしてしまうんですね。
そうなんです。でもこちらで嬉しいのは、オペラを観に来たお客さんたちと普通に町中で出会うんですね。レストランやバールで「見たよ!」なんて声をかけに来てくれるんです。お惣菜屋のおかみさんに「このあいだの、良かったよ〜!」なんて言われてお惣菜をプレゼントしてもらったこともありました。
ー観に来た方と、普通のコミュニケーションがとれるんですね!
そうなんです。こちらの方は楽屋にも気軽に挨拶に来てくれたりするんですよ。お客さんとの距離が近いですし、話しかけていただけるととても嬉しいですし元気をいただいてますね。
ー完全にオフの日というのはあるのですか?
ありますよ、超忙しいか、超ヒマかのどちらかです(笑)。完全にオフの日は、地元の市場に買い物に行きますね。野菜も、果物も、日用品も、なんでも売ってるんですよ。ファーマーズマーケットなんかも出ていて。有機のお野菜があったり、あとこちらでは地産地消の意識が高くて。生産者の方と話しながら買って帰るんです。
ー日本ではなかなかできない体験ですね。それが日常であるということはとても素敵です。
日本とは、色々な面で違いますよね。電車はほとんどいつも遅れますし(笑)。あと、みなさん結構日本のニュースに詳しくて、しょっちゅう話してますよ。
ー日本のニュースに詳しいのですか!驚きですね!市場で買った食材はご自宅でお料理されるのですか?
はい、イタリアの料理って簡単なんですよ!正しい材料を正しい手順をふんで作れば誰でもある程度は美味しく作れるんです。イタリアは野菜がおいしくて。お米は日本の方がおいしいですけどね。
ーまた少し種類も違いそうですね。お料理は最初にイタリアにいらした頃からずっとなさっているのですか?
そうですね。日本では実家にいたものですから、こちらに来て、まわりに教えてもらったりしながら身につけていきました。色々、失敗もしましたよ(笑)。
忘れようにも忘れられない。“佐藤康子”をつくり上げた、思い出深い舞台たち
ーイタリアでの研修中、思い出深いエピソードはありますか?
スポレートでの研修はもう10年ぐらい前のことになりますが、歌い手のみなさんと海に出かけたことがありまして。私は日に焼けたくないから完全防備で行ったら、ものすごく不思議がられました。「真っ白でかわいそう」って。日焼けしてない人を冷やかす言葉がありましてね。「ヤスコは、今年のミス・モッツァレッラだね。」なんて言われたんです。あの純白のチーズのモッツァレッラのことです。黒くなればなるほどステータスなんですね、こちらでは。「国が変われば、こんなに価値観も違うものなんだなぁ。」と思いました。
ーなるほど。日焼けがステータス、というのはよく耳にしますね。
あと、スポレートではないのですが、こちらのオペラ公演での面白エピソードがいくつかありまして。『蝶々夫人』には、蝶々さんの子ども役として毎回毎回5歳くらいの子どもが登場するんですけど、歌われてる言語がイタリア語じゃないですか。劇中、子どもにシャープレス(日本領事)が「なんて名前なの?」と問いかけて、それに蝶々さんが「この子の名前は今は「哀しみ」だけど、夫のピンカートンが私のもとへ帰って来たら「喜び」と名乗り直すのよ。」と答えるシーンがあるんですけど、あるとき稽古中にシャープレス役の歌手が子役に「なんて名前なの?」と聴いたら(歌ったら)「リッカルド。」って答えたんですよ。それがもうかわいくて!そこにいたキャストみんなが、かわいくてもだえ死にそうでした。演出家の方も「かわいすぎる〜!でも、答えなくていいからね。黙っておじさんのほうを向いていてね」なんてその子に言って。あと、同じ『蝶々夫人』の本番で、蝶々さんが子どもを抱きしめながら歌うシーンがあるんですが、その子が緊張しちゃったのか、おならをしたんですよ。私は、ちょうどアリアのクライマックスのところだったため大きく息を吸ったので、しっかりおならも吸い込みました。今となれば笑えます。面白かったですね。
ー子どもならではの素直さが微笑ましい面白エピソードですね。一方、2014年には日本の藤原歌劇団にデビューされましたが、そのときの印象は覚えていらっしゃいますか?
はい、私は2014年に『蝶々夫人』のタイトルロールで藤原歌劇団にデビューしましたが、藤原歌劇団といえば日本屈指の歌劇団で、しかもその藤原歌劇団が世界に誇る『蝶々夫人』の大舞台でいきなりタイトルロールというので、それはもう、今思い出しても震えが来るぐらい緊張していました。
ー今でも感覚を覚えてらっしゃるんですか?
はい。それまでも、『蝶々夫人』はイタリアでは中劇場から大劇場まで、いろんなところで何度も歌わせていただいてましたが、このときほど緊張したことはありませんでした。
また、その年が藤原歌劇団創立80周年という節目の年で、創立記念公演だったんですね。そんな中でタイトルロールという大役を務めるのは、イタリアで歌う比ではないぐらいの緊張でした。その重圧たるや。
ーそれは緊張されるでしょうね。
そうなんですよ。また、周りの役が、みなさん大ベテランの方々ばかりで、その方々にはもちろん敵わないのですが、とにかく自分の出来ることをやらなければという責任をものすごく感じまして。合唱から裏方のプロダクションのかたから、何から何まで、隅々までレベルが高いですし、この舞台へ関わる一人ひとりの並々ならぬ「気概」を感じました。でも、私が緊張でガチガチになっていたら、みなさんがすごく励まして支えてくださったんです。本番前、袖で合唱の方が「大丈夫よ。何かあっても私たちがリードするからね。」なんて声をかけてくださって。なので、みなさんの胸をお借りしてつくり上げた公演だったなと思います。
ー非常に印象深い公演だったのですね。
はい、忘れようにも忘れられない思い出です。藤原歌劇団の活動として、心の原点となっている公演ですね。
ー今後、日本での活動への思いなどはありますか?
そうですね、もうどんな役をいただいても、毎回毎回全力投球していきたいなとは思っています。
聞いてみタイム♪ 前回インタビューさせていただいたバリトンの須藤慎吾さんより、佐藤さんへの質問をお預かりしています。
ーライブで聴きたかった(CD等でしか聴いたことのない)憧れのディーヴァはいらっしゃいますか?それはどなたでしょうか?
そうですね、往年の名歌手といわれる方々はみんな憧れですけれど、誰かひとり上げるとしたらやっぱり「マリア・カラス」ですね。
ーなるほど。音楽や役づくりの参考に、色々な方をお聴きになると思いますが、やはりマリア・カラスなのですね。
彼女は、格別ですね。彼女のレパートリーと私のレパートリーは、もしかするとあまりかぶらないかもしれないですけど。「トスカ」はカラスも歌っていますけど、彼女は(メゾソプラノが歌う場合が多い)「カルメン」も歌ってますからね。そして、ただ歌うだけでなく、ドラマと音楽の結びつきが素晴らしい。あれはぜひライブで見てみたかったですね。
ーもはや女優とすら言える演技と歌唱、双方の表現力の融合に惹かれるのですね。
「どうやってるんだろう?!」と思います。オペラを歌うとき、感情にとらわれ埋没しすぎると歌えなくなるので、ちゃんと歌いきれるだけの冷静さは必要なんですけど、冷静すぎると今度は劇ではなくなってしまいますから。なので、そこのバランスの取り方を是非生で見てみてみたかったです。CDで聞くのとライブで見るのとは感じられるものが全然違いますし、観ることで少しでも自分の歌に生かせることができたら、と思いました。理想の歌手を生でみることができるということはこれ以上ない最高のレッスンになると思っていますので。いつの日か1センチくらいでいいので彼女に近づきたいです。
取材・まとめ 眞木 茜