「生と死を分かつ瞬間に始まる。」スペイン文化としての“闘牛”が持つ深い意味に触れて至った、闘牛士「エスカミーリョ」の、そしてオペラ『カルメン』の新たな解釈。指揮者の山田和樹氏や共演者の笛田氏やニコリッチ氏、演出の岩田達宗氏らと、ときに音楽で、ときに言葉で語り合い、せめぎ合いながらフランスのエスプリとスペインの情熱が入り交じったライブをつくりあげていきたい。日常の移動は、とにかくバイク。大好きな本もカフェや公園、大自然の中で読むアウトドア派。四季の移ろいを肌で感じながら、愛車にまたがり街も山も駆け抜ける。
今最も旬なアーティストのリアルな声や、話題の公演に関する臨場感あるエピソードなど、オペラがもっと楽しめること請け合いの情報をお届けする新コーナー「CiaOpera!」。第六弾は、2017年2月に『カルメン』への出演を控える須藤慎吾氏に、闘牛士「エスカミーリョ」への新たな解釈や共演の方々について、また興味深いご自身の趣味についてお話を伺いました。
生と死のはざまで輝く、「エスカミーリョ」の存在感。
ーまずは、来年2月に控える出演作『カルメン』についてお話を伺いたいと思います。闘牛士の「エスカミーリョ」という役は今まで何度も歌われていると思いますが、歌うたびに心構えに変化はありますか?
そうですね、エスカミーリョは毎回演出によってずいぶん違うんです。最初に歌ったのはミラノでしたけど、「闘牛士の歌」がアルゼンチン・タンゴ調に編曲されていたんですよ。そんなデビューだったんです。だから変わっていくといえば演出と、それから自分の中でのエスカミーリョの捉え方でしょうか。
ー捉え方ですか。今度の公演ではどんな捉え方で臨まれるのですか?
今までのエスカミーリョって、これはどんなバリトンの人も一度は感じる一般的な認識でもあると思うんですけど、少ししか出ないのに重要なシーンをいただく“おいしい役”だと思っていたんです。大事なのはやっぱりカルメン、そしてその恋人であるホセがどうなっていくのかという、ふたりの恋の行く末の物語なんだとずっと思ってきて、そんな中でエスカミーリョを何度も歌ってきたんですが、少し前にフラメンコの先生と話す機会があって。最初はオペラと関係なくフラメンコの話をしていたんですが、「スペイン文化としてのフラメンコというのは、“生と死の時間を分かつ”という芸術。すべてアドリブで行なわれて、スペインの民族的な文化を表現している。」と先生がおっしゃるので僕もなるほど、と聞いていたら、「闘牛も同じなんだ」と言い始めたんです。「闘牛がある決まった時間に始まるのも、その時間が“生の時間”と“死の時間”がくっきり分かれる瞬間だからだ。」という話をされたので、僕も「それはなんだ?」と興味を惹かれたんです。そのあと、自分で少し調べてみたのですが、資料がとても少ないんですよ。
ーそうなのですね!
いわゆる写真集や旅行者向けの情報はありますけど、日本語の文献は特に少ない。英語のもの、あとスペイン語のものであれば山ほどありましたが、僕もさすがにスペイン語は分からないし。そんな中で、唯一僕が「これは、深いな」と感じたものは、フランス人のミシェル・レリスが書いた「ミロワール・ドゥ・ラ・トーロマシー(闘牛の鑑)」という本なんです。文章は日本語に訳しても結構難解ではあるんですけど、内容が面白いんですよ。闘牛がただの残虐なショーではないということや、どういう風に成り立って来たかや、ギリギリで身をかわすことが大事であるというようなことが書いてあるんです。闘牛を実際にご覧になったことはありますか?
ーテレビや映画でしかないですね。
そうですよね。でも最近は動画サイトなどで貴重な花形マタドールの闘牛を見ることができるのですが、見てみると本当に動かないんです!足も動かさず、体も動かさないで、片手に持った布だけを牛に見せて気を引き、不思議なポーズをとってから背に隠す。牛は体のギリギリを通るんですけど、マタドールは一本芯が通ったようにピシッと立ったままなんです。そして観客の「オーレ!」という掛け声で、どんどん熱狂に包まれていく。本当に死と隣り合わせの状態にあるんです。そんな風に資料を調べていくうちに、『カルメン』のオペラと原作がだいぶ違う理由はそこにあるのかな、と思えてきたんです。オペラではジプシーの世界と闘牛の世界がミックスされていて、“闘牛”はかなり重要な位置を占めてくるのかな、だから闘牛士であるエスカミーリョも、自分が思っていたようなポッと出の、ホセのちょっとしたライバルというようなことではないのかなと。オペラの中で、カルメンという女性は全体を通して“死の世界に生きている女”として描かれているんですね。“生と死”の芸術であるフラメンコも踊りますし、タロット占いをするシーンでも“死”のカードしか出ない。一方でエスカミーリョは、ギリギリのところで生きて、すごく輝いている人間なんです。登場してから最後まで、生きて、生きて、生きている。そこにカルメンは惹かれる。表と裏で考えたときに、「カルメンとホセ」だけではなく、「カルメンとエスカミーリョ」も対にできるのかもしれないな、と思ったんです。
ーすごく捉え方が変わったんですね!
ガラリと変わったんです。最後のシーンが闘牛場の前なんですが、闘牛が今から始まるという、いわゆる「生と死が分かれる時間」、まさにそのときカルメンとホセが向かい合い、ホセの剣のひと突きでカルメンが死ぬというのがまるで闘牛のシーンのように感じられるんです。ミシェル・レリスの本には「闘牛は、ただの残虐な見せ物ではないのではないか」と書かれているんですが、カルメンも、おそらく“可哀想”ではないんじゃないかと思うんです。闘牛の、神聖な生き物である牛と命を賭けて闘う闘牛士という状態と同じで、まぁホセが闘牛士と同じかどうかは分からないですけど、カルメンは「神聖な生き物として突き進んで行って、最後には殺される」んだ、このオペラは単なるジプシーの話とかではなくて闘牛とは切り離すことのできない話なんだ、と。そう感じたときに、自分の中で今まで小さな脇役だったエスカミーリョという存在が大きく膨らんで。彼女と会っている時間は短いんですけど、それこそみんなが興奮するような、そんなシーンを作らなきゃいけないかなという気がしています。
ー解釈を深めたことで、歌に一層の説得力が出て来るかもしれませんね!
そうですね、解釈は深められたかもしれないですね。原作ではエスカミーリョは「リュカス」という名前で一言もしゃべらないんですけど、やっぱりなんだか出しゃばっている。それは、原作者もメリメというフランス人、オペラ作曲家のビゼーもフランス人で、外国であるスペインという国の異国情緒と闘牛という文化の異様さに、ふたりとも惹かれたからなのかなと思います。
ーとても深みのあるオペラだったのですね。
一見お祭り騒ぎのオペラみたいに思えちゃうんですけど、そうじゃないんだな、と。これが正しいわけではないけどね、僕が個人的にそう思うのであって(笑)。
ーでも、ひとつの解釈として筋が通っているように感じられます。
指揮者、共演者、演出家とつくりあげる珠玉の生音(ライブ)。
ー須藤さんは今年の2月に秋田でも『カルメン』に出演されていましたが、フラメンコの先生とお話されたのはいつ頃なのですか?
確かその直後だったと思います。秋田のときは演奏会形式で、オペラではなかったのですが、それはそれで凝縮されたものはありました。音楽にまっすぐ向かい合うっていう。
ーでは、秋田ではそのお話を聞く前の解釈のエスカミーリョだったのですね。
そうですね!そのときはもう、「ヒーロー」でした。一般的なイメージだとは思いますけどね。
ー今度のプロダクションも、指揮者が秋田のときと同じ山田和樹さんですが、ちょっと演奏が変わって来そうですね。
変わるかもしれませんね。すごく柔軟な方なので、きっと何か返してくれるんじゃないかと思います。
ー指揮者の方と、役や歌についての話し合いはされるのですか?
しないですね。だいたいのオペラ歌手はそうだと思うんですが、基本的には声を出して、演じて「自分はこうしたい!」と投げかけると、指揮者が「そこはこうですね。」という風に振ってくるんです。キャッチボールみたいな感じで、互いにだんだん「なるほど、そうするんだ。」と。あまり直接的に言葉で話し合うということはないんです。
ー音楽で対話するのですね。山田さんとはもう何度か共演されているのですか?
いえ、秋田のときが初めてでした。おそらく山田さんは、オペラ全編を振るのが初めてだったのかな。そんなことを微塵も感じさせない、堂々たるものでしたけれど。
ー何か印象に残ってることはありますか?
直接的な会話はあまりしていないので…お互い心の中で思うことはあるんですけどね。「へぇ〜」って思いながら、顔には出さないっていう(笑)。それで次の回に相手に寄せることもあれば、絶対寄らないときもある。あまり寄せ合うばかりじゃ、いいものはできないですからね。ここは譲れない!ってところもあるけど、「新しくていいな」と思ったところは歩み寄ります。
ー本番前、何回ぐらい指揮者の方と合わせるのですか?
1ヶ月前を過ぎたぐらいから、数回あればいい方ですかね。演出が入るとまた違ってきますし。
ーということは、それまでにお互いが調べたりつくりあげたりしたものを、そこでぶつけ合うのですね。
そうですね。それに、本番になればまた会場の雰囲気によってマエストロも変わってきますし、僕たちも変わります。ライブだな、という感じです。
ーまさにライブですね!今世の中は「生音」の評価も上がっていますしね。
はい。でも本当のアンプラグド(電源装置を用いない演奏)は我々ぐらいですからね!ほとんどは、最終的には音を機械でミックスしますけど、僕たちは劇場に入って、そのまま歌うから。
ー文字どおり「生の音」なのですね。共演者の方々についても伺いたいのですが、今回のプロダクションの中に今までも共演されている方はいますか?
よくご一緒させていただくのは、ホセ役の笛田さんですね。なんだかすごく縁があって。体格や声のバランスなのかもしれないですけど、多方面から「一緒にやってほしい」と声がかかるんです。たぶん、声が合っていると評価されているんじゃないかな。あと、カルメン役のミリヤーナ・ニコリッチは一緒に歌うのは初めてですが、ミラノ留学時代の知り合いなんですよ。
ーそうなんですか!偶然ですか?
偶然です!ご縁ですね!彼女はもう、当時すでにスカラで歌ってましたけど。よく他の歌手も交えて一緒に食事に行ったりしましたよ。覚えてるかなぁ。僕もずいぶん風貌が変わったので、会っても分からないかもしれないなぁ。彼女の「ニコリッチ」って名字、本来発音は「ニコイッチ」に近いと思うんだけど、ロシア語では父方の名字のときに「イッチ」が付くらしくて、だからあなたはスドイッチだ、なんて言われました。僕が「じゃあ、スドイッチでいいよ。」と言ったら「今のは悪い冗談なんだから、怒っていいところよ!」なんて怒ってましたね(笑)。
ーロシアン・ジョークだったのですね(笑)。そのようにご縁のあるおふたりは、今回役としても関わりのある方達なのですね。
そうですね、むしろエスカミーリョはそのふたりぐらいとしか一緒に歌わないですからね!面白いご縁です。あとは、やはり演出の岩田達宗さんですかね。岩田さんとは、稽古が始まれば「自分はこう思う」とずいぶん話し合います。何度もご一緒しましたけど、“聞いてくれる”方なんですよ。まぁ、聞くだけなんですけど(笑)。
ー受け止めてくださるんですね(笑)。
そういうことです(笑)。僕の中で勝手にですが、「好きなものが似ているのかな」と思うような、珍しい演出家です。
ー一番お好きな演出はどの作品ですか?
一番は、藤原歌劇団の『ラ・ボエーム』ですね。それから『ルチア』も素晴らしい。だから今回もどんなものを出してくるのか、フランス人がずいぶん関わっている作品ではありますけど舞台はスペインなので、どういう風になるかが楽しみです。
ー言葉はフランス語だけど舞台はスペイン、という点もまた不思議なギャップが生まれて面白いですよね。
そうですね。オペラではよくある事ですけど。題材はスペイン、原作はフランス人、作曲もフランス人。それをロシア人と日本人が歌う。日本人がイタリアで歌ってたこともありますから、もう何がなんだか(笑)。とにかく、面白いものになると思います。
ーそれはぜひ観に行きたいですね。期待しています!
本と自然を求め、日本を疾走する愛書家ライダー。
ー前回インタビューした光岡さんと鳥木さんは、プライベートでずいぶんスポーツをされているようでしたが、須藤さんは何かスポーツはされますか?
若いときは空手をやっていたんですけど、やめて久しいからなぁ。それより、僕はバイクに乗ります。移動のメインがバイクなんです。車で移動していた時期もあるんですけど、渋滞がひどいんですよね。それで、元々好きだったこともあってバイクで移動するんですけど、休みの日は林道を走りに行ったりするんです。250ccの小さなオフロードバイクで山の中にそのまま入っていって、キャンプしたり、魚を釣ったり。
ー釣りもされるんですね!結構アウトドア派ですね。
そうなんですよ。僕はインドアな人間のつもりだったんですけど。もともと子供の頃から読書がすごく好きで、哲学関係の本も読むし、ミステリーも読むし、SFが一番好きだし。本の話をしはじめると朝になっちゃうぐらいで、インドア派だと言っていたら、人から「それは違う」と。よく考えると、本を読むのにも、自転車に乗ってどこかの公園や店に入って読んだり、バイクで走っていってキャンプしながら読んだり。「それはインドアって言わないんじゃないの?」って言われたんです(笑)。
ーそれは、そうかもしれません(笑)。
でも本当に本を読むのは好きで、図書館にも頻繁に行きます。人から見ると図書館で借りた本を読んでるのってすごく不思議みたいで、「それ、なんで借りてるの?なんで買わないの?」なんて聞かれるんですけど、買うと家が大変なことになるんです(笑)。今でも読んだあとの本が山積みになっているのに。一回読んだら大抵はもう読まないんですけど、でも古本に出すには思い入れがある。となったら、図書館は素晴らしいんですよ。読んだ、返した、「あそこにあの本があるな。」、といつも思えるんです。だけど、メインの趣味はバイクです。大きいバイクでは長距離も走りますし。ついこの間も、京都の天の橋立まで行ったんです。
ー東京からですか?
はい、仕事で琵琶湖までバイクで行ったんですが、オフ日があって。部屋の中にいても気が滅入ってくるし、天気も良かったから、天の橋立へ行って、福井県の小浜へ行って、滋賀県を南下して、ぐるっと環線を回りました。気持ちのいいものですよ。匂いとか景色とかがすごく分かるんですよね。車にメインで乗ってた頃はほぼ分からなかったんです。シャツとジーンズみたいな格好で一年中過ごしていて、車を降りるときだけちょっと上着を羽織るけど、また車内や屋内に入るとすぐ脱ぐじゃないですか。それがバイクだと、寒くなったら着込んで、暑くなったら「暑いなぁ」と思いながら移動するっていうのがいいんです。
ー四季を感じるのですね。
そうなんです。で、いい景色を見つけたらそのまま登山道具を持って山に登る。自分でもいい趣味だな、なんて思ってます。
ーお勧めの山やキャンプ場はどちらですか?
お勧めというか好きな場所として、フラッと行けるという意味では山梨の「道志の森キャンプ場」かな。直に焚き火ができるところもあるし、オフロードバイクで走れる林道も結構あるし。あと、林道とセットになった山では山梨県と長野県の間の「大弛峠(おおだるみとうげ)」ですね。車でもバイクでもそのまま乗り入れられて、そこから瑞牆山(みずがきやま)へ登れますからね。富士山にも、今年も去年も登りました。でも、山は高さよりも景色が大事かなと。低い山でも、高尾山も結構好きですよ。気軽に登れて、上の売店で食べるなめこ汁みたいのも美味しいですし(笑)。高尾山だけだと本当にすぐ終わってしまうけど、そこからから陣場山(じんばやま)へ縦走していくのがいいですね。
ー海外でも山登りはされるんですか?
海外では無いですね!イタリア時代に行っておけばよかった、と思うんですけどね、今思うと。ドロミテ山も結構側にあったのに。友人に「スキー行こうよ!」なんて誘われたんですけど、怪我しても困るし、お金もそんなになかったし。でも、今聞くとイタリアでスキーするのってすごく安いんですよ。「言えよ!」なんてね(笑)。
ーでは次に海外へ行くときは、山デビューかもしれないですね(笑)。それからもうひとつ、よく行かれるお好きな図書館を、ぜひお聞きしたいのですが。
よく行くのは地元です(笑)。でも最近、図書館のシステムってすごいんですよ。本を取り寄せてくれるんです。読みたい蔵書がどこの図書館にあるかも調べられるし、届いたらメールが来るんです。で、それを取りに行き、10冊ぐらいまとめて借りたものを機械の上にドンと乗せると、何の本を借りたかというのを自動で読み取ってくれるんです。それで図書館のカードを差し込んだらもう終わり。昔みたいに1冊1冊受付に見せて、ハンコを押してもらって、っていうんじゃないんです。めちゃくちゃ簡単ですよ。返すにも、地区の返却ポストがあるところならどこでも返せるし。これを利用しない手はないです。あと、僕は本屋さんにいる時間も異様に長いですよ。
ー分かる気がします(笑)。
バイクで出来るだけ遠くまで行って、本屋さんに入るんです。同じものしか置いていないように思うでしょ?そうでもないんですよ。そこの本屋さんならではの特色があったりするんです。最近だいぶ減りましたけどね、特色のある本屋さんは。どこも似たり寄ったりになってきてしまった気がする。お茶できるところもありますよね。買ってもいない本をカフェコーナーに持ち込んで、試し読みしながらコーヒーが飲める。すると不思議と「なるほど。うーん。買おう。」って買っちゃうんですよね(笑)。そんなときも、とにかく中心はバイクですね。
ーやはりバイクありきなのですね。音楽は、オペラ以外に聴くことはありますか?
僕の音楽の入り口は、ロックとかハードロックとかなんですよ。「ずっと英才教育なんでしょ?」と聞かれることもありますがそんなことはなく、最初はベースとかギターを弾いてて、オペラは大学からです。
ー意外ですね!大学では最初から声楽科を選ばれたのですか?
声楽科は声楽科でしたけど、他の楽器で音大レベルまで演奏できるものがなくて、将来音楽関係の仕事に就ければいいなと思って見聞を広めるために音大に行ったんです。
ーでも、大学でハマってしまったのですね!
そうですね、色々なことが重なった結果(笑)。イタリアに行ったのも、歌いに行った訳じゃないんです。僕は自分の先生たちにすごく憧れて、そういう人たちのように声楽の教師になりたくて、声のテクニックを本場でしっかり習おうと思ったので。本当は3年ぐらいで帰って来るつもりが、「本場で舞台も体感しておこう!」と歌っているうちに、それで生活して食べてたんですよね。「あれ?これってオペラ歌手っていう仕事じゃないか?」と気付いたんですよ(笑)。で、知らず知らずのうちにオペラ歌手になってました。今では大学の教員も、夢が叶ってやっていますけど。みんなに背中を押されて、いつのまにか。
ーそれもご縁なのでしょうね。
はい、みんなのおかげですね。僕自身、頑張ったことなんてそんなに…「休みをとって、バイクで走りに行きたいな」と考えて来たぐらいで(笑)。
ーそんなことはないでしょうけれども(笑)。意外性のあるプライベートのお話、ありがとうございました。
聞いてみタイム♪ 須藤さんへ前回インタビューした光岡さんと鳥木さんから質問を預かっています。
ーオペラでは声種に関係なく、一番やりたい役は何ですか?そして、その理由は?
因みに、質問された光岡さんは、エスカミーリョ(カルメン)で「闘牛士の衣装で歌ってみたいから」、鳥木さんは夜の女王(魔笛)で「夜の女王と呼ばれてみたいから」とのことでした(笑)。
なるほど(笑)。でも、こういうのが一番難しい質問ですね(笑)。なんだろう…昔は『リゴレット』の「ジルダ」というソプラノの役がすごく好きでした。理由は…曲が本当に美しいからですね。ヴェルディに対する思い入れもあるし。最近は昔ほどではないですけど、僕はもともと「ヴェルディ歌い」と言われて歌い始めたので。
ーそうですね、いくつもヴェルディのレパートリーをお持ちですよね。
ありがたいことに、ヴェルディの色々なオペラをたくさん経験させていただいたんですが、稽古のときなどに、お客さんのように他の方の歌を聴いている時間があるんですよ。そのとき、「何回聴いてもジルダは素敵だなぁ、音楽がいいなぁ」と思っていたんですが…今は歳をとったからなぁ(笑)。うーん、なんだろう。
ーもしくは質問を少し広く捉えて、バリトンの今まで歌った役の中で「やっぱりこの役は好きなんだよね!」というものはありますか?
それも…難しいなぁ(笑)。昔は即答で『オテッロ』の「イアーゴ」と答えていたんですけどね。でも、例えば「○○歌い」って呼ばれる人たちって、その役が好きだから歌っているというのももちろんあるんでしょうけど、周りからその役を「歌ってほしい」と言われるから歌っているところもあると思うんですよ。それで、だんだん好きになっていく。『リゴレット』の「リゴレット」という役は、最初の頃ずいぶん断ってきたんです。でもイタリアで、師匠に「まだ歳が若いといっても、小さな劇場だったら歌っていいんだよ。」と言われて。それまで、なんで自分にリゴレットを頼まれるのかよく分からなかったんです。自分の声は(リゴレット役にイメージされるような)ドラマティック(しっかりした重量感のある声)ではなくて、明るめのリリコ(重厚すぎず軽すぎない深みのある声)だと思っていたので、「なんで自分に頼むのかな?」と思って断り続けていたんですが、イタリアではだんだん受けるようにしたんです。日本に帰ったあともやっぱり頼まれることが多くて、それは歌ったり断ったりしているのですが、そんなことを続けているリゴレットという役は、今考えるともしかしたら一番好きな役なのかもしれないです。理由は、全然理想通りには歌えていないかもしれないけど、でも愛着を感じ始めている気がするからです。
ーだんだん好きになっていったのですね。
向こうで歌っていた頃は『椿姫』の「ジェルモン」とか「ドゥフォール男爵」とかをすごい回数歌っていたんですが、日本に帰って来たら公演回数も違うし、そういう訳にはいかない。でも「リゴレット」は、できれば100回、200回と歌えればいいなぁと思います。1回歌ってみたい、とかっていうんじゃないかもしれない。「一番多く歌いたい役」かもしれないですね。
取材・まとめ 眞木 茜