お知らせ

イタリアオペラ誌“l’opera”にBOF2019の模様が紹介されました!

お知らせ

スカルラッティの「貞節の勝利」をはじめバロック・プログラムで大好評を得た“ベルカントオペラフェスティバル イン ジャパン2019”が、イタリアで最も歴史のあるオペラ雑誌「l’opera(ロペラ)」に掲載されました。
その全文訳をご紹介致しますので、ぜひご覧ください!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アレッサンドロ・スカルラッティ 日本の聴衆を魅了
テアトロ・ジーリオ・ショウワにてベルカントオペラフェスティバル イン ジャパン開催
 
ベルカントオペラフェスティバル イン ジャパン2019が、同年3月にサヴェーリオ・メルカダンテ作曲「フランチェスカ・ディ・リミニ」の日本初演にて口火を切った成功体験を継続している。
(イタリア、マルティーナ・フランカで40年以上の歴史を持つ)ヴァッレ・ディトリア音楽祭協力の下に生まれたベルカントオペラフェスティバル イン ジャパンは、独自の個性を持つイベントへと成りつつある。その狙いは、ベルカントの文化を日本に広めて、日本人の強いオペラ愛を、バロックから19世紀初頭までの演目だけにではなく、その歌唱様式を正しく認識するようにも仕向けることである。
このフェスティバルは、昭和音楽大学内のテアトロ・ジーリオ・ショウワにて、文化庁、日本オペラ振興会の主催により、同大学及び小田急電鉄の協力を得て開催された。
 
BOF芸術監督カルメン・サントーロが采配を振った第2回には、二つの新たな創意が見て取れる。先ず、アレッサンドロ・スカルラッティ作曲「貞節の勝利」という大胆な演目の選択が挙げられる。1718年にナポリのフィオレンティーニ劇場で初演されたこのオペラは、当時もっとも学識豊かな作曲家の一人によって生み出された。この作品に触れることで、17世紀から18世紀にかけて玄妙な推移の道を辿ったナポリ楽派の作風を、日本の聴衆にも身近に感じさせてくれている。このスカルラッティの傑作は、音楽喜劇における輝かしい手本として正真正銘オペラ・ブッファへの架け橋となっているが、用いられたベルカント様式と感情表現から、スカルラッティがこのジャンルにおいても熟達した匠であることは明らかである。
もう一点は、日本で散見する“キャスト全員をイタリアから招聘する”仕方ではなく、著名なイタリア人歌手を核として、他はほぼ完全に日本人歌手であるキャストを組むという選択である。こうして、同劇場での上演の狙いは、大学生に新たなレパートリーを示し、また音楽面だけでなく舞台的な観点からも事情を熟知した上で、バロック音楽のレパートリーに取り組むことができるような声楽教育の場を日本でも推進することにある。キャストの中核に置かれたのは、若年層から台頭してきた新進カウンターテナーのラッファエーレ・ペーである。彼は、国際的キャリアを積みながら、近年にはジュリアス・シーザー像の作品に絞ったCDを出して、権威あるアッビアーティ賞のような公式の評価も得ている歌手である。今回、彼はスカルラッティがカウンターテナーにゆだねた役であるエルミーニオを演じた。作曲家のもくろみは、嫉妬深い恋人を風刺的に描くことである。それゆえ、喜劇的な状況においては、必然的にコミカルに取り乱した声のアリアも聴かれることとなる。ペーは、そういった優れた力があることを証明してみせた。怒りのアリアを気品と見事な素養で歌い切るが、その際にマルティーナ・フランカの上演でも既に行った、スカルラッティのオペラ・セリア「セデキア」からのアリアも同様に導入している。この判断には、一部の学者から戸惑いの声がなかった訳ではないが、実際には当時の演奏法に適ったやり方であり、登場人物に内省の好機を与える効果をも生み出している。また、このアリア導入によって、彼の資質にとりわけ適した哀歌の技量を見事に披露する場もできあがり、その価値に見合うほどに演奏機会が多くはない作曲家の素晴らしい楽曲を聴く機会を得るのである。指揮者アントニオ・グレーコもまた、極めて適切な判断を下していた。ベルカントオペラフェスティバル管弦楽団と相応しいカットを施した演奏により、楽曲「貞節の勝利」がより格調高く、ずっと楽しみ易くなった。作品題材に精通しており、その巧みな伴奏、音楽と演劇のニーズに気配り高く、非常にまとまりがあって一致団結したキャストを導いていた。
先ず、心揺り動かすレオノーラを演じた米谷朋子を取り上げる。高貴な系譜を受け継ぎ、飛びぬけて難易度の高いコントラルトのためのパートに屈することなく乗り越える力を見せた。一方、同じく見事に男装の役リッカルドをこなしていたのが迫田美帆である。この役はセビリャの色事師ドン・ファンの一種であり、伊藤晴扮するドラリーチェと但馬由香扮するロジーナを相手に渡り合う。この二人もまた、各役の性格を見事に描き出していた。
愉快な女性役コルネーリアに見事になり切っていたのがテノールの山内政幸で、この戯画的な役回りに必須の滑稽さに欠けることなく、口調や所作の鮮やかさが冴えわたっていた。一方、もう一人のテノール小堀勇介は、常に歌い易いとは言い難い音域でも声を思い通りに操り、人物像を明確に描くために、悠然として伸びやかな声が要求される役フラミーニオを歌いこなす力量があることを示した。ロディマルテ・ボンバルダ隊長役は、バス歌手のパトリーツィオ・ラ・プラーカにまかされた。いわば悪意のないハッタリ屋といった役柄であり、ラ・プラーカは常に自然体を保ち説得力に富んでいた。
プーリャ州の農場跡からテアトロ・ジーリオ・ショウワの大きな舞台(平土間席と2階層の張り出し席とで1,300席あり、オーケストラピットも大きい)へと舞台を置き換えるには、全く新たな構想で大道具を考え出す必要があったので、全く新規のプロダクションだと言ってもよいほどのレベルである。実際、今後のベルカントオペラフェスティバルでは、日本の会場の特殊性を考慮し、そこで設営する舞台としてふさわしい規模の上演を立案する必要がある。
演出家ジャコモ・フェッラウとリーベロ・ステッルーティは、ステファノ・ズッロの舞台装置、サラ・マルクッチの衣裳、ジュリアーノ・アルメリーギの照明、リッカルド・オリヴィエールの振付によって、18世紀の描写をやめて時代設定を現代とし、台本の指示に反して話の舞台をナポリとした。ドラマはフラッシュバックの形で描かれており、物語がリッカルドの墓碑前で始まる。そこは、オペラの幕切れに彼が息を引き取り、冒頭に涙し佇む少女の母であるレオノーラが、身ごもったまま彼に先立たれた場なのである。
こういった解決法がうまく機能しているとしても、喜劇題材のミュージカルに傾倒した立ち振る舞いによる舞台的動作が絶え間なく続くことに、私はあまり共鳴できない。とりわけ幾つかのシーンでは、より節度ある解釈の方がより効果を上げていたことだろう。とはいえ、大成功を収めたこの2回公演は、演出陣の日本人歌手に対する並々ならぬ労力と総合的に得られた結果としてふさわしいものであった。
 
フェスティバルのイベントには、ソプラノの光岡暁恵と、母国のスター・カウンターテナーである藤木大地によるバロックコンサートが組み込まれ、アントニオ・グレーコの見事な指揮に率いられたBOFバロックアンサンブルが伴奏に加わった。演目としては、スカルラッティからヘンデルに至るまで、ジュゼッペ・アプリーレとアントニオ・ヴィヴァルディの楽曲に触れながら、名高い作品を含む内容だったが、その中には“オンブラ・マイ・フ Ombra mai fù”、“生きるがよい、暴君よ Vivi tiranno”、“また私を喜ばせに来て Tornami a vagheggiar”の様な極めて有名な曲も含まれていた。光岡暁恵は、その心地よい音色と正確な歌唱で力量を示し、藤木大地は至高の美に至った選択曲の中でも、クラウディオ・モンテヴェルディの “かくも甘い苦悩を Sì dolce è ’l tormento” にて、とりわけ見事な歌唱が光る瞬間に達した。
純粋に音楽的なイベントと並行して、ナポリ楽派に関する音楽学シンポジウムが昭和音楽大学内にて開催された。カルメン・サントーロがナポリ楽派について総括的で的確な全体像を辿って見せた一方で、アントニオ・グレーコはスカルラッティ作曲技法上の諸相を何点か取り上げて解き明かした。筆者は、「貞節の勝利」の声楽面について論じさせていただいたが、カウンターテナーのラッファエーレ・ペーの方からも、バロック・オペラにおけるカストラート歌手の用いられ方について独自の理論を打ち出してくれた。
観客が常に非常に高い関心を示していることから、本フェスティバルが、いかにより明確なプランニングで構成されるべき現実的イベントであるのかは明白である。そうであるならば、当該週間中により多くのイベントを展開したり、教育部門を開設するような思い切った企画は必要であろう。既にイタリアで試行された革新的な手法があり、それにより若者とオペラとの距離を縮めていくことは、オペラの持つ魅力を伝え広めることに寄与したいと願う者すべてに課せられた務めである。
 
ジャンカルロ・ランディーニ(音楽学者)

JOFBOF2019_74

JOFBOF2019_72

JOFBOF2019_73

WEBでチケットを購入 お電話でチケットを購入