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CiaOpera!

CiaOpera!(チャオペラ)Vol.48 西本真子
Vol.48 -
西本真子

集中と選択。音楽と人生。西本真子氏のこれまでとこれから。

音楽好きの家に生まれ、音楽は幼少期から自然と自身の生きがいになった。自分のやりたいことがはっきりしていること、何かにまっすぐ集中するのが好きなことも相まって、その時々で進むべき道を見定めついにオペラの世界へ。縁に導かれ海外公演も経験し、人の生死を考え続けることを力に変えてコロナ禍でも音楽と共に進んできた。“いかに捨てるか”をテーマに、レオノーラの激情や本作の人間ドラマなど、普段の暮らしではあまり触れない貴重な体験機会を、舞台を通してお客様にお届けしたい。

今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けするコーナー「CiaOpera!」。第48弾は、2022年1月29日(土)・30日(日)に東京文化会館大ホールで上演される藤原歌劇団本公演『イル・トロヴァトーレ』の西本真子氏。音楽一家に生まれ歩んできた道のり、海外公演でのご経験やコロナ禍での音楽活動、1月30日に歌われるレオノーラ役や本公演に向けた思いを語っていただきました。

音楽好きの一家に生まれ、育まれた感性と集中力。

−今回お話を伺うのは、東京文化会館で上演される藤原歌劇団本公演『イル・トロヴァトーレ』に、2022年1月30日のレオノーラ役としてご出演の西本真子さんです。西本さんは多方面でご活躍ですが、その歌手人生の歩みをお伺いできればと思います。元々、音楽がお好きだったのですか?

きっかけは、元々音楽が好きな一家に生まれたことのような気がします。祖父はマンドリンやギターで小さなバンドをやっており、祖母は歌うことが好きでした。父はプロのミュージシャンとしてジャズギターを仕事にしていましたし、どうやら母も歌を習っていたようです。音楽が、ごく普通に周りにある家でした。なので、私自身も小さい頃に「ピアノが弾きたい」と自分から言ったそうで、いちばん最初にもらったプレゼントは小さなピアノのおもちゃだったのです。それがすごく嬉しくて、そのまま本物のピアノも習い始めて。ある日、家に帰ったらアップライトピアノがあって、ものすごく嬉しかったのを覚えています。小学校では鼓笛隊にも入って、トランペットを吹いたり、鉄琴や太鼓を叩いたり、指揮者もやったりといろいろ経験しましたが、中学生のとき祖父が「テレビで面白い番組をやっているよ」と声をかけてくれて一緒に見たのが、《サイトウ・キネン・オーケストラ》のドキュメンタリー番組。そこから、本格的に音楽に夢中になりました。すでに中学に入りトロンボーンをやっていて、普通は3年間同じ楽器を続けるのですが、コンサートで聞いたオーボエの音色がものすごくきれいで、次の日職員室にそのまま行って「オーボエをやりたいです」と先生に直談判。楽器を変わらせてもらえることになりました。高校も、音楽高校をオーボエで受験しましたね。

西本真子

−中学生までに、すでにいくつもの楽器を経験されたのですね!

そうですね、思い返してみると、もう記憶にないようなときからずっと音楽がやりたかったのだと思います。楽器というものに、小さい頃からすごく興味がありましたし。実は、小学生の頃母が亡くなってしまったのですが、そのときひたすらピアノを弾き続けていた自分を覚えています。オーボエと出会ってからは、ずっとオーボエを練習することばかり考えていましたし、自分のなかにある何かを、音で表現したいと思い続けてきたような気がします。

−幼い頃のお母様とのお別れ、お辛かったと思いますが、ずっと音楽がそばにあったのですね。楽器から歌への転機はあったのでしょうか?

はい、高校のときにありました。オーボエで高校に入ったあと、コンクールを受けたり、ベルギー、フランス、デンマークなどヨーロッパへ演奏旅行に行ったり。当時は、そのままオーボエ奏者になるつもりでした。元々音楽高校受験の為にソルフェージュを習い始めていたのですが、その先生が歌の方だったのです。先生が私の声を聞いて、「歌もやった方がいいのでは」と言ってくださったように記憶していますが、歌うことも好きだった私は、その言葉をきっかけに趣味でやってみることにしました。そのうち、先生がミュージカルのクラスをつくることになり、私も「入りなさい」と勧められました。踊りができなかった私は「歌だけなら」ということで入ったのですが、やはり次第にダンスが必要になり、踊れない自分も嫌だったので練習を重ねるうちにミュージカルが身近になりました。しばらくして、東京で本物のミュージカルを観る機会が訪れます。そのとき観た作品が『レ・ミゼラブル』。19世紀フランスの市民革命をテーマにしたストーリーが、私にとって衝撃的でした。私は早くに母を亡くしたので、「死ぬって何だろう?生きるって何だろう?」ということをずっと考え続けてきましたが、ミュージカルで自分の意思を貫いて亡くなっていく人々の人生を目の当たりにして、母の人生が肯定された気がしたのです。「こういう生き方があってもいいのだ」と感じ、同時にその瞬間、“私は舞台の上の、あちら側の人にならなければいけない”と思いました。

−何かの啓示を受けたような出会いですね!ついに、オーボエから歌の道へ進まれたのですね?

はい、オーボエもものすごく好きでしたが、もう「舞台で演じたい」と思い定めてしまったので「大学は歌で受験します」と。オーボエでの進路に期待してくださっていた方々からの反対もありましたが、受験して武蔵野音楽大学に入りました。

−その時々で「これだ」と思える表現手段を明確に感じとって、意思をはっきりと持って歩んで来られた姿勢に感服します。

ありがとうございます。手段は違いますが、舞台で何かを表現するということは同じですし、その時によって自分に合うものがあったのだと思います。また、昔から何かに“集中する”ことは得意で。「これをやる」と決めたらそのことをまっすぐ考え続けることが好きでしたし、人の生死や人生について考え続けてきた自分にとって、他の何かに没頭する時間はある種の救いだったのかもしれません。

−なるほど、ご自身の置かれた状況が影響していたのかもしれませんね。大学からは歌の道に進まれた西本さんですが、やはり最初からオペラを目指していたのですか?

いえ、クラシックやオーケストラが好きではあったのですが、歌に目覚めたきっかけがミュージカルでしたので、最初はミュージカルをやりたいと思っていました。けれど、周りは皆私がいずれオペラの道に行くと感じていたようですし、自分でも、今振り返るとミュージカルというより、歌い演じる舞台表現がしたかったのだと思います。大学4年生のとき、お客様に向けた公演でモーツァルトのオペラ『魔笛』があったのですが、どうしても出たくて何役もオーディションを受け、結果的に「童子1」に。それが、私のオペラデビューでした。そのあとオペラコースに進み、学内の試演会なども含め様々な役を歌わせていただきながら経験を重ねていきました。そして大学院修了の時には『ウィンザーの陽気な女房たち』という作品で初めて主演を経験し、オペラの道をまっしぐらに歩み始めたのです。

西本真子

ご縁が導いた海外公演。音楽と共にあり続けたコロナ禍。

−アジア、ヨーロッパなど、海外でも広く活躍されていますね!

ありがとうございます。海外のお話は、ほとんどがご縁をいただいたものなのです。大学卒業後、しばらくは日本でフリーランスとして歌っていましたが、ある時お世話になっている演出家の方から「フィリピンの劇場で、『蝶々夫人』のタイトルロールとして、様々な演技に対応できる日本人の歌い手を探しているけど、興味はありますか?」というご連絡をいただき、メールを見た直後に「やりたいです」と即答しました。その後プロフィールや写真、動画審査の資料などをお送りしたらあちらの演出家の方に大変気に入っていただけて、蝶々さんの役をいただけたのです。すると今度は、同じ舞台で共演した方が「僕は君の蝶々さんがすごく好きで、ぜひシンガポールの劇場に紹介したいのだけどいいかな?」と声をかけてくださいました。ご厚意をありがたく受け、お願いしますとお答えしましたが、そのあとお任せするばかりでなく自分からも何か行動した方がいいかと思い、シンガポールの劇場にメールを送ったところ、しばらくして劇場からも「蝶々さんをお願いします」と連絡があったのです。さらに、シンガポール公演の指揮者が私のパフォーマンスを気に入ってくださり、中国の公演にもお招きいただきました。ウィーンでの『第九』ソリストのお話も、ご縁でした。いつも飛行機の中で、「頑張って生きていたらたまにこういうご褒美もあるのだな」と感じます。

2017年 楽友協会国境なき合唱団10周年記念公演
ベートーヴェン《第九》 ソリスト

2012年 フィリピン国立劇場「蝶々夫人」
公演の様子(左)、公演が掲載された新聞記事(右)

−本当ですね。様々なご縁に導かれるように、オペラの道を歩んで来られたのですね。海外公演での思い出はありますか?

そうですね、お客様の熱狂ぶりがすごいと感じました。実は、私はカーテンコールでいつもドキドキしてしまうのですが、フィリピンでもシンガポールでも、お客様が大きな拍手とスタンディングオベーションで迎えてくださいました。父が、初めての海外旅行として聴きに来てくれたのですが、父も周りと一緒に立って拍手してくれていたのが舞台から見えました。シンガポールでは、公演終了後に食事をしに近くのレストランに入ったら、たまたま公演を観たお客様もいらしていて、「あなた、すごく素晴らしかったわ!」と声をかけてくださったことも嬉しい思い出です。

2013年 シンガポールリリックオペラ「蝶々夫人」
公演が掲載された新聞記事(左)、公演の様子(右)

−嬉しかったお気持ち、分かる気がします。日本オペラ振興会には、そのあと入られたのでしょうか?

はい、フィリピンとシンガポールでの公演が終わった頃に、こちらもまた「入ってみたら?」と背中を押してくださる方がいらっしゃいました。私自身、若い頃に入って、公演に出られるかどうか常にやきもきしながら続けるより、「様々な経験を重ねてきた今、持てるものをすべて出して、それでもダメだったら仕方がない」と、そんな風に納得できるタイミングが来るまで、どこかに所属するのは待とうと考えてきました。その、まさに今かもしれないと思えるタイミングでしたので、覚悟を決めて入りました。

−やはり、ご自身が今何をすべきかをしっかり見極めながら、決めるときは即決されたのですね。いつも歌うときに大事にされている言葉や姿勢はありますでしょうか?

「常にその時できるベストを尽くす」と考えています。先ほどの話と重なりますが、「ここまでやってダメなら仕方がない」と自分で思えるぐらいでないと後悔すると思いますし、それはしたくない。我ながらやりたいことはいつもはっきりしていると思いますし、何かに導かれて今の自分があるとも感じます。私は、父もコロナ禍の前に亡くなってしまったり、友人を若くして亡くしたりと、身近な人の死に接する機会が多くて。悲しみもありますが、あちらの世界からみんな見守ってくれていると思いますし、そのことがあったから自立し、生きることに必死になれていると感じることはあります。

−そうなのですね。お辛いことも多かったと思いますが、それを力に変えて前進されてきたのですね。ところで、昨年2020年から続くコロナ禍というのは、音楽家のみならず多くの方にとってかなり特異な時期だと思いますが、西本さんはどのように過ごされていましたか?

2020年は、やはりリサイタルやイベントが軒並み無くなりました。しばらくは本公演『フィガロの結婚』上演の可能性が残っていたのですが、それも延期に。ただ、よく考えたらそれまで休むことがほとんどなかったので、時間ができて正直嬉しさも覚えました。休んでいるうちに、大好きだったオーケストラを久しぶりに聴きたくなり、シンフォニーを聴いているうちに、ミュージカルも聴きたいと思うようになり、昔から私を形作ってきた一連の音楽に触れました。そのあと、今度はしばらく歌っていなかった曲を本気で歌いたくなり、『1日1オペラ』という取り組みを始めたのです。また、父がジャズギターで奏でていたジャズの名曲やシャンソン、映画音楽などをやってみようと思い立ちました。ピアニストの音楽仲間に声をかけて、編曲・録音・写真や訳詞なども編集して、これまで応援してくださった方にご案内したり、動画サイトで配信したりしました。そして感染が少し落ち着いた10月に「やっぱり音楽は生がいいような気がする」と感じて、ごく限られた規模ではありますが、動画に収録した曲を披露するプライベートコンサートも行いました。このコンサートは昨年9月にも第2回目のコンサートを開催し、この先も続けていけたらと思っております。

−そうだったのですね。では、コロナ禍においてもほとんどずっと音楽を続けていらしたのですね。

そうですね。最近、結局私は自分が生きるために音楽をしているのだと気付きました。私にとって音楽とは生きがいであり、音楽が無かったら他にあまりやりたいことがないのでは、とすら感じます。ずっと、どこかで自分のことを「ただの音楽好き」だと思っています(笑)。

−いえいえ、れっきとしたプロフェッショナルでいらっしゃると思いますが、音楽に対する情熱があってこそ生まれるエネルギーなのかもしれませんね。ちなみに、音楽以外の時間はどう過ごされていますか?

美味しいものが大好きで、料理はすごく好きですね!よく寝て、よく食べ、よく歌っていたら、それで幸福なのです。単純ですよね(笑)。あと、動物も好きです。しぐさに裏表がなく、見ていると何がしたいのかわかるところがいいですね。

−動物たちも、「この人ならわかってくれる」と感じそうですね。楽しいお話、ありがとうございます。

“いかに捨てられるか”。「その時できるベスト」で臨む、レオノーラ。

−さて、いよいよ『イル・トロヴァトーレ』についてお伺いしたいと思います。まずは、作品に臨むにあたっての意気込みをお聞かせください。

はい。私は、やはりものごとに集中することが自分の強みだと感じており、今回もとにかく作品に集中して、いろいろなものを“いかに捨てられるか”がカギだと考えています。これまで手にしてきたものや、生活習慣、欲求、役作りにおいても。可能な限り余計なものを削ぎ落とし、集中して、本番まで作り込んでいきたいと思います。

西本真子

−“いかに捨てられるか”、印象的なお言葉です。西本さんは、レオノーラという本作のヒロインを歌われますが、思い描いている人物像はありますか?

演出家の粟國淳さんが、人物の内面的なものをすごく引き出してくださるので、私も人物の感情についてよく考えています。今回ずっと考え続けているのは「愛する人のために死ねる」という、レオノーラの心境についてです。このような強い感情は、誰しも心のどこかに持っているのかもしれませんが、現代の日本で普通に生活しているなかではなかなか実感しづらいのではないでしょうか。「彼を愛している」「彼のためなら死ねる」というレオノーラの情熱が、実感を伴って自分の中にストンと落ちてくる瞬間を早く迎えたいと思いながら、日々稽古に臨んでいます。私は、自分を人物に近づけ、感情を重ね合わせて役作りをしたいタイプなので、それが出来ないと演技することが恥ずかしいとすら感じてしまうのです。いつも、役に取り組み始めるときは苦労するのですが、どんな役でもある日ストンと「あ、こういう気持ちか」と理解できるのです。すると、“西本真子”ではなく“レオノーラ”が舞台で生きて、音楽が作られ、動きが生まれるという状態になれる。その瞬間を迎えるために、「(恋人の)マンリーコへの気持ちは、どれほど強いのだろう」「彼を見たときの気持ちは、どれほど高鳴るのだろう」などと、ずっと考えながら電車に乗っています(笑)。

−難しい感情の解釈、まさに、役作りに集中されていますね!

そうですね。私は死ぬ役、何かから逃れたいと足掻く役、誰かを強く憎む役なども多く経験しましたが、役の気持ちが降ってくる瞬間が訪れるまで、逆にどうしてこれほど腑に落ちない状態が続くのだろうと、毎回疑問でした。それが、ある時“分かっちゃったら怖いのかもしれない”と気付いたのです。本気で死のうとする気持ち、死なせてしまいたくなる気持ちを、役の感情でなく、常日頃から自分の感情として分かってしまうのは恐ろしいことだから、自分でも直前まで分からないようにしているのかもしれない。感受性が強い方なので、本当に怖さを感じてしまったら動けなくなってしまうと思います。私個人だけでなく、もしかすると現代の、普段の生活では、多くの人はそうした人間のむきだしの感情や本質的な状況に出会いづらいし、逆にあまりそばにあると怖いと思って意識的に距離を置いているのかもしれません。『イル・トロヴァトーレ』は、その普段身近にない特別な感情や場面に触れることができるオペラ。舞台を通して様々な物語を体感することは、自分を豊かにしてくれることだと思うので、お客様にそのような機会をお届けすることができれば嬉しいです。

−自分の中に新たな引き出しが出来て、視野が広がりそうですね。ぜひ体感したいです。では、本作の見どころはそうした本質的な人間ドラマですね。音楽的な聴きどころは、いかがでしょうか?

私が歌うレオノーラのアリアですが、やはり有名な第四幕の「恋はバラ色の翼に乗って」ですね。レオノーラは、最初に登場したときから「彼のために死ぬでしょう」と感情をにじませていますが、その想いがいよいよ現実味を帯び、激しく揺れ動く気持ちがもっとも表れているのがこのアリアです。

−なるほど、本作のなかでも特に知られた名アリア、楽しみです。共演の皆様とのエピソードがあれば、伺えますでしょうか?

マンリーコというお相手役を歌う村上敏明さんとは、十年以上前に町田のオペラ『ラ・ボエーム』でご一緒して以来、2021年に昭和女子大で上演した『蝶々夫人』で久しぶりに共演しました。今回で3回目。いつもどんな演技も全身で受け止めてくださるので、ご一緒できるのが楽しみです。また、ルーナ伯爵の上江隼人さんとはコロナで共演の機会がなくなってしまっていたので、今回が念願の共演です。その他、皆さんそれぞれにいい意味で個性が強くて、そのまま役にも反映されると思うので、舞台でお披露目できる日がすごく待ち遠しいです。

−皆さんの持ち味を存分に発揮しながら、チームワークの良い舞台が出来そうですね!必見です。今後、こういった役を歌ってみたいというビジョンはおありですか?

私は、よく自分で道を切り拓く役が合っているといわれます。自分でも、そういった役は合っていると思うのですが、例えば『オテロ』のデズデモナや、『ドン・カルロ』のエリザベッタなど、最終的に自分の運命全てを受け入れるという女性をやってみたいという憧れもあります。実は、そもそも自分がヴェルディ作品を歌うようになるとは思っていなくて。最初は、ベッリーニやドニゼッティなど、ベルカント作品やプッチーニ位までを中心に歌っていくのではないかと想像していたのですが、日本オペラ振興会に入ってから不思議なほどあちこちでヴェルディを歌う機会が増えました。そのため、これまでは「自分はこうなるだろう」とある程度予測できたのですが、最近ではいい意味で先の自分が想像できなくなったのです。今は、とにかく「これをやってほしい」といただいた機会を、「その時できるベストを尽くす」の姿勢で臨んでいくことが、やがては未来につながっていくだろうと思います。

−これからのご活躍も楽しみにしています。お話ありがとうございました!

<聞いてみタイム♪>

アーティストからアーティストへ質問リレー。井出壮志朗さんから、西本真子さんへ。

−さて、歌い手から歌い手への質問リレー「聞いてみタイム♪」のコーナー。今回は、井出壮志朗さんから西本真子さんへの質問です。

〜人生でいちばんの失敗談はなんですか〜

難しいですね、なるべく面白い話がいいですよね(笑)?先ほどお話した中国公演、公演日を1年前だと思っていろいろ日程調整をしていたら、「来年だよ」というオチだったことはあります。私が「そろそろ航空券を取らなくては」という相談をしても、オファーをくださった指揮者の方とどうも話が噛み合わないと感じていたのですが、気付いた時には驚きました。英語でのコミュニケーションで間違えたならともかく、数字ですからね(笑) ちょっと恥ずかしかったです。

西本真子

−それは、びっくりされたでしょうね!でも、逆の1年違いでなくてよかったですね!

本当ですね!あと、面白いかどうかはさておき、人生でいちばん後悔しているのは、小さい頃に母に買ってもらったお箸の話です。お弁当用の、スライド式のケースに入ったお箸、ありますよね。ある日あれを母にもらったことがすごく嬉しくて、嬉しさゆえに「家まで手で持って帰りたい」と言ったのです。それで、お箸ケースを握りしめ自転車の後部席に乗ったのですが、途中でケースがスッと開き、中のお箸が滑り出て後方に転り落ちてしまったのです。すぐに「あ、お箸が!」と思ったのですが、当時すごくおとなしかった私は、その場ですぐそのことを母に言い出せず、家に着くまで青ざめて後ろに座っていました。帰って母が自転車を停めた瞬間に、初めてお箸が落ちてしまったことを口にし、そのまま大泣きしたのです。母にすごく申し訳ないことをした、という、未だに涙の出るほろ苦い思い出です。

−切なさの伝わる、でもほろりとやさしいエピソードですね。ありがとうございました。

PROFILE:Soprano 西本真子

西本真子

武蔵野音楽大学卒業、同大学大学院修了。大学在学中より、福井直秋記念奨学金、NTTドコモ奨学金を授与され、第56回全日本学生音楽コンクール声楽部門グランプリ受賞、同時に都築音楽賞、日本放送協会賞受賞。
 2012年フィリピン国立劇場及び13年シンガポールリリックオペラにて「蝶々夫人」タイトルロールで国際デビューし、日本国内のみならずアジアを中心に活躍。国内では、「ラ・トラヴィアータ」ヴィオレッタ、「ラ・ボエーム」ミミ、「トゥーランドット」リュー、「トスカ」タイトルロール、「イル・トロヴァトーレ」レオノーラ、「カルメン」ミカエラ、「仮面舞踏会」アメーリア、「ナブッコ」アビガイッレ、「マクベス」マクベス夫人、「こうもり」ロザリンデ、「メリー・ウィドウ」ハンナ等幅広いレパートリーを持ち、数多くのオペラ・オペレッタで主演を務めている。また、08年LaboOpera絨毯座実験室vol.2「偽のアルレッキーノ」コロンビーナ、15年トム・ジョンソン「4音オペラ」ソプラノにてサントリー音楽財団佐治敬三賞を受賞。
 藤原歌劇団には、18年「ナヴァラの娘」(日本初演)アニタでデビューし、21年「フィガロの結婚」伯爵夫人を好演。日本オペラ協会には21年「キジムナー時を翔ける」ミキでデビューし、同公演は三菱UFJ信託音楽賞を受賞。
 その他、14年リゾーツワールドマニラにて「ベスト・オブ・オペラ」、16年中国貴陽市交響楽団演奏会「プッチーニ・ガラ・コンサート」、17年ウィーン楽友協会にて、国境なき合唱団10周年記念特別公演「第九」にソリストとして招聘される。近年では、映画「テルマエロマエⅡ」のソロ、鈴鹿サーキットにて行われた、19年第48回サマーエンデュランスBHオークションSMBC鈴鹿10時間耐久レースにて国歌斉唱を務めるなど、益々活躍の場を広げている注目のソプラノ。
 藤原歌劇団団員。日本オペラ協会会員。静岡県出身。

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