
20年間、計10回。藤原歌劇団のジェルモンを知り尽くす牧野氏。
1990年から2005年まで行われた新春恒例、ニューイヤー・スペシャルオペラ藤原歌劇団『ラ・トラヴィアータ』。その第1回公演は、自分にとって運命の一瞬であり、まさに出発点といえる公演。そしてジェルモン役は、数々のオペラの中でも最も多く歌っている役で、身に染み付いた物の尊さは計り知れないと思う。今回は、大好きな共演者、演出家の粟國淳さん、指揮者の佐藤正浩さん、そして素晴らしい美術・衣装デザイナーのA.チャンマルーギさんと、どんな舞台をつくれるか本当に楽しみだ。長年歌い続ける中で培ってきた役づくりや、稽古場の明るさを大切にしたい。
1990年、ニューイヤーオペラ第1回『ラ・トラヴィアータ』。それは、運命の一瞬だった。
−今日は、牧野正人さんに2019年1月25日ご出演の藤原歌劇団本公演『ラ・トラヴィアータ』についてお話を伺いたいと思います。牧野さんは、これまで何度も『ラ・トラヴィアータ』に出演されていますね。
オーチャードホールで行う藤原歌劇団の『ラ・トラヴィアータ』は、「ニューイヤー・スペシャルオペラ」として毎年成人式の時期の前後に上演していましたが、僕は今まで計10回出ています。そして、僕が藤原歌劇団に入団して、たまたま最初に出演したのが、1990年の第1回公演だったのです。その時は、第二幕でアルフレードに手紙を持ってくる「使者」が本役で、同時にジェルモンのアンダースタディ(代役)をやってもらえますか、というお話でした。そして、弱冠30歳だった僕は「喜んで勉強させて頂きます!」と引き受けたのです。その頃の藤原歌劇団の公演では、主要キャストに外国人が起用される事もかなり多く、スケジュール上、彼らは本番直前に来日する事もあり、アンダースタディは、来日までの稽古を務めることが多かったのですが、その時のジェルモン役は折江総監督と、小嶋健二さんという、団内では日本人バリトンの双璧とも言えるお二人でした。だから、僕が稽古でジェルモンを歌う機会は全く無く、アンダースタディといっても本当に「一応控えておいて下さい」という程度だったのです。ところがこの時、僕にとっては奇跡的な出来事が起こったのです。
—それは、どのようなことでしょう?
今でも詳しい理由はよく分からないのですが、オーケストラ合わせの時に、折江さんが何らかのご都合で、その日は参加出来ないという事で、急遽「牧野君、歌えるか?」という話になりました。新人バリトンの僕は、緊張で電話を持つ手が震えました。僕としては、がむしゃらに頑張って歌ったんですが、そうしたら、その時のミケランジェロ・ヴェルトリという指揮者が、僕の声をとても気に入って下さって、何と!当時の総監督、五十嵐喜芳先生に、「来年私が指揮をする『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』で、バリトンの役を一つ彼に与えてくれないか」と言ってくれたのです。言うまでもなく、当時僕が藤原歌劇団に入るにあたって、何か良い役を歌わせて貰えるという保証は全く無く、とにかく自分がイタリアへ行って、勉強してきたものを披露できるのは藤原歌劇団だけだ、イタリアオペラを一生懸命やらせて頂きたいんだ、という気持ちだけでしたから・・。でも、もし僕がその時「使者」だけで終わっていたら、そんな事にはならなかったのであって、本当に今でも不思議な出来事、奇跡的な出来事だったなと思っています。翌年『道化師』のシルヴィオという役をもらい、色々な事が動き出しました。あの時の事が僕にとっての全ての始まりであり、運命の一瞬だったのです。第一回『ラ・トラヴィアータ』公演は、僕が藤原歌劇団でオペラをやっていく上で、まさに原点中の原点なのです。

当時の公演写真を見ながら振り返る
—なんというドラマチックなお話でしょうか!その後、翌年1991年の『ラ・トラヴィアータ』からは、ほとんどジェルモン役でご出演されていますね。これまで何回ぐらいジェルモンを歌われたか、覚えていらっしゃいますか?
正確に数えたことはないですが、僕はこのジェルモンと、『蝶々夫人』のシャープレスという役がダントツに多いです。もちろん、これまで様々な役を歌わせてもらって、一昨年は『ファルスタッフ』、昨年は『ドン・パスクワーレ』のタイトルロールなど、初役も務めさせて頂いていますが、例えばジェルモンやシャープレス役は、急に話が来たとしても少しだけ準備期間があれば、本番に乗れるんじゃないかと思います。それぐらい、自分の中にベースがガッツリ入っているし、身体に染み付いたモノが有るのです。しかもそれは、毎回違う指揮者、違う演出家と、色々な事を練って練ってやってきた。その蓄積したものの尊さというものは、半端じゃないなと思いますね。有難いと思います。

1991年 藤原歌劇団公演「ラ・トラヴィアータ(当時の公演名:椿姫)」ジェルモン役 右は斉田正子
—自然にジェルモンという役が出来るという事ですね。
そうですね。役作りに自然体で入っていける、という感じです。ジェルモンの相手役となるのはヴィオレッタで、特に第二幕はヴィオレッタと一緒に作り上げて行くような部分がある。当然、ヴィオレッタを演じる歌手が違えば、ジェルモンのリアクションも変わってくる訳ですが、それは勿論、身体に染み付いているものが多いので、相手によって、自分のスタイルを変える事が出来るのだと思います。